第12話 取材
学生食堂の喫茶室は、昼食の混雑が引いた後で、ほど良く空いていた。
ルッシェリーナが窓際の席に座ると、外の通りを行き交う学生達の姿がよく見える。
講義の登録期間らしく、誰もが手に申請書や教材の包みを抱え、あちらこちらで新しい講座の噂を交わしていた。
ルッシェリーナは茶器の横に取材帳を置き、余白を静かに眺める。
セルヴィンはまだ来ていない。約束の時間より少し早く着いたのは、ルッシェリーナが話を聞かせてもらう立場だからだ。
けれど待つ時間ができると、どうしても思考は余計な方へ流れてしまう。
――『斎』家
ルッシェリーナの家名であり、祖母が誇り、そしてルッシェリーナを何度も息苦しくさせてきた名だ。
斎家は、かつて皇室儀礼や国家式典を取り仕切る名門として知られていた。祖母は今でもその時代の話を、まるで昨日の事のように語る。
けれど大革新の折、斎家は女皇陛下と真っ向から対立し――そして完敗した。
祭事における斎家の権限は大幅に縮小され、皇都周辺の中豊平原各地にあった所領を全て失った。
それでも陛下に敵対した貴族としては比較的ましな方だ。家の名は存続し、昔からの屋敷とその周辺の土地も残っているのだから。
――もし斎家があの件に関わっていたら、きっとわたくしはこの世に生を受けていない……。
斎家は今でも貴族としての地位を保ち、儀礼にまつわる知識も、親族が昔から守ってきた人脈も残っている。それだけ残されたのなら、失ったものばかりを数え続ける必要はないはずだ。
でも、祖母はそれでは満足できないのだ。
先日、休暇で実家に戻った時も、祖母と母はルッシェリーナの顔を見るなり、学園で良い縁はできたのかと尋ねてきた。興味があるのは斎家にとっての利であり、ルッシェリーナの気持ちには少しも目を向けようとしない。
そのような言葉を聞くたびに、ルッシェリーナの胸の奥に冷たい澱が溜まっていく。
――わたくしは、家のために学園にいるのではない。
小さな頃から家庭教師に囲まれ、この学園に入学するための勉強を叩き込まれていた。家の者達はそれを当然の事として受け止めていたし、ルッシェリーナも疑わなかった。
斎家の娘として学園に入り、家に役立つ人脈を作り、家の力を少しでも回復させる。それが自分の道なのだと、幼い頃は信じていた。
けれど学園には、家のためではなく、自分自身のために努力している人達がいた。
カレフィーネもミリアナも、自分の進む先を、自分で考えて、自分で決めている。
彼女らは、周囲の助力もルッシェリーナに比べて少なかったはずだ。それなのに、目標に向かって努力を続け、厳しい学園の中でここまで成果を出し続けている。
「うん、自分で決めた事だからねぇ」――揺らがないカレフィーネの芯の強さを知り、憧れた。
「好きな事をするためなら、いくらでも頑張れるよ」――ミリアナの能天気さに毒気を抜かれ、悩む自分が馬鹿らしくなった。
――わたくしは、家から逃れるために記者を志しているのだろうか?……いいえ、違う。そうではない。
事件を追い、人の話を聞き、事実を形にする。誰かの都合で隠されたものを読者の前に運び出す。
それは、斎家の娘ではなくルッシェリーナという個人が、自分で考えて自分で選んだ道だ。
その思いを確かめながら、取材帳の表紙をゆっくりとめくった。
――さて、セルヴィンさんが来る頃合いですね。
ルッシェリーナは思考を戻して、セルヴィンが来る前に取材のおさらいをしておく事にした。
今回の件は、どう考えてもただの事務手続きの誤りではない。
まず、カレフィーネの落第。
学園の発表では事務上の不備とされているが、それにしては関係者の動きが不自然だった。
問題が解決した後、事務長と一部の事務員がぱたりと姿を見せなくなったのも気になる。
次に、貴族界隈で流れてきた噂だ。
『鎮』家の長男の進学が取り消されたらしい。何か不祥事が明らかになったのではないかという話がある。
鎮家は軍部と結びつきの強い家だ。噂の真偽はまだ不明だが、もしカレフィーネの落第と同じ時期に動きがあったのなら、偶然と片づけるのは難しい。
そして今朝の火事。
事務棟の守衛室付近から出火し、書庫にも煙と水の被害が出た。あの書庫には試験関連の書類も保管されている。火事が証拠隠滅を狙ったものだとすれば、点と点が一気につながる。
もちろん、まだ記事にするには足りない。憶測だけで書くのは、新聞ではなく風聞雑誌だ。
けれど、今回は身近に情報源がある。カレフィーネ、ミリアナ、そしてセルヴィン。
昨日の昼食の様子からして、カレフィーネからあれ以上の情報を引き出すのは難しそうだった。成績説明会の申込みには秘密保持の契約が含まれているという。この事件の被害者である彼女に、あまり無理なお願いはできない。
