第11話 新聞社
思いもよらぬ『凄腕さん』の能力に驚き、慌てて寮の部屋に戻るとカレフィーネは不在だった。エリに確認してもらうと、彼女は新しい講義の教材を買いに学園の外まで足を伸ばしているので、しばらくは帰ってこなさそうだ。
とにかく、まずは凄腕さんが私を認識していないか調査してもらわないと落ち着かない。
エリにお願いすると『凄腕さんがミリアナを認識している様子はない。これまで賢者の石との会話を聞かれた事もない』との回答で、ほっと息をついた。
――やれやれ、ほんと心臓に悪いよ〜。
私は椅子に腰を落とし、胸元の賢者の石を指先で押さえた。
「それで、凄腕さんはいまどうしているの?」
『まだ火事現場の周辺で情報収集中。事務員の会話から、昨日、新聞社が書庫から機材を持ち出した事実を把握。ただし、それが回収対象の写像機か確証がない模様』
「えっ、新聞社が持ち出したってわかっているなら、もう新聞社に行けばいいんじゃないの?」
『判断は保留中。事務局の貸出記録では、通常の大きさの据え置き型写像機の貸し出しとして処理済み。昨日の書庫には事務員、学園職員、学生助手など複数の出入りがあり、火事後の搬出物も多い。凄腕さんは、新聞社に限らず関係者を順に確認する必要があると判断』
「えー、しらみつぶしって事?」
『凄腕さんの独り言を要約すると「くそ面倒だが、一箇所ずつ調べていくしかないか……」』
それを聞いて、私は机に額を押しつけた。
遠隔の声を拾える優秀な諜報部員が学園内をうろつき、関係者を順番に調べていく。そんな状況、考えただけでも怖すぎる。どこで盗聴しているのかわからなければ、うかつに賢者の石を使えないではないか。
――早く帰って。お願いだから一刻も早く帰って。
そもそも私にとっての最善は、凄腕さんが目的の写像機をさっさと回収し、何事もなかった顔で学園から消えてくれる事だ。
学園の不正事件がどうなるかは気になるが、証拠品が一つくらい消えても大勢には影響ないだろう。
「……ねえエリ。凄腕さんが新聞社に確認に行った時に、そこに捜している写像機があるってわかる会話を、私がそれとなく引き出したら、早く帰ってくれるかな?」
『回収対象の所在特定が早まる可能性大』
「だよね」
もちろんこれは、目立つ事を避けるという私の信条に反する行動だ。
諜報員が盗聴している場所にあえて行くなんて、普段なら考えもしない危険な行為なのは間違いない。
だが、いまのままでは凄腕さんが学園内を長時間徘徊する。いつ偶発的に遭遇するかわからない状態よりも、確実に把握している場所で情報を渡す方が、まだ安全ではないだろうか。
私がただの見学人として新聞社の支部を訪ねただけなら、目を付けられる危険は少ない……と思う。
私は深呼吸をした。
新聞社には前から興味がある。
記事がどう作られるのか、どんな機械を使うのか、記者達はどんなふうに働いているのか。そんな好奇心を隠れ蓑にすれば、不自然さも隠せるのではないか。
――よし、行こう。危険はあるけど、放っておく方がよっぽど怖い!
