第8話 成績説明会
「親族の方および弁護士の資格をお持ちの方以外は、入室をご遠慮ください」
カレフィーネは案内の事務員に促されて会議室に入室した。
背後からミリアナが声を掛けてくれる。
「カレフィーネしっかり!後悔しないようにちゃんと確認しなよ!」
振り返ると、心配そうな表情のセルヴィンと並び、こぶしを握って励ますミリアナの姿が目に入った。
この成績説明会を申請すると決めた時に決心した。決して悔いを残さないように、自分自身もできる事は全てやると。
だからもう大丈夫。
カレフィーネはにっこりと精一杯の微笑みを返し、会議室の扉を閉めた。
この会に向けたミリアナの働きぶりは、目を見張るものがあった。
普段から少しぼうっとしているようで、時々驚くほど博識だったり、鋭い洞察力を発揮する子なのだが、今回はいつもの控えめなふりをかなぐり捨てて、積極的に準備を進めてくれた。
セルヴィンから10札幣を借り受けただけではなく、申請書の書き方や提出のしかたまで――
「あの事務員は意地悪でなかなか受理してもらえないので、別の人が窓口にいる時に申請したほうが良いらしいよ!」
あまり交友関係を広げたがらないくせに、そんな情報をどこからか仕入れて助言してくれた。
答案の内容に自信はあった。けれど、もしかしたら自分でも気づかない失敗をしていたのかもしれない。
そう考え始めると、頭の中で同じ不安ばかりが回り続けて、何も手につかなくなった。
でもこのまま退学になれば、きっと今後の人生で何度も思い返す事になる。「あの時自分は何を間違えたのだろう……」と。
自分で失敗を直視して受け止め、それを乗り越えなければ、後悔を抱えたままずっと立ち止まってしまう。
ミリアナは、そんなあたりまえの事に気づかせてくれた。
――このあと退学になっても、ミリアナとセルヴィン先輩にはしっかりと恩を返そう。
そんな前向きな気持ちで会に臨む事ができた。
会議室には、既に二人の事務員と年嵩の女性が座っていた。
採点の担当者であろう女性の顔を見た瞬間、思わず背筋が伸びた。椅子に腰掛けているだけなのに、こちらの姿勢まで正されるような鋭さがある。
――あれはディアネリス教授では!
ディアネリス教授といえば、国家財政や産業計画を支える実用算術の権威として陛下から『賢』の字を賜るほどの実績があり、この学園の教師陣の中でも最上位に数えられる人だ。学生どころか若い教師でさえ、廊下で姿を見かければ道を譲るような相手である。
なぜその人が、このような会に参加しているのだろう。
遅れて入ってきた事務長も、ディアネリス教授を見てぎょっとした。
「この会は、お忙しいディアネリス先生に参加いただくほどのものではないかと……」
「なんだい。私の作った問題に文句が付くかもしれないんだ。参加したっていいだろう」
事務長はしばらくディアネリス教授を説得していたが、彼女の意思が固いとわかると、ようやく諦め、会を始めるよう指示を出した。
「それでは、成績説明会を始めます。――まず出席者と立場の確認を行います。この説明会を申請されたカレフィーネさんからどうぞ」
事務員が進行役となり、最初にカレフィーネが自己紹介を行う。
「第58期一般入学生のカレフィーネです。本日は私の申請に基づき、このような場を設けていただきありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします」
ディアネリス教授の冷たく分析するような視線が怖いが、手をしっかり握って震えを隠した。
事務員が他の参加者を紹介し、続けて封書を開封し、中から試験用紙を取り出す。
「今回開示対象となるのは、二等級算術講座の冬期末試験におけるカレフィーネさんのこの答案です。得点は48点でした」
点数を聞いて胸がきゅっと縮むのを感じながらも、意を決して事務員が机の上に広げた答案用紙を覗き――
「えっ!」