ならば、まずはセルヴィンから情報を引き出す。
彼は成績説明会の申請費用を貸した人物だ。ミリアナが説明したように、ただ財布を拾った礼として10札幣を貸しただけなのか。それとも、彼の実家の商会がどこかの貴族とつながっているのか。
取材帳に箇条書きした確認事項を眺めていると、喫茶室の入口で大きな声がした。
「ルッシェリーナさんはいますか?」
あれがセルヴィンだろう。
ルッシェリーナがそちらに顔を向け、片手を上げると、ルッシェリーナの席へ向かってまっすぐ歩いてくる。周囲の学生からの視線は気にしていないようだ。
ルッシェリーナも立ち上がり挨拶をする。
「セルヴィンさんですね。はじめまして、ルッシェリーナと申します」
「よろしく、セルヴィンだ。もしかすると、待たせてしまったかな?」
「いいえ、わたくしが少し早く来ただけです」
席を勧めると、セルヴィンは恐縮しながら椅子に腰を下ろした。
「今日は、取材のためにお時間をいただき、ありがとうございます」
「取材を受けるなんて初めてなので、緊張するよ。それで何が知りたいんだっけ?」
「カレフィーネが事務局の手違いで落第と判定された件について、お話を聞かせてください。まずはカレフィーネとのご関係を伺っても?」
「カレフィーネさんとは、彼女の成績説明会の件で初めて話したかな。もともとはミリアナさんの紹介だよ」
「ミリアナの?」
「ああ。彼女には以前、財布を拾ってもらった恩がある。その縁で説明会の申請費用を頼まれたんだ」
昨日ミリアナから聞いた説明と同じだ。だが、セルヴィンは財布の話をした時、ほんの少し視線を泳がせた。
――やはり、何かありそうですね。
ルッシェリーナは茶器に手を伸ばし、何気ない声で続ける。
「財布を拾ったお礼として、10札幣を貸すというのは珍しいのでは?」
「そうかもしれない。でも俺は、ミリアナさんの友人を思いやる気持ちに心が打たれたんだ。もちろん、彼女に対する恩義も強く感じているけどね!」
セルヴィンはそう言って、勢いよく胸を叩いた。
なるほど、少なくともセルヴィンがミリアナを恩人として、感謝しているのは本当のようだ。一部の噂で聞いたような、弱みを握って脅しているという線は薄そうに思える。
「では、成績説明会について、あなたはどこまでご存じですか?」
「俺は申請費用を貸しただけの部外者だからね。詳しい事は、カレフィーネさんに聞いてほしい」
「説明会の後、何か変わった事などは?」
「カレフィーネさんが無事に学園に残れたと聞いて、本当に良かったと思っているよ。それ以上の事は、俺からは話せる立場にないな」
――肝心な部分については、やはり話してくれないか。見た目から想像するよりも口が固いですね。
「ならば、セルヴィンさんのご実家の商会について伺ってもよろしいでしょうか。織物だけでなく、繊維や紙料の流通にも関わっていると聞いています。取引先の中に貴族家やその関係商会は含まれますか?」
「貴族?」
セルヴィンは困惑気味に眉を寄せ、少し考え込んだ。
「うちの商売は仲介業だからね……。少なくとも俺が知る範囲で貴族家との直接の取引はないかな。父なら把握しているかもしれないけど、俺はまだ商会の全ての取引を教えられているわけではないから……」
――質問の意図を把握しかねているようですね。嘘をついているようには見えない……か。
取材帳に短く書きつける。これ以上押しても、今日は新しい情報は出ないだろう。
「ありがとうございます。たいへん参考になりました」
「もし役に立てたなら良かったよ。ミリアナさんやカレフィーネさんのためにも、何かわかったら俺にも教えてくれる?」
「記事にできる段階になりましたら」
「ははは、まあそうだよね」
そう答えると、彼は納得したようにうなずいた。
セルヴィンと別れ、ルッシェリーナは取材帳を鞄にしまった。
得られた情報は多くない。けれど、ミリアナに話を聞けばもう少し輪郭が見えるかもしれない。
彼女は日頃はおとなしそうに振る舞うが、調子が出ると口数が増える。カレフィーネ抜きの場であれば、少しは口が軽くなるだろう。
――さて、今日の取材内容は忘れないうちにまとめておきたいし、一度寮に戻りましょう。
貴族寮へ向かう道は、午後の光で白く明るかった。
ルッシェリーナは、寮の入口に立つ守衛に挨拶をして中に入り――そして、足を止めた。
入口をくぐってすぐの場所に、ミリアナが立っていた。
肩で息をし、額には大量の汗が浮かんでいる。頬は赤く、髪も少し乱れていた。まるでここまで全力で走ってきたかのようだ。
「ミリアナ、一体どうしたの。すごい汗だけど大丈夫ですか?」
悪魔: 取材を受けると、自分の発言がどのような記事になるのか気になるもの。




