第83話 看板のない店
貸切車を降りたカレフィーネは、目の前の門を見上げた。
日は傾いていたが、真夏の暑さはまだ引かず、門前に立っているだけで汗がにじむ。
看板も品書きもない。塀の奥に見える建物は、立派な屋敷にしか見えなかった。貴族や大商会が会合に使う、予約客しか入れない料亭だという。
――最近、高級なお店に行く機会も増えたけど、ここはちょっと違うねぇ。
隣のルッシェリーナは、慣れた様子で迎えの店員に声を掛けていた。
皇都南公設賭博場の経営者に面会を申し入れると、間を置かずに了承の返事が届いた。一介の学生が頼んでも、こうはいかないだろう。相手は斎家と同じ派閥の貴族で、裏社会にも顔が利くと噂される人物なのだ。
――斎家の令嬢って、やっぱり重みがあるんだなぁ。
ルッシェリーナがその立場を疎ましく思う気持ちはわかるし、自分も望んで背負いたくはない。それでも、こんな時には感心してしまう。
店員の後ろについて、磨き上げられた長い廊下を進む。足音のほかには、ほとんど何も聞こえなかった。
ルッシェリーナによれば、この店の経営者は皇族と縁の深い財界の有力者で、貴族の派閥争いには中立を保っている。食事に何かを盛られる心配もない、安全な店なのだという。
――食中毒以外の意味で安全って言われると、かえって怖いんだけどねぇ。
若い女性二人だけで会いに来たのだ。そういう心配まで必要な相手だと思うと、肩に力が入ってしまう。
店員が来客を告げ、部屋の扉を開くと、ひんやりとした空気が流れ出てきた。室内には、冷房まで備わっているようだ。
卓の向こうでは、初老の男性がゆったりと椅子に腰掛けていた。こちらへ向いた目には力があり、入室しただけで品定めをされたような気になる。
その背後には、秘書とも護衛ともつかない男性が立っていた。黒い眼鏡に目元を隠し、身じろぎもしない。
――うわぁ。裏組織の大親分って感じの人だぁ。
カレフィーネはいつもの笑顔を保ち、ルッシェリーナの隣に並んだ。
「ご無沙汰しております。ベルサディウス様」
「久しぶりじゃな、ルッシェリーナ殿。いや、見違えた。美しく成長されたものじゃ。さあ、遠慮せずに座るが良い」
こちら側にも椅子は二つ用意されている。できれば先方の付き人のように後ろに立っていたかったが、そうもいかない。カレフィーネは勧められた席へ腰を下ろした。
「こちらは、わたくし達が立ち上げた商会で、営業を担当しているカレフィーネです」
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
鞄から名前と肩書を記した木片を取り出し、相手へ向けて差し出す。挨拶の声が普段どおりに出た事に、少しほっとした。
ベルサディウスは木片へ目を落とすと、口元を緩めた。
「なるほど、継譚商会か。斎家の才媛が商会を始めたという話は、儂の耳にも入っておるぞ。なかなかの活躍らしいではないか」
「まだ始めたばかりで、成果と呼べるほどのものはありません。慣れない事ばかりで、日々勉強しております。多くの事業を成功させてこられたベルサディウス様から見れば、拙い歩みに映るでしょう」
二人が交わす挨拶を聞きながら、カレフィーネは、この席へ自分を送り込んだ友人を思い浮かべた。
ミリアナは、なぜか絶対にカレフィーネが同行するべきだと主張したのだ。
初めは一人で来るつもりだったルッシェリーナも、商会として会うのだから同僚がいた方が良い、と言われてすぐに納得した。
ミリアナ自身も付いて行きたいが、口を滑らせると大変なのでやめておくという。それは賢明だろう。そもそも、こんな席への同席をルッシェリーナが許すとも思えない。
ただ、商会の代表としてなら、商会長代理のセルヴィンの方がふさわしいはずだ。
――私じゃないと駄目っていうのは、何かあるんだろうねぇ。
理由はまだわからない。けれど、ミリアナがこういう突飛な事を言い出した時には、従っておいた方が良い。これまでの経験が、そう教えていた。
ひと通りの雑談を終えると、ベルサディウスが卓に手を置いた。
「さて。儂に頼み事があると聞いたが、どのようなご要望じゃな?」
カレフィーネは、隣のルッシェリーナへちらりと目を向けた。
