第87話 公募締切明け
8月中旬の土曜日。漫画公募の締め切りから、一夜が明けた。
講義のない今日は、午後から応募作品の選考をする。私はカレフィーネ、ルッシェリーナと一緒に、昼食を食べ終えた後も学生食堂に残り、セルヴィンが作品を持ってくるのを待っていた。
公募は、説明会から約1か月の募集期間を経て、昨日の必着分で締め切った。
午前中は、セルヴィンが応募要件を満たしているかを確認してくれている。それを通過した作品を、今度は私達が読んで、最終選考に残すものを選ぶのだ。
応募作品は少しずつ届いていたが、大半は今週の後半に集中していた。締切日の昨日になって、速達で届けられたものも多かったそうだ。
最後まで描き直していたのか、それとも、応募しようか迷っていたのか。どちらにしても、間に合って良かった。
「結局、応募総数は何件になったんだっけ?」
「うんとねぇ、146人から、作品数で238作だったよ」
「説明会の参加人数から推測していた数と、ほぼ一致しています」
数字を聞いて、改めて胸が弾む。一人で複数の作品を送ってくれた人も、ずいぶんいるらしい。
私は、早めに届いたものも含めて、まだ一つも見ていない。先に読んだ作品ばかり気に入ってしまわないかと、自分の判断に自信がなかったので、全て揃ってから読む事にしたのだ。
――どんな作品が届いているんだろう。凄く楽しみ!
「新聞社の閲覧室の利用記録も確認しましたが、心配していた、原作の閲覧だけを目的とする方は多くなかったようです」
「応募のために読むっていう誓約書に、住所と名前を書いてもらったからねぇ。頑張ってみたけど作品にできませんでした、ごめんなさい、って手紙もいくつか届いていたよ」
「まあ、それは仕方がないよね」
漫画は、これまでになかった新しい表現技法だ。1か月で納得のいく作品を作れなくても、不思議はない。むしろ、これだけの作品が届けられたのが驚きだった。
説明会の後、質問をしに受付へ来た人達の顔が浮かぶ。資料を何度も見返していた人も、早く家へ帰って描きたいと言っていた人もいた。
あの時の熱心さが、今度は作品になって届いている。そう思うと、食堂の入口へ目を向ける回数が、ますます増えてしまった。
セルヴィンを待つ間、商会の経費で購入した各社の新聞に目を通す。
新聞に関わる仕事を始めた事もあり、最近は毎日、各紙の一面だけは読むようにしていた。
以前は、昼食の時にルッシェリーナから、新聞の内容を教えてもらうのが常だった。けれど、興味のなかった記事にも自分で目を通すと、少しずつ視野が広がるのを感じる。同じ出来事でも、新聞によって見出しや取り上げ方が違うのも面白い。
よくわからない記事は、その場で二人に聞ける。それも、読み続けられている理由の一つだ。
――翻案のためにも、いつか自分で物語を作れるようになるためにも、知識の幅を広げておくのは大事だもんね。
一面以外にも、必ず目を通すところがある。報時新聞の漫画だ。
街の洗濯屋を舞台にした漫画は、初回掲載から、平日は途切れる事なく続いている。なんて事はない日常から、ちょっとした笑いを引き出し、毎回、四枠だけで見事に一つの話を成立させていた。
今日の紙面を確認してから、そういえば土曜日だった、と気づく。毎日読んでいるうちに、すっかり続きを探す癖がついてしまった。
昨日も、最後の枠で頬が緩み、もう一度最初へ戻って読んだ。短いからすぐ読み終えるのに、読み返すと、最初には気づかなかった表情や台詞の意味がわかる。
――ちょっと技法を紹介しただけで、すぐにこんな素晴らしい作品が生まれるなんて!
