地下帝国再び
寝室の窓から入る薄く淡い月明かりに手をかざす。
毎夜毎夜月の光に照らされては光る手の甲の紋章を見つめて俺は溜め息をつく。
「もうじきか・・・」
「ん~、どうしたのですか?」
アリスが俺の布団の中で寝返りをうつ。
やわらかく丸みを帯びた体を連想させる布団の膨らみが艶かしい。
「いや、なんでもない」
そっけなくいうとアリスはまた眠りに落ちたようだ。
あれから3週間。
そろそろ行かなくてはならない。
結局「契約」は解除できなかった。
解除を交渉すべき契約相手がいないのでは仕方が無いのだろうか。
いっそこの腕を切り落としてみても良いが、それで解除できるかは確証がない。
ただ腕を無くしただけで別の位置に紋章が現れては目も当てられない。
『避けては通れないんだろうな』
自分が決めたことでもある。
『ただできればもう少し時間が欲しかった。まあ確認だけ取れれば逃げてくれば良いか』
この時俺は少し安易に考え過ぎていた。
相手はただ強いだけのモンスターに毛が生えた程度と思っていたのかもしれない。
それから2日後、チラチラと白いものが上空より降り落ちる早朝。
俺は誰にも気取られること無く屋敷を抜け出す。
黒いシャツに黒いズボン、黒のロングコートを羽織り、俺の姿は全身黒ずくめだ。
最近まで白を基調とした服装ばかりしていた反動か、はたまた気分的な問題か、俺は今日のラッキー カラーなど考えずに黒い服を選択する。
黒革の布に包んだヴァーミリオンと食料と水の入った小さな荷物袋を肩に下げ、歩き出す。
屋敷の扉を閉めて門の所まで歩いて来たとき、そこに一つの人影を見つけて立ち止まる。
「行くのか?」
白を基調とした鳳凰を描いた着物に、黒雪を腰に下げた姫。
「ええ、良く分かりましたね。俺が何処かに行くって……」
「アリスがな……、お前を止めてくれと……」
そうか、誰にも言ってなかったが、あいつとは生まれてからの長い付き合いだ。気が付いたか……。
「私も連れて行け」
「だめです」
「何故だ?」
「生きて帰れるか判らないからですよ」
「だから私も連れて、」
俺は姫が言葉を喋りきらないうちに、それにかぶせて拒否する。
「だめです」
「……どうしてもか?」
「どうしてもです」
「ならば行かすわけにはいかん。この手は使いたくなかったが……」
俺は身構える。
姫は刀を腰から外し、門の側にあった木に立て掛けると、俺に走り寄り、膝を折って抱きついてくる。
そしてその目を大きく見開き、上目使いに涙を溜めて俺に懇願する。
「行かないで!お願い、ウルウル」
「アーネ……」
いつの間にこんな切り替え芸まで憶えたんだこの人は……。
「ダメです!!」
「どうしてもなの?」
「どうしてもです!」
「チェッ、だめだよ~ナイチン」
すっくと立ち上がり、泣き真似を止めて自分で自分に話しかけながらスタスタと刀を取りに行く。
刀を持って姫は俺の前に戻ってくる。良い根性をしている。
「私の色仕掛けにも落ちないとは成長したな」
「え!?ゴメ、今何処かに色ありました!?分からなかったわ~ビックリした!」
チ。
俺の前髪が数本落ちる。
「口で言っても解らないなら腕ずくでも分からせるとしよう」
俺は溜め息をつく。
「姫には無理ですよ」
「私より弱いお前を私が止められないとでも?」
「ええ」
俺は脳内シナプスを極限近くまで強化する。
「それにもう遅いです。俺を腕ずくでも止めたかったのなら、今の一撃で足でも切り飛ばせば良かったのに……」
静寂の中、緊張が走る。
次の瞬間、姫は刀を抜いたまま俺の腕の中に倒れ込む。
「何…故……」
「ゴメン、姫」
姫は抜刀術を放つが、鞘に刀を戻すことは出来なかった。
俺の手刀は刀が届くよりも先に姫の首筋に当てられ、意識を飛ばしたからだ。
お姫様抱っこして、近くの木にもたれ掛からせる。
最近背が高くなって、姫を担いでも様になってきた、と思う。
俺は少し肌寒いのを我慢して、羽織っていた黒のロングコートを脱いで姫に掛ける。
雪が積もる前に、朝の早い屋敷のメイドか執事が見つけてくれるだろう。
俺は掻き消えるようにその場から姿を消した。
過去に伝承がいくつもある天使や悪魔達。
俺は何百万という眼(使い魔)を作り飛ばしたが、俺の眼が彼らを捉えることは無かった。今までは……。
俺が生まれた時くらいからぱったりと目撃情報を聞くことも無くなったらしい。
俺の眼でも見つけられない彼ら、悪魔や魔人達。
まるで何かを待っているかのように……、力を溜めるように……。
なんだこれは。
俺はドワーフの地下帝国に行く為に正面の門に来ていた。
そこに広がる死屍累々の山々。
ここを訪れた冒険者だろうか。
村人等ではなく明らかに鎧や剣を見に付けた死体の山。
いつからこんなことになっているのか、一部の死体からは既に腐敗臭が漂っている。
俺の眼はこんな惨状を記録してはいない。
いつの間に?
