第10話 火事跡
学園に戻ると、私は友人達と別れて、事務棟の火事の現場に向かった。
火事の真因や事件の背景などは後でエリに聞けば良いのだが、先に現場の様子を確かめておけば、少しは質問の的を絞れるだろう。
事務棟に近づくにつれ、湿った焦げ臭さが鼻についた。
午前中に見た黒煙はもう消えていたが、空気にはまだ煙の名残が薄く漂っている。
普段なら学生や事務員が出入りしている建物の前には、立ち入りを止める規制線が張られ、私を含めた多くのやじ馬が、離れた場所から黒く煤でくすんだ建物を眺めていた。
守衛室のある側の壁はとくに黒く、窓枠の周りには焦げ跡が広がっている。水を浴びた壁面はまだらに濡れ、石畳の上には消火の水が細い筋を作って流れていた。
規制線が引かれた内側では、火事の原因を調査している治安局員とおぼしき人達と、消火活動の後始末をする学園の事務員達の姿があった。
あの守衛室の奥には書庫があったはずだ。
書庫には試験問題、答案用紙などの大事な書類に加えて、高価な器具も保管されている。教授の付き添いで、講義で使う機械を運び出すのを手伝った事がある。
いま職員の人達が、並べて拭いたり、煤を払ったりしている物も、書庫から運び出したものだろう。
ルッシェリーナが言っていた、油を染み込ませた古布というのは、たぶん機械油を使ったのだろう。学園内にも機械は多いし、整備用の油なら不自然ではない。
けれど、もし本当に軍の諜報部が関わっているのなら、燃料油や灯油のような、一般人には入手できない可燃物を使う事だってできるはずだ。
私達の世界では、皇国に限らず可燃物は大変厳しく管理されている。というのも、ほとんど誰でも点火魔術が使えるためだ。
私を含めた普通の人の点火魔術は、指のすぐ先に火花を散らせる程度のものだ。でも点火魔術を極めれば、かなり離れた場所からも点火ができる。
そして、魔力は遮断する事ができないため、どんなに丈夫な格納容器に入っていても、外から簡単に点火できてしまう。
だから、この世界では火薬はほぼ使われていない。燃料油や灯油などの引火しやすい液体も、世間一般には出回っていない。可燃性の高いものを流通させるには、酸素を完全に遮断するなど徹底した対策をしていないと、容易に放火されてしまい非常に危険だからだ。
こうした点火魔術があるがゆえに、エリから聞く異世界と私達の世界の文化や技術の間には、様々な違いが生じているようだ。
火薬がないので武器として〈銃器〉は全く使われていないし、異世界で車の動力によく使われている〈ガソリンエンジン〉もこの世界ではほぼ見かけない。
街全体の電化が進み、曹達離子電池が普及してきた近年の皇都内は、鉄道だけでなく車も電気動力がほとんどだ。
もちろん、貨物用途では高出力の骸炭燃料による高圧蒸気が主流だし、蒸気車や馬車も電化が途上にある地方ではまだ使われている。けれども、内燃機関をつかっているのは特殊な軍用の用途くらいではないだろうか。
そうそう、点火魔術による文化の差といえば、まだ小さい頃にエリから聴いた物語を思い出す――。
薄幸の少女が雪の中で物売りをする異世界のお話だった。
その少女の扱う商品〈マッチ〉が使い捨ての簡易発火装置だと説明を受け、「そんなものを買ってくれる人がいるわけないじゃん!」といって、泣いて深く同情したものだ。
でも今になって考えると、商品を『火口綿』に置き換えれば、こちらの世界の物語としても違和感はないかも。
火口綿は、点火魔術の火花で着火し、木屑などを経由して木炭に火を付けるものだ。まだ電熱炉を使っていない家庭ならば必ず常備している消耗品だ。
そんな益体もない事を考えながら、事務棟の様子を一通り確認し終えると、私は人目を避け、少し離れた場所に移動して、エリを呼び出した。
「エリ、もしかしてこの火事は、カレフィーネが巻き込まれた不正に関連している?」
『関連している』
「……嫌な予感はしていたけど、やっぱりか〜」
無関係であって欲しいという私の一縷の望みは、あっさりと絶たれた。
「証拠隠滅が目的かな?でも、いまさら答案用紙や受験票を燃やしても仕方がないよね?」
『目的は書類の焼却ではない』
異世界の推理物語では放火といえば証拠隠滅の常套手段だ、そう思って尋ねたのだが違うようだ。
「それで、誰がどんな目的で火事を起こしたの?経緯を教えて?」
『この火事の犯人は軍の諜報部員で、受けた任務は不正で使われた魔署紋の複製器具の回収。職員達の会話を盗聴し、回収対象が事務長室から事務棟の書庫に移動された事を確認。書庫の管理が思いのほか厳重で忍び込むのが困難だったため、火事の混乱に乗じて回収するという強行手段を選択した』
――諜報部が犯人だったかー。それにしても放火とは強引な……。
私は思わず黒く煤けた事務棟の壁を見た。
あの混乱が、たった一つの器具を回収するために起こされたのだと思うと、胃のあたりが重くなる。
「そもそも、魔署紋の複製器具なんて大事な証拠品じゃない。どうして書庫にあったの?」
『学園が証拠品として保管していたため』
「でも、なんで治安局で管理していないの?」