もちろん、この漫画は私だけでなく、世の中の注目も集めていた。
今回の公募で受賞した作品の掲載を検討している産業日報社だけでなく、他紙でも漫画を載せる検討が進んでいると報じられている。
おかげで、説明資料をもとにまとめた漫画教本の冊子は、初版があっという間に売り切れた。今は業者に増刷を頼んでいるところだ。
あの冊子を読んで、初めて漫画を描いてみた人もいるのだろう。今日読む作品の中にも、そういう人の一枚が入っているかもしれない。
しかも、新聞に物語を載せようという流れは、漫画だけにとどまらなかった。
「そういえば、民暁新聞は、日刊連載を前提に物語を公募するんだねぇ」
「1話ごとの字数を制限して、最後まで書き上げたものを募集するそうですね。かなり難しい条件です。良い作品が集まれば、新聞社は連載を始めやすいのでしょうが……」
カレフィーネが別の新聞を見ながらつぶやき、ルッシェリーナが応える。
『風渡りの行商人』の成功を受けて、各新聞社が物語の掲載に積極的になっているのが感じられた。
「毎回、決まった長さに収めるのって大変だよね。ここで切ったら続きが気になる、ってところも、字数どおりには来ないし」
翻案した原稿を、新聞に載せる分量に区切る時の苦労を思い出す。先に全部書き上げるのなら、途中から直す事もできるだろうけれど、それでも簡単ではなさそうだ。
「でも、漫画もこれだけ応募が来たんだから、物語だって『風渡りの行商人』に触発されて、書き始めた人はきっといるよ」
「うんうん、そうだね。でも、公募にしても、紙面連載にしても、真似されたみたいで、なぁんか悔しいなぁ」
私はただ嬉しいのだが、カレフィーネは少し納得がいかないようだ。
報時新聞の漫画を初めて見せてもらった時にも、似たような事を言っていた。商会の仕事として考えれば、そう感じるのもわかる。けれど、読める物語が増えると聞くと、どうしても、そちらへの期待が勝ってしまうのだった。
「すまない。待たせちゃったかな?」
新聞を畳んだところで、セルヴィンが学生食堂に姿を見せた。
一緒に来たタルシェリオも、私達に軽く頭を下げる。
セルヴィンが抱えている包みを見て、私は思わず身を乗り出した。
「応募要件を満たしていたのは207作だ。こいつがどうしても応募作品を見たいって言うから、手伝ってもらった。ちゃんと守秘誓約書も書いてもらったよ」
「誓約書を提出していただいているのなら、問題ありません。お二人とも、ありがとうございます」
「俺の推薦には、かなりタルシェリオの意見が入っているけどね」
午後は女子寮にあるルッシェリーナの部屋で作業するため、セルヴィンだけは、先に作品の選考も済ませてもらっていた。
継譚商会の4人が、それぞれ最終選考に残したい作品を推薦する。その結果を持ち寄り、今日中に20作ほどまで絞り込む計画だ。
「それなら心強いね。タルシェリオ先輩にも見てもらえたんだ」
「……少し、気づいた事を言っただけだよ」
タルシェリオは謙遜するけれど、私達の周囲で、実際に漫画を描く技法を一番よく理解しているのは、きっとこの人だ。説明会の後も、漫画教本に載せる作例でお世話になっている。
セルヴィンが読者として面白いと思ったかどうかも大切だし、描き手としてのタルシェリオの意見も、選考の助けになるはずだった。
「気に入った作品は、どんなお話でしたか?」
聞きかけると、タルシェリオが口を開くより早く、カレフィーネが笑った。
「こらこら。それは、自分で読んでのお楽しみだよ?」
「あ、そうだった」
先に感想を聞いてしまったら、ここまで読むのを我慢していた意味がない。
他の人の意見に影響されないよう、選考が終わるまでは、なるべく結果を共有しない方針だった。
私は、作品の入った包みをセルヴィンから受け取った。
「それじゃあ、これは預かるね」
「ああ。俺達は今から昼食だから、あとはよろしく頼むよ」
二人を食堂に残し、私達は貴族寮へ向かった。
腕に抱えた紙の束は、思っていたよりも重い。この中には、まだ知らない『風渡りの行商人』が、いくつも詰まっている。
――早く読みたいな。どんな作品があるのか、楽しみ〜!
気が急いて、いつの間にか足が速くなっていたらしい。貴族寮の前で汗を拭いながら振り返ると、二人の姿はまだ見えなかった。
貴族寮の玄関広間に立って待っていると、受付の女性の視線を感じ、嫌な思い出がよみがえってきた……。
――この状況……『凄腕さん』の時と同じだ……。
学内の売店で氷を買ってきたルッシェリーナ達が到着する頃には、あれほど浮き立っていた気持ちも、妙に落ち着いてしまっていた。
悪魔: 皇国では、報時新聞と民暁新聞が大手の全国紙。
悪魔の眷属: 産業日報も全国紙ですが、一般家庭への販売はまだ歴史が浅く、購読者数で大手に及ばないため、準大手と位置づけられています。
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