第88話 選考の難題
貴族寮とはいえ、ルッシェリーナの部屋に冷房設備はない。部屋に着くと、まずお茶をいれ、氷で冷やして喉を潤した。
ひと息つくと、ルッシェリーナはセルヴィン達から受け取った応募作品を机に置き、3つの山に分けた。
三人で順番に交換しながら、全てに目を通す。一つ一つは四枠漫画でも、207作となれば、しばらく掛かりそうだ。
明日の最終選考には、プリガネトと産業日報社の文化部長を招く事になっている。日曜日に申し訳ないと思いながらの依頼だったが、二人とも喜んで参加するという返事だったそうだ。
今日は、私達で応募作品を絞り込み、まず20作ほどの入賞候補を選んでおく。
明日は各審査員が候補作を評価項目ごとに採点し、その結果をもとに、作画美術賞、枠画構成賞、四枠脚本賞にふさわしい作品を一つずつ選び、ほかにも数作を入賞とする。
そして、それらとは別に大賞を一つ決めるのだ。
賞の選定については、私を通じて、原作者の星乃とどき先生の意見も伺う事になっている。
先生は、異世界で自分の物語が漫画になったのを見て、どう思うのだろう。感想を聞くのも、今から楽しみだった。
ただ、確認には少し時間を掛けた方が良い。
悪魔は、いつでもこちらの作品を見る事ができるし、時間の進みも調整できる。エリに頼めば、先生に見てもらうのも、こちらではほとんど一瞬で済んでしまう。
けれど、先日、漫画教本の作例の確認を気軽に引き受けた時は、カレフィーネやルッシェリーナから、どうやって連絡しているのかと不審がられてしまった。
――あの時は、カレフィーネが「代償」なんて言うから焦ったよね。
賢者の石の存在は、歴史上の事実として知られている。ただ、その能力や使い方は謎に包まれていて、今も歴史学者達が調べ続けているそうだ。
一方、魔法の石と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、劇やおとぎ話に出てくる『悪魔の石』だろう。
中に悪魔が封じられていて、寿命や魂を捧げると、持ち主の願いをかなえてくれる。たいていは、最後に邪悪な呪具として壊されてしまう石だ。
エリによれば、こうした話が広まったのには、覇皇の情報操作が関わっているらしい。自分の使う賢者の石の本当の能力を隠し、人々に恐ろしい呪具だと思わせる事で、狙われにくくしたのだという。
おかげで、私が物語の相談に使っているなどとは、なかなか想像されない。覇皇の隠蔽工作には良い印象を持っていないけれど、この点では助かっていた。
とはいえ、その思い込みを頼りに、何でもすぐに確認できると言ってしまうのは危険だろう。
手元の作品を一枚取り上げ、最初の枠から目を走らせる。
絵師を中心に応募が集まっただけあって、絵の上手な作品が多い。ただ、中には何を描いたのか、すぐにはわからないものもあった。
見本として示したタルシェリオの作品が、無駄を省いた簡素な構図だったためか、絵画のように細かく描き込むより、人物や台詞の読みやすさを優先したものが目立つ。
四枠に話をまとめるのに、苦労したらしい作品も多かった。
一つの枠に台詞がぎっしり詰まっていたり、三つ目までは丁寧に進んでいた話が、最後で急に終わったりする。きっと、思いついた話を、どう収めるかで悩んだのだろう。
非常に美しい絵なのに、読み終えても、何が起きたのかわからない作品もあった。逆に、画力は私と良い勝負で、誰を描いたのか全くわからないのに、筋立ての面白さは伝わってくる作品もある。
――読むだけなら楽しいのに、選ぶとなると、難しいなぁ。
作品ごとに完成度は違うが、それも含めて、見ていて楽しかった。
少し簡単に済ませすぎでは、と思う作品もある。それでも全体からは、新しい表現に取り組んだ熱意が伝わってきた。
原作の脇役を中心にした話もあれば、何気ない会話を膨らませたものもある。私が読み流していた場面を、こんなに大事に思っている人がいたのかと、思わず原作を読み返したくなった。
向かいでカレフィーネが小さく吹き出す。その手元が気になったけれど、自分のところへ回ってくるまでのお楽しみにして、次の一枚を取った。