『学園はまだ不正事件を治安局に届け出ていない。事務長達も事情聴取の名目で学内に留め置き、詰問を続けている』
「えっ、隠蔽しているって事?」
『事件の公表は、不正を依頼した貴族との交渉材料』
「交渉……?」
不正を依頼した貴族にとって、この事件は致命傷で政治生命に関わる。
一方学園も、表沙汰になり管理責任を問われるのは避けたいが、内部で発見して被害者救済までしているので、まだ弁明の余地がある。
そこで、学園は事件の公表を交渉材料として、貴族に補償と処分を求めているらしい。
「知りたくなかった、大人の汚い世界……。説明会について口止めされているのも、そういう裏事情があるからなんだね……」
――まあどんな形でも、その貴族が苦労するなら、私にとっては「ざまぁ」で良い。だけど、ルッシェリーナなどが聞いたら憤慨しそうだなー。
その交渉のために、魔署紋の複製器具を含めた事務長達の所持品一式は、証拠として施錠管理できる書庫に移されたというわけだ。
「なるほど。でも諜報部は交渉の決着を待てなかったって事かな?」
『諜報部は、回収対象が治安局に押収される事を強く警戒。治安局に正式な証拠品として扱われれば、器具の出所だけでなく、諜報部内の管理責任まで追及される可能性が高いと判断。そのため交渉の決着を待たず、工作員の即時派遣を決断』
諜報部にしてみたら、交渉より秘密保持の方が大事だもんね。もしかすると、学園は諜報部の関与を把握していないから、そんな交渉をしているのかも……。
「それで結局のところ、その諜報部員は、狙いの品を無事回収したのかな?」
『回収対象の魔署紋の複製器具は、撮影機と現像器を組み込んだ写像機の組み合わせで、撮影機の回収には成功。写像機は書庫内に見当たらず、回収に失敗』
「え〜、職員達の会話を盗聴したんでしょ。どこに置かれているのか、ちゃんと確認しなかったの?もしかして新人の諜報部員なのかな?」
私は異世界の喜劇物語に出てくるような、ちょっと間が抜けていて、面白味のある諜報部員を想像して聞いたのだが――
『回収失敗は不可抗力。火事の直前に、書庫から誤って持ち出されたのが原因。この諜報部員は、これまで何度も潜入工作を成功させてきた達人』
諜報活劇に出てくるような、凄腕の切れ者諜報員の方でしたか。これから『凄腕さん』と呼ぶとしよう。
「じゃあ、その回収品を書庫から持ち出したのは誰?」
『学内にある新聞社の記者。学園の事務局から通常の写像機を借り受ける事になっていた』
「という事は、今その写像機は新聞社の学園内支部に置いてあるの?」
『新聞社の学園内支部にはない。新聞社の記者が携帯中』
エリに聞いていくと、問題の写像機は、感光膜から現像紙に複写する一般的な写像機のように見えるが、鞄くらいの大きさで携帯しやすいものらしい。
「しかし、困ったね……。凄腕さん――その諜報部員の事ね、には、早めに帰ってもらいたいけど、肝心の回収物がどこにあるのか、凄腕さんには全然わからない状況なんだよね?」
『仮称「凄腕さん」は、すでに新聞社による持ち出しを想定範囲に含めている可能性大。書庫を片付けている事務の職員達の会話を魔術で盗聴し、今朝までの書庫の利用状況を把握中』
「おーすごいすごい!本当に凄腕さんなんだね」
この分ならば、早々に回収に成功してお引き取りいただけそうだ。
「……ん、ちょっと待って。魔術で盗聴ってどうやっているの?」
『凄腕さんは、離れた場所の空気振動を感知魔術で読み取り、その場の会話を把握する事が可能』
「えっ、なにそれ!感知魔術でそんな事ができちゃうの?!」
感知魔術は、魔力を使い物の位置や動き、状態を読み取る技術だ。
日常的にも料理などでは普通に使われるし、私だって財布の中身の確認では無意識のうちに使っている。
ただし、一般的には、手をかざして箱の中を確認したり、触れずに温度を測ったりする程度で、使えるのは手が届くくらいの距離までだ。
離れた会話を盗み聞きできるというのは、私が知っている感知魔術とは別物に近い。
授業では「操作」と「感知」の二つが魔術の基礎だと習う。物を動かすのが操作で、物の状態を読み取るのが感知。
少なくとも学生向けには、そう区別して教えられている。
けれどエリに言わせると、感知も結局は、対象へ働きかけるのに必要な魔力量の変化を感じ取っているだけらしい。意志の力で確率分布を偏らせるという根本原理は、操作も感知も同じなのだとか。
つまり、遠距離から点火魔術を操るだけの魔力制御技術があれば、空気の震えを声として感知する事もできるのだろう。……理屈の上では。
いやいや、そんな事よりも――
「もしかして、凄腕さんは今もこの火事現場の近くで情報収集しているの?」
『やじ馬に紛れて、職員や治安局員の会話を盗聴中』
――冗談じゃない!そんな離れ業ができる感知魔術の達人のそばで、賢者の石なんぞ使っていられるものか!
「撤収!撤収!撤収!いますぐに、この場を離れよう!!」
悪魔: 知恵の悪魔は魔術の直接観測は不能。行使結果と本人説明から魔術を判断。