「お待ちしておりました」
死体の山の側に立っているのは美しい妙齢の女性。
この季節に寒くないのだろうか?
薄い緑色のビロードの様なきめ細かなドレスを着て、額からは2本のガゼルのような角を生やしている。
彼女は俺を待っていたと言った。
そう言う事なのだろう。
「これは?」
俺が聞くと彼女は隠す程ではないのか、素直に答える。
「この1ヶ月程あなた様をお待ちしている間暇でしたので、少し遊んでいただけのことです。お気になさらないで下さい」
『少し……ね』
感覚が違うのか、俺の質問にも繭一つ動かさず抑揚の無い声で答える。
俺も聖人君子などではない。
これ程の人間の死体を見るのは初めてだが、だからと言って知り合いでもない人々の為に理性を失って怒り狂ったりはしない。
「で?俺を待っていたとは?」
「そのままの意味でございます。申し送れましたが私の名はセーレ、魔人セーレと申します」
「俺はアンブロシウスだ」
彼女セーレは微笑み、胸に左手を当てて残った方の手を地下帝国の入り口の方に差し伸べる。
そこには本来あった地下帝国の入り口等ではなく、黒い闇のようなゲートに繋がる門が口を開いて、俺を待っていた。
「ではアンブロシウス様。私とご同行願えますか?」
拒否権等ないのだろうが?そういう目をしている。
ムシケラを見るような蔑げすんだ瞳。
いつもの俺ならここでギャグを入れるところだが流石にこの状況では無理だ。
亡くなった方々に失礼すぎる……。
俺は無言で彼女の後に続いて門に入った。
暗いトンネルのような道を進む。
明かりは無いが、何故か前を歩く彼女の姿は見えた。
道すがら俺は聞く。
「あのような惨状、俺は知らない。どうやった?」
俺の言葉の意味を正確に理解しているのか、セーレは話し出す。
「簡単なことです。迷宮の中ではなく、入り口に死体の山がある等と噂になっては適いませんので、少しあの場に幻術を掛けさして頂いておりました。
人里離れた危険な迷宮です故、少しばかりの間、人が入って帰って来ぬからと言って噂にはなりますまい」
「なる程、幻術か……」
それならば納得できる。
流石に臭いまではリンクさせていなかったこともあるが、危険を察知して中のネズミがこの入り口付近に近づかなかったのは分かるが、外からの遠間からの鳥達の映像にも全く映ってなかったのはおかしい。
そういうことか。
流石に動物の目では幻術までは見破れない。
納得はしたが、ただ本当のところは理解できていない。
何故そこまでして俺を入り口で待ち続けていたかだ。
単にいつ来るか分からないからというには少々物騒な上、派手すぎる。
俺は通されたゲートの入り口を出てその意味を理解した。
万が一この状況を見られて知らされては彼らも面倒なことになると思い、広い迷宮の中で手当たり次第に冒険者達を駆るよりも、各所入り口を押さえた方が早いと考えたのだろう。
まあ、唯一の勘違いはこの階層にまで人が来て帰る程には、現在のところそうはいないのだが。
一部俺達(姫等)のような特殊な者を除いてはだが……。
2年ぶりに来た地下帝国7層は完全に様変わりをしていた。
視界一杯に闊歩している悪魔や魔人達。
地下帝国を支える巨大な柱の殆どが掘り返され、崩れ去っている。
「ここからはこちらにお乗りください」
彼女が手を振ると、足元に緑の魔方陣が浮かび上がり、俺とセーレの体を乗せて浮かび上がらせた。
空(地下だが)を飛び、中央にある巨大な黒い鉄の城に向かう。
途中、地下帝国の上空の岩盤に巨大な闇のホールの様なものが開き、そこにいろいろなものを運び込む悪魔達の姿を見る。
特に目を引くのが巨大な腐りかけた黒い布に包まれ、鎖でグルグルまきにされた巨大なものを何十匹もの竜のような悪魔達が引っ張り上げ、それをホールに運び込んでいる姿。
その黒い布の隙間から巨大な目が見え、俺と目が合う。
『巨○兵かよ!?』
それが次々に運ばれている。
数にして20体、いや30体はあるだろうか。
『冗談じゃない!?
あんなものが地下帝国に封印されてたなんてモグラのじいさんには聞いてないぞ!?』
もしあれが人間との戦線に投入されることにでもなれば、まさしく世界は終わってしまう。
俺は冷や汗を流しながら拳を堅く握る。
計画を大幅に変更しなければならない。
あんなものまで有している魔人達とはいったい何者なのだろう。
ただの悪魔の生まれ変わりじゃないのか?
俺の疑問をよそに、俺とセーレを乗せた魔方陣は城の外に設けられたバルコニーに到着した。




