第9話 露台席
私にとって波乱の成績開示期間が終わり、短い休暇を経て夏学期が始まった。
ただし、まだ受講する講座の登録期間のため、授業は行われていない。
時間に余裕があったので、私は友人達と三人で学園の外まで足をのばして、食事処の露台席で円卓を囲んでいた。
前庭の山桜はちょうど満開を迎えており、桃色の花と新緑の若葉の対比が目を楽しませてくれる。
学生向けの定食は、焼き貝に野菜の和え物、香草を散らした汁物、小さな甘味まで付いて値段は控えめだ。学園の食堂よりは少し贅沢だが、たまに楽むくらいならちょうど良い。
「カレフィーネは本当に災難でしたね。わたくしもあなたの名前を『落第欄』に見つけて大変に驚きました」
上品な仕草で口につけていたさじを椀に戻してそう話すのは、仲の良い友人で、都合が合う時には一緒に昼食を食べるルッシェリーナだ。
肩に掛かるほど長く伸ばした髪は、わずかな動きにもさらりと揺れ、手入れの良さが一目でわかる。
本人は私達庶民と同じように振る舞っているつもりでも、口調や食器の扱いなどには、どうしても貴族家出身の育ちの良さが滲んでしまう。
「そうなんだよ。あの時は私も頭が真っ白で、なにも考えられなくなったよ。ほんと、こうして無事に新学期を迎えられたのは、ミリアナが助けてくれたおかげだね」
そう応えるカレフィーネは、焼いた貝の身を大きな殻から箸でつまみ上げたまま、私に目を向けた。もう完全に落ち着きを取り戻した彼女は、いつもの微笑んだ顔だ。
「べつに私は大した事はなにもしていないよ。ただカレフィーネを応援していただけだからね」
「いえ、学園に提示された成績を不服として、成績説明会を申し入れるというのは、誰にでもできるものではありませんよ。わたくしは、あなたがたの行動を尊敬します」
身分の違いによる色眼鏡を嫌っているルッシェリーナは、公平性を大事にしており正義感が強い。
今回の件に対しても憤懣やる方ない様子だ。
「事務の手違いだなんてあってはならない学園の失態です。一体どんな説明を受けたのですか?」
「ごめんねぇ、守秘義務があるので説明会の内容に関しては話せないんだ」
カレフィーネの落第は取り消されたが、不正についてはまだ捜査中で、カレフィーネは学園から口止めされている。
現時点であの事件は、学園事務の手続き上の問題として公表されているのだ。
ルッシェリーナはまだ追求したい様子だったが、カレフィーネから笑顔で拒絶され、しかたなく切り口を変えてきた。
「でも、成績説明会の申請費用はどうしたのですか?10札幣でしょう。学生がすぐに用意できる額ではありませんよね」
「うん、それもミリアナのおかげなんだよ。セルヴィン先輩にお願いして、借りてきてくれたんだ」
「セルヴィン先輩?……どのような関係の方ですか?」
私は慌てて、セルヴィンと口裏を合わせておいた説明を口にした。
無くしたのが商会のものではなく、セルヴィンの個人的な失敗であれば問題ないと言われている。
「あ、うん、法学の講座が一緒の先輩でね、ちょっと前に財布を拾って届けた事があって、そのお礼をしたいって言われていたんだよ。それで、ちょうど困っていたから相談してみたの」
「そうですか。財布を拾ったお礼に10札幣を貸してくださるとは……。それはまた、ずいぶんとご親切な方ですね」
ルッシェリーナは胡乱げな目線で、私とカレフィーネの顔を順に見た。
「そうそう、おかげで本当に助かったよ」
カレフィーネがやわらかく受け止めてくれたので、私は全力でうなずいた。
「……なるほど」
ルッシェリーナはそれ以上事件の事を追及せず、いったん視線を椀に戻した。
「でも、カレフィーネが学園に残れて本当に良かった。官僚を目指すなら、ここで退学になるのは大きな痛手ですからね」
そして小さくため息を吐くと、愚痴をこぼしはじめた。
「あなたと違い、わたくしは官僚になるつもりもないし、そろそろ学園を離れる事になっても構わないのですが……。この休暇も家に戻ると、祖母と母が良い縁はできたのかとうるさいんです。最近は斎家の系譜で学園に入る者が珍しいからか、わたくしの在学中に、何としてでも将来の政府中枢とのつなぎが欲しいようで……」
ルッシェリーナは貴族なので『斎』の家名を持っている。
先代の女皇陛下の『大革新』により、貴族は多くの利権を失ったが、軍や治安などの統制権は未だに貴族院が持っている。
残された権限を守るために、各貴族家は官僚や軍などの政府機関の中の優秀な人材を取り込もうと必死らしい。
「いまの時代、『家』の存続にこだわるなんて滑稽としか思えませんよ。わたくしは、いま手伝っている新聞社で働くつもりなので、しばらく結婚する気はないのですけどね」
学園内では、教育以外にも各機関と連携した研究や開発が行われており、新聞社の支部も存在している。ルッシェリーナはそこで手伝いをしているのだが、その活動がかなり性に合っているようだ。
――私も新聞記者には心が惹かれるんだけどね〜。
記者になれば、「事件や話題を取材して来ます!」と新聞社を飛び出し、昼間は怠けてずっと物語を聴いて過ごし、エリから何か適当な事件でも聞いて記事にするという、夢のような生活が実現できそうだ。
でも、私が記事に誰も知り得ない事実を書いてしまい、そこから賢者の石の存在が発覚する、という危険があるので、ちょっと躊躇してしまう。
「もちろん、優しくて、顔が良くて、話が面白くて、女性を大事にして、わたくしの仕事にも理解がある、将来有望な官僚候補――、なんて人がいれば、わたくしも結婚を考えますけどね」
「うんうん、理想はそうだけど、なかなかそんな人はいないよねぇ」
――いやいやカレフィーネさん、その条件を満たすあなたの身内に、私は強引に食事に連れて行かれましたよね!
