第85話 虹色の紙札
次の週明けの月曜日、私達は講義を休み、皇都南公設賭博場へ取材に訪れていた。継譚商会の仲間も全員一緒に来ている。交渉をしてくれたルッシェリーナとカレフィーネ、それにセルヴィンだ。
休業日は月曜日だけだ。営業の邪魔をせずに見せてもらうには、講義のある日でも仕方がない。私のために3人にまで講義を休ませて申し訳ないと思いつつ、門をくぐると、つい声が出た。
「うわぁ……。ここ、全部が賭博場なの?」
並木道では、蝉の声がうるさいほど響いていた。
道の両側に芝生と花壇が広がり、噴水の向こうには、柱の並ぶ大きな建物がある。遠くには、長い観客席らしい屋根まで見えた。
迎えに出た支配人によれば、競馬場や劇場も含む、国の統合娯楽区域なのだという。その運営を、先日カレフィーネ達が会った貴族の事業体が請け負っているそうだ。
案内されたのは、年会費を払う会員と同伴者が利用する建物だった。
広間には高い窓から光が差し込み、磨かれた床を照らしていた。室内なのに、大きな鉢に植えられた木が枝を広げ、花まで咲かせている。花を見上げたまま歩きかけ、慌てて前へ向き直る。
その先には、庭を眺める喫茶室や盤上遊戯の部屋が続く。子ども向けの部屋には、小さな木馬まであった。
会員ではない一般向けの施設は全体が成人限定だが、こちらは家族連れでも楽しめるようになっている。未成年者が入れないのは、賭博の遊戯室や馬券の販売所などだけらしい。
扉が開くたびに首を伸ばす私を、支配人は丁寧に待ってくれた。
――ちょっと取材するだけのつもりが、賓客のあつかいだね。落ち着かないけど、色々見られるのは嬉しいなぁ。
友人達は平然としている。セルヴィンは、設備や運営について熱心に質問していた。
「こちらが賭博を行う遊戯室です。この場所からご覧ください」
両開きの扉が開かれ、私達は扉の手前から中を覗いた。
休業日でも、未成年者は部屋の中へ入る事は許されていない。扉の外から見せてもらう、という約束だ。
窓のない大広間を、電灯が暖かく照らしている。深い赤の絨毯の上には、緑の布を張った卓と、濃い木目の椅子がゆったりと並んでいた。
派手な飾りは少ないが、縁に細かな彫りが刻まれた卓も、大きな革が貼られた長椅子も、いかにもお金が掛かっていそうだ。
壁際には、投矢式回転的当の設備が並ぶ。中央は紙札遊戯の卓で、入口の受付では、現金を遊戯用の代用貨に換えるのだという。
今は従業員が掃除をしているだけで、絨毯に吸われる足音も、ここまではほとんど届かなかった。
――あんな席で、女剣士は勝負をするんだね。
向かい合う椅子を見ると、札を伏せて相手を探る顔や、次の一枚を待つ仕草まで浮かんでくる。やっぱり、自分の目で見ると違うものだ。
「紙札はこちらにご用意しております」
支配人が廊下脇の卓で小箱を開けると、私はすぐに顔を向けた。
差し出された紙札を、両手で受け取る。表には、薄い金属を貼ったような光沢があった。
手首を少し傾けると、銀色の面に青や緑の光が走り、数字と印がくっきりと現れた。
「あっ、見えた!」
さらに傾けると、数字と印が消え、同じ場所に細かな花模様が浮かぶ。その縁を、虹色の光がなぞっていった。
――これかぁ。これが、光学なんとか模様なんだね。
「……綺麗」
絵柄が変わるところまでは想像していた。でも、その間に、こんなにたくさんの色が現れるとは思わなかった。
未成年だからと一度は諦め、友人達に交渉してもらって、ようやく見られた模様が、自分の手の中で輝いている。
説明を聞くだけでは、この輝きは思い描けなかった。手首の動きひとつで絵柄が消える驚きも、実物を体験した今ならわかる。
――よし!これで、自分の言葉で勝負の情景が書けそうだ。
女剣士が手札を開く場面を思い浮かべながら、今度は目を閉じ、札の表面を感知魔術でそっと探ってみる。表面に細かな凹凸があるらしい事まではわかる。けれど、一つ一つの形は全く追えなかった。どんなに時間を掛けても、私に魔術での読み取りはできないだろう。
カレフィーネにも肩越しに覗いてもらったが、少し札を傾けただけで、彼女には数字が見えなくなった。私にはまだ見えているのに、不思議なものだ。
離れた覗き穴から、手の中で動く札を読み続けるのはかなり難しそうだ。そうなると、背後から覗く設定については、もう一度考え直す必要があるだろう。
「へー、これは凄いな!この模様は、どうやって作るのでしょう?」
別の札を眺めていたセルヴィンが、支配人へ尋ねた。
「製造元から聞いた話ですが、整波光という特殊な光を重ね、細かな縞を薬剤を塗った板に焼き付けるそうです。その原版から金属の型を作り、薄い樹脂へ模様を写す。最後に金属の膜を付け、札へ転写します」
「光で型を作るのですか!昔から、この作り方なのですか?」
「いえ。女皇陛下の大革新の折に、光を作る装置と、それを記録する薬剤が開発され、初めて作れるようになったのです」
札を傾けていた手が、止まった。
――ん?女皇陛下の、大革新?
『風渡りの行商人』の医術は、覇皇が知識を広めるより前の水準に合わせた。道具や町並みも、古い時代のものを思い浮かべてきた。
それなのに、女皇陛下の大革新でようやく作れるようになった札を、女剣士に持たせようとしていた。
苦労して見せてもらった模様は、今も指先で綺麗に輝いている。
――待って。見え方ばかり気にしていたけど、この札、物語の時代に合わないんじゃない?
悪魔: 整波光の発生は〈デジタル技術〉抜きで可能。適切な気体中で放電を起こし、鏡の間で光を往復させて増幅できれば良い。錬金魔術による気体の精製と、鏡に重ねる薄膜の製造技術が実用化を後押し。
悪魔の眷属: 光の波を揃えるのは装置の構造で、魔術で光の振動を操る必要はありません。
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