気に入った作品の番号を控え、自分の分を一通り読み終えたところで、顔を上げる。
ルッシェリーナは3枚の原稿を机に並べ、じっと見つめていた。
考え込んでいる様子が気になって、横から覗いてみる。同じ作者のものらしい3作は、どれも細く、太さの揃った線で描かれていた。
構図が工夫されていて、ひと目で誰が何をしているのかわかる。話の運びも見事で、最後まで読むと、自然に笑みがこぼれた。
驚いた顔を大きく見せる枠と、少し引いて二人の間を見せる枠。それぞれに意味があって、読み返しても目が迷わない。
原作で見慣れた登場人物が、ここでは違う顔を見せている。それなのに、この人なら確かにこう言いそうだと思えた。
「これはまた見事な作品だね。一つ選ぶなんて、悩んじゃうね」
応募は一人3作まで可能だが、同じ作者から入賞するのは一つだけだ。これだけの良作が揃っていると、どれを残すか迷ってしまう。
――あれっ。でも、この絵には、何か見覚えがあるような……。
自分の分を読み終えたカレフィーネも、横から覗き込んできた。
「おやおや。ねえ、これって、報時新聞に載っている漫画の作者さんじゃない?」
「そうなんです。おそらく、ご本人だと思います」
ルッシェリーナが、原稿に添えられた作者名を指さす。そこには『モレティア』と書かれていた。
「なるほど、どうりで見覚えがあるわけだね。さすがの出来だよ」
毎朝楽しみにしている漫画の作者が、私達の公募にも応募してくれた。その事が嬉しくて顔を上げたのに、ルッシェリーナの表情は晴れなかった。
「あの連載漫画は、報時新聞社が作品の知産登録を申請しています。確か、保護を求める対象には、作者名も含まれていたはずです」
『風渡りの行商人』も、先月、継譚商会を権利者として無事に知産登録が成立している。
「それが、何か問題になるんだっけ?」
「今の情報だけでは、わかりません。ただ、他紙への掲載まで、作者ご自身で自由に決められる契約とは限りませんから」
ルッシェリーナは3枚の原稿を揃えると、ほかの作品と混ざらないよう、机の端へ置いた。
「この作者の作品は、ひとまず扱いを保留にしましょう。知産弁理士か弁護士に相談すべきです」
「えっ、賞の対象から外すって事?」
「まだ、そう決めたわけではありません。受賞させて良いか、受賞作として紙面に載せて良いか、確認が必要だという事です」
「そんな……。作品は、その内容で評価されるべきなのに」
ほかの原稿とは離して置かれた3枚を見る。
「わたくしも、作品の評価を下げるつもりはありません。ただ、最悪の場合、こちらが掲載するのを見越して、報時新聞側が仕掛けた罠という可能性もあります」
その言葉には、さすがに黙ってしまった。
そんなつもりで描かれた作品には見えない。でも、ルッシェリーナの懸念にどう答えれば良いのか、私にはわからなかった。
カレフィーネは応募書類へ目を落とし、住所の欄を指でたどった。
「ねぇ。この住所なら、作者さんは学園の近くに住んでいるみたいだよ。こちらに来てもらって、直接お話を聞けないかなぁ?」
ルッシェリーナが、書類を覗き込む。
「そうですね。報時新聞社とどのような契約を結んでいるのか、ご本人に確認できれば、判断できるかもしれません」
「じゃあ、早く連絡した方が良いよねぇ。今から、電話で連絡をいただきたいって、電報を打ってくるよ」
「学園事務にお願いしている電話の受付は、平日だけです。こちらの寮の番号で、わたくしを呼び出していただくよう、お伝えください」
カレフィーネは宛先と電話番号を控え、席を立った。
これで、少なくとも作者さんの話も聞かずに、失格と決めてしまう事はなさそうだ。それでも、机の端に置かれた作品が気になって、すぐには次の原稿へ手が伸びなかった。
――この作品を、選べないままにしたくないよね。何か方法がないか、今夜、エリにも相談してみよう。
悪魔: 賢者の石の用途は、利用者により千差万別。これも解析を困難にする一因。
悪魔の眷属: 便利な音楽再生装置としてしか使っていなかった人もいましたからね。
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