あれは、賢者の石の秘密を守るために目立ちたくない私にとって、悪夢のような出来事だった。
成績説明会の後、「兄妹の水入らずで〜」と断る私の意思は無視されて、皇都内の有名料亭に連れて行かれたのだ。しかも、途中でディアネリス教授が合流するという最悪の流れだった。
個室が空いていなかったので、超有名人との同席というたいへんに注目を浴びる状況に陥ってしまったのだ。
せっかくの高級料亭だったのに、料理の味どころか、なにを食べたかも覚えていないくらい気持ちに余裕がなかったね。
カレフィーネが誘って一緒についてきたセルヴィンが、有名人に囲まれ興奮してはしゃいでいたので、私はあまり目立たずにすんだのが唯一の救いだ。
セルヴィンの大袈裟な立ち振る舞いが役に立つ事があるとは……。
――いや、あいつが騒ぐせいで、周囲の卓から視線を集めてしまっていたので、やっぱり許せん!
なお、その食事の席でフェルディオとカレフィーネの関係が少し前に進んだのを見て、黙って勝手に二人の仲を取り持つような真似をしてしまった私は、少し救われた気がした。
カレフィーネはこれまで、父親の正式な妻であるフェルディオの母親に遠慮して、兄との接触を避けていたらしい。
けれどフェルディオから「遠方にいる母に気づかれる事はないので、気にしなくても大丈夫だ」と穏やかに説得され、今後は定期的に会う事を約束していた。
――でも、私は二度とフェルディオやディアネリス教授には接触しないぞ!!
「そういえば――」と話題を変えるルッシェリーナの声に、私は過去へ向いていた意識を引き戻した。
「今朝の火災騒ぎは知っていますか?放水車が何台も来ていましたよね」
「うん、びっくりしたよねぇ。寮の窓からでも大量の黒煙が上がっているのがはっきり見えたよ」
「私は朝の散歩の途中だったけど、防火局員だけでなく、治安局員なんかも大勢集まっていて、大騒ぎだったね」
そう、火事騒ぎがあったので、私は今朝の散歩でほとんど異世界の物語を聴く事ができなかった。
現場に近づいたわけではないが、消火活動とやじ馬で人がどんどん集まってくるので、賢者の石の使用が難しくなってしまったのだ。
「発火元は事務棟の守衛室だったそうです。幸い早めに消し止められたので、火災による被害はほとんどないようですが、事務棟は火事の煙と消火のための放水で、数日の間は使いものにならないという話です」
もともと情報通だと思っていたけど、ルッシェリーナは今朝の事件なのに、もういろいろと情報を入手しているようだ。
手伝いの立場ながらも、すでに一端の記者として活動をしているふうに見える。
少し声を落とし、ルッシェリーナは続けて言う。
「消火したばかりで、まだ調査中ですが……放火の疑いが強いそうですよ」
「えっ、放火!」
「燃え跡の付近から油を染み込ませた古布が見つかり、遠隔から点火魔術が使われたのではないかと推測されているのです」
そんな不穏な情報に、私の脳裏には嫌な予感がよぎっていた。
遠隔からの点火は、点火魔術に習熟している必要がある。そんな高度な魔術での放火……。
物語の中で、そのような高度な工作活動を行う組織といえば、最初に諜報機関があげられるだろう。
――そういえば、あの不正を依頼した貴族って軍の諜報部と関係があるんじゃなかったっけ?
悪魔: 防火局員と治安局員は、令和日本における消防隊員と警察官。