翌日の昼前、私はエリに凄腕さんの動向を確認した。
『凄腕さんは新聞社の学園内支部を盗聴中』
「来た!」
思わず声が大きくなり、私は慌てて口を押さえた。幸い部屋には私一人しかいない。
ついでに回収対象の写像機の所在を確認すると、まだ新聞社の記者が携帯しているらしい。
目的地がはっきりしたなら、あとは私が自然な顔でそこへ行くだけだ。
鏡の前で髪を軽く整え、胸元の賢者の石が外から見えない事を確認する。いつもと同じ服装、いつもと同じ鞄。
――私は新聞に興味がある普通の女学生。私は新聞に興味がある普通の女学生。私は新聞に……
心の中でひたすらそう唱えながら、私は新聞社の学園内支部へ向かった。
支部は共同研究棟の一角にあり、扉の前には新聞社の名が入った小さな札が掛けられていた。
廊下の向こうからは印刷用の機械が動く低い音と、紙をめくる乾いた音が聞こえてくる。扉の隙間からは、墨液と紙の匂いが混じった独特の空気が漏れていた。
私は扉の前で一度立ち止まり、手のひらを握って開いた。
「すみません。ルッシェリーナはいますか?」
中に入ってそう声をかけると、机に向かっていた中年の男性が顔を上げた。
「ルッシェリーナ嬢?今日はまだ来ていないね。友達かい?」
「はい。同学年のミリアナと申します。彼女が新聞社でお手伝いをしていると聞き、一度見学してみたいと思い……」
最初の声は少し震えていたと思う。けれど、男性は気にした様子もなく、にこやかに立ち上がった。
「おお、見学か。学生さんが新聞に興味を持ってくれるのはありがたいね。危ない機械には近づかないようにすれば、少し案内してあげられるよ」
「ありがとうございます」
ほっと息をつきながら礼をする。すると男性は、壁際に並んだ紙束や、机の上に置かれた原稿、見出しを組むための小さな活字棚を順に見せてくれた。
奥の組版台に行くと、鉛の活字を行ごとに並べるための細長い器具や、校正刷りを取る小さな手押しの印刷機が置かれている。
「本格的な活字鋳造機は本社の工場にあるんだけどね。ここでは見出しを直したり、校正を取ったりするくらいだ」
男性はそう言って、黒く光った機械の把手を軽く叩いた。
支部の中は、想像していたよりずっと雑然としていた。書きかけの原稿、赤で直しを入れられた紙、乾燥待ちの写真、紐でまとめられた過去の記事。人の動きに合わせて床板が鳴り、奥では若い編集者が紙面の余白について誰かと議論している。
――うわぁ、本当に記事を作っている場所だ。
危険な目的で来たはずなのに、並んだ原稿や活字棚から目が離せない。
扱っているのは物語ではないけれど、情報を形にして世の中に広める仕事。やっぱり出版関連の職業には、かなり心が惹かれる。
「これは写真を現像紙に写す写像機だよ。いま置いてあるのは旧型でね、重いし時間もかかるけれど、仕組みを見るにはちょうどいい」
男性は机の上に置かれた箱型の機械を指した。上蓋を開けると、中には感光膜を固定する枠や、光を当てるための小さな照具が収まっている。
「学生事務局から昨日借りてきたのは最新のやつで、もっと小型で持ち運びもできるんだ。いまちょうど記者の一人が持ち出しているので、見せられなくてごめんね」
「いえ、旧型のものを見せていただければ十分です」
私はできるだけ自然にうなずいた。
――やったー!これで盗聴している凄腕さんも、新聞社が回収対象を持っている確証を得ただろう。危険を冒して新聞社支部に来た甲斐があったってもんだよ。
心の中で自分に称賛を与えていると、入口の扉が開いた。
「ちぃーす」
「おう!火事現場の取材お疲れ!」
入ってきたのは、肩から鞄を提げた若い記者だった。袖口には煤の跡がうっすら残っている。昨日の火事現場から戻ったばかりなのだろう。
案内してくれていた男性が、ちょうど良かったと手を打つ。
「事務局に借りた最新式の写像機って、お前が持っていったんじゃなかったっけ?」
「ああ、あの使い方がよくわからない携帯型の写像機ね。あれなら、ついさっきルッシェリーナ嬢に渡したよ」
――えっ!
「なんか大きな特種を掴んだみたいで、部屋で記事をまとめたいからって、強引に持っていかれてしまったんだよね」
――えええっ!!!
私の背中を、冷たい汗が一筋流れた。
ルッシェリーナ。部屋。写像機。
その三つの言葉が、頭の中で嫌な形に組み上がっていく。
「……すみません。急用を思い出しました。案内してくださって、ありがとうございました!」
私はそれだけ言うと、ほとんど逃げるように新聞社の支部を飛び出した。
悪魔: 出かける前に回収品の所在を聞いてくれたら、展開は変わっていたはず。