――全く見覚えのない内容に、思わず叫んだ。
「これは、私の答案ではありません!!」
会議室には一瞬沈黙が落ちた。しかし事務長が小さく咳払いをすると、事務員は手元の書類束をめくり、一枚の受験票を抜き出した。
「……この番号の受験票は、あなたのものですよね?」
そこにはたしかに番号と共に自分の署名が書かれている。でも、答案用紙は内容だけでなく筆跡も自分とは全く異なっており、これは間違いなく他の誰かのものだ。
「答案自体を拒絶するのであれば、採点の説明など不要という事だな。よしっ、もうこの会は終了だ」
「待ってください!」
事務長が締めようとするのを、必死で留める。
――ようやくわかった!きっと私は何かの不正行為に巻き込まれたのだ。ここで相手に主導権を与えてはいけない。
「この受験票は本当に私のものでしょうか?署名の確認をお願いします!」
「ちっ、面倒な事を……。おいっ、顕紋照具を――」
事務長が事務員に声を掛けるが――
「いいえ、結構です。顕紋照具は持ってきています」
カレフィーネは事務長の顔をまっすぐ見て、懐からセルヴィンの商会から借り受けた顕紋照具を取り出した。
――すごいよ。ミリアナは最初からこれを心配して、セルヴィン先輩に顕紋照具を借りたのね。
それまでつまらなそうな顔で、深く椅子に座っていた事務長は、彼女の手の顕紋照具を見ると、血相を変えて大声を上げた。
「なんだと!いや認められん。そんな学生が持っているような顕紋照具は信用できん!」
だが、事の成り行きを楽しむように、ディアネリス教授が横から口を挟む。
「おいおい、そんなのあんたらの照具と、嬢ちゃんのと両方で確認すれば良いだろう。それともなんだい、確認されては困る事でもあるのかい?」
「これは事務局の問題です。採点についての説明はもう不要なので、この場は我々に任せてディアネリス先生は退席いただきたい」
「阿呆か、こんな面白そうな状況でそんな要求をのむわけないだろう?」
会議室内が混迷を極めたその時――背後から扉を叩く音が響き、カレフィーネの後ろで扉が開いた。
「誰だ、今は会議中だ!関係者以外は入室できん!」
「申請者の親族には参加資格がありますよね?」
聞き覚えのある声に振り向くと――
「申請者カレフィーネの兄です」
「人を呼び出しておいて遅かったじゃないか、フェルディオ」
「ディアネリス先生には長らくご無沙汰しており申し訳ございません。先生はお変わりないご様子で安心しました」
「……兄さん」
三年ぶりに会う異母兄の姿があった。
◇ ◇ ◇
会議室前の待合広間で長椅子にセルヴィンと並んで座る私には、心の余裕があった。エリに中の様子を聞くまでもない。
係の女性に案内され、洗練された身なりの若い男性がカレフィーネ達の会議室に入っていくのを見て、私は勝利を確信した。
――よし、エリの予測通り間に合った。どうやら、あの人がフェルディオだね。
カレフィーネの異母兄フェルディオ。
彼の存在はカレフィーネに届く手紙で以前から知っていた。
カレフィーネは、自分の家庭の話になるといつも笑顔ではぐらかすので、これまでは深い事情には踏み込まずにいた。
けれど今回は、事務長達の不正を確実に暴くための札が必要だった。カレフィーネ側の関係者で、魔署紋の偽造を確実に見抜ける人物だ。
エリに確認してもらうと、フェルディオは財務局に勤めており、なんと上級顕紋魔術師の資格を持っていた。しかも彼は、返事が来ないのにもかかわらず、毎月欠かさず手紙を送るほどに、異母妹のカレフィーネを大事な家族として気にかけていたのだ。
封筒に書かれていた住所までは記憶していなかったのでエリに聞き、少しだけカレフィーネに後ろめたい気持ちもあったが、内緒で彼女の窮状を訴える手紙をフェルディオに送った。
すると……いつの間にやら盤石のカレフィーネ支援体制が構築されていた。
――手紙で不正の存在を仄めかしたのが功を奏したのかな?