ここへ来る車の中で、ルッシェリーナから、貴族同士の依頼は借金のようなものだと教わっていた。
頼みを聞いて貸しを作れば、いずれ相手に、それより少し大きな頼み事を聞いてもらえる。時間がたてば利子まで増えるらしい。普通は証文も作らず、誰が誰にどれだけ借りを作ったかは、社交の場で語られる事で記録されていくのだという。
引き受ける側も、金貸しが返済能力を見るように、相手へ貸しを作るだけのうまみがあるかを考える。
今回の用件だけなら、こんな席を設けるほどのものではない。だが、小さな頼みだからこそ、誰が借りを負うのかを曖昧にしない方が安全なのだ。
商会の立場で頼むなら、返せるものも商会で用意できる範囲になる。
ルッシェリーナは姿勢を正したまま、口を開いた。
「継譚商会として、ベルサディウス様が経営されている賭博場を取材させていただきたいのです」
「取材とな?何のためじゃ?」
「わたくし達が提供する物語に、賭博場の場面が出てきます。皇国の実際の様子とかけ離れていないか、確かめておきたいのです。営業時間外に、遊戯室を扉の外から覗かせていただければと考えております」
カレフィーネも、相手の顔を見て言葉を添えた。
「紙札など、実際に使われている道具も見せていただけると助かります。私達はまだ成人していないので、遊戯室には入れませんから」
「ふむ。未成年の者に、立ち入りが禁じられていない範囲で取材をさせてほしい。それが頼み事か?」
「はい」
ベルサディウスは目を丸くした。
ルッシェリーナがそれ以上何も言わないと、今度は眉を寄せ、口を閉じてしまう。
――ああ、依頼の裏を探してるんだねぇ。そんなものはないんだけど。
カレフィーネも口を挟まず、返事を待った。
しばらくして、ベルサディウスは長く息を吐き、椅子の背にもたれた。
「まあ、良かろう。儂は劇場も経営しておる。話題になるような物語を提供する商会と、付き合いができるのは望むところじゃ。その程度の便宜なら問題はあるまい。今日中に、南公設賭博場の支配人へ話しておこう」
「ありがとうございます。では、明日、こちらから賭博場に連絡いたします。この御恩には、継譚商会として、適切な形で報いさせていただきます」
借りを負うのは斎家ではなく、継譚商会。その念押しを聞き、ベルサディウスは鷹揚に頷いた。
カレフィーネも拳を胸に当てながら、ようやく肩の力を抜いた。
その後に運ばれてきた料理は、香りも盛り付けも見事だった。
話がまとまったためか、ベルサディウスの声も柔らかくなった。幼い頃のルッシェリーナの話がいくつも飛び出し、本人が少し困った顔で訂正を入れる。
カレフィーネはほとんど聞き役だったが、箸を止めて笑う頃には、料理の味を楽しむ余裕もできていた。
食事を終え、席を立ったところで、ベルサディウスが苦笑を浮かべた。
「実を言うと、どんな厄介な頼みを持ち込まれるのかと、身構えておったぞ」
「ご心配をおかけしました。申し上げた以上の意図はありませんので、ご安心ください」
「うむ。では、お祖母様にも、体を労るよう伝えておくれ」
「今度会った時に、忘れず伝えます」
穏やかな別れの挨拶だった。
ところが、次に向けられた言葉に、カレフィーネは笑顔のまま動きを止めた。
「カレフィーネさんも、お兄さんによろしくな。仕事熱心なのは結構じゃが、時には肩の力を抜いてもらわんと、儂ら年寄りまで息が切れてしまうでな」
「……はい、伝えておきます」
財務局に勤める兄の顔が、頭に浮かぶ。
今日、兄の話は一度もしていない。それなのに、ベルサディウスは最初から、誰の妹が席に着いているのか知っていたのだ。
カレフィーネは笑顔を崩さず、胸に拳を当てた。
自分がこの席にいるだけで、相手に伝わる事があったらしい。
――うんうん、なるほど。ミリアナが何を企んだのか、わかった気がするぞ。
悪魔: 皇国では、公共施設などには冷房機が普及。普通の一般家庭はせいぜい扇風機。
悪魔の眷属: 冷媒配管の施工がまだ難しいので、室内機と室外機が一体になった機械を使うか、専門業者が個別に設置工事をしているような状況です。
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