フェルディオが恩師であるディアネリス教授に電話で連絡を入れると、ディアネリス教授がカレフィーネの成績説明会に立ち会うと言い出したのだ。
実は学園側も、あきらかに学力不足の学生が進級できているのを、不審に感じて調査を行っていた。ただし内部の犯行までは想定できておらず、試験中の不正行為を疑っていたようだったが……。
――フハハハハ……ここまで揃えば、事務長がどれだけごまかそうとしても逃げ切れまい!
私が中でのやり取りを想像しながら会議室の扉を見つめていると、隣でセルヴィンがつぶやいた。
「今のは……もしかしてフェルディオさんか?」
「知っている人なんですか?」
「ああ、たしか数年前に学園の専門研究士を首席で卒業した人だ。あの若さで財務局の出世頭で、将来の局長最有力候補と言われている傑物だよ。俺はいま官僚になるための就職活動をしているんだけど、よく名前を聞く有名人だ」
専門研究士とは、各機関に所属しながら皇立高等学園にも籍を置いて研究を続ける身分だ。卒業生のうち学園から推薦を受けたものだけが進路として選ぶ事ができる。
「出世頭」とか「傑物」とか、物語の中でしか使われない言葉だと思っていたのに、こんな身近で聞く事になろうとは……。
エリからは、今回の件に必要な情報以外を聞いていなかったけど、フェルディオは想定以上の要注意人物だったようだ。
――頼っておいてなんだけど、平穏に生きるため、目をつけられないように気をつけよう……。
そんな話をしていると、しばらくして会議室の扉が開き、中からフェルディオがディアネリス教授と共に出てきた。
「いいか、今から学園長に報告してくるから、勝手に話を広めるなよ」
「大丈夫ですよ。私としてもなるべく穏便に済ませたいので」
耳に入った短いやり取りだけで、会議室の中で何が起きたのかは十分に伝わってきた。
その二人のすぐ後ろ、部屋から駆け出してきたカレフィーネが私に抱きついた。
「ありがとう、ミリアナ!あなたの言う通り、あの成績は間違いだった!まだ一緒にいられる」
肩に押しつけられたカレフィーネの声は震えていた。私は背中に手を回し、ぽんぽんと軽く叩く。
「カレフィーネが頑張った結果だよ」
その後、よろよろと出てきた事務長の呆然とした表情を見て、期待通りの結末に至った事を確信した。
――よし、全て狙い通り、あとは不正を裏で仕掛けた貴族がどうなるか、エリに確認してもらえば良い!いやぁ、良かった良かった。
カレフィーネを落ち着かせていると、ディアネリス教授と別れたフェルディオがこちらへ歩み寄ってきた。
「君が手紙をくれたミリアナさんだね。君のお陰で妹を救う事ができた。ありがとう」
近くで見ると、細身に銀縁眼鏡、知的で端正な顔立ちの青年だ。声も柔らかく、こぶしを胸にあてた感謝を示す所作が、非常に様になっている。いかにも只者ではないという雰囲気が、全身からほど良く漂っている。
「お礼に、食事をご馳走させてほしいけどどうかな?」
――いやいやいや、国の中枢に入るような人には認知されたくないんです!私は『妹の友人その一』で十分です!!
心の中で上げた悲鳴を飲み込み、どう断ろうかと冷や汗をかきながら笑顔で視線を泳がせた。
そんなふうにあたふたしていたので、その様子をセルヴィンがちょっと不満げな表情で見ていたなんて事は、あとからカレフィーネに聞いたのだった。
悪魔: 字を賜るというのは勲章をもらうのと同義。『賢』は令和日本における学者への文化勲章よりも少し希少。




