第82話 石との問答
〈カレー〉の点数を巡る言い争いは、私が大人の対応をして、ひとまず棚上げする事にした。
何を言われようと、95点を取ったのは紛れもない事実なのだ。ネマリエさんには感謝しているけれど、鍋をかき混ぜたのは私である。
――うん。今日のところは、これくらいにしておいてやろう。
私は椅子に座り直し、机に肘をついた。
料理の採点に気を取られていたが、エリには、ほかにも聞いておきたい事があった。
まずは、カレフィーネが持ってきた新聞の見出しだ。あの銀行の襲撃犯達が、50日以上も逃げ続けているという。
「エリ、あの銀行の襲撃犯達は今どこに隠れているの?」
『皇都の高級住宅街にある屋敷に潜伏。犯行に協力した貴族が保護』
とっくに皇都を離れ、どこかの山奥にでも隠れているのかと思っていた。まさか、まだ同じ街にいるとは。
しかも、協力した貴族というのには、心当たりがある。
「もしかして、私が匿名電報の依頼人欄に、名前を借りた人?」
『その貴族が所有する別宅が潜伏先』
私は眉を寄せた。
あの時、電報の差出人名は「トクメイ」にした。けれど、申し込み用紙の依頼人欄には、犯人達を支援している人物の名前と住所を書いている。
「依頼人の名前は電報には載らないけど、郵便局には書類が残っていたよね。治安局は、そこを調べなかったの?」
『申し込み用紙は回収済み。依頼人欄の情報を秘匿した上で、その貴族を監視し、結果、犯人達の所在の把握に成功』
「えっ、じゃあ、居場所はわかっているのに捕まえていないの?」
『背後関係を調べるため、監視を継続中』
どうやら、わざと泳がせているらしい。
無関係な人を巻き込まないようにと借りた名前が、思わぬところで役に立っていたわけだ。けれど、あの新聞を読む限りでは、治安局が何もできずにいるようにしか見えなかった。
「でも、逃げられたり、また事件を起こされたりしたら困るでしょう。先に捕まえて、話を聞くわけにはいかないの?」
『治安局と軍の主導権争いが関係。犯人達を匿っているのは、陸防部とつながりのある傍系貴族。治安局は、さらに上の軍務閣の有力者が関与していると推測』
捕まえれば終わり、という話ではないようだ。
「先に手を出すと、上の人に逃げられるって事?」
『末端だけを切り捨てられる可能性がある。軍の諜報部が動き、関与の証拠を隠す事態も警戒』
「うわぁ……。やっぱり、そういう話になるんだ」
なるべく関わりたくない。ただ、知らずに危ない場所へ近づくのも嫌だ。逃げるための情報くらいは、聞いておいた方が良いだろう。
「その屋敷って、皇都のどのあたりにあるの?」
教えられた住所は、皇城の正門にほど近い場所だった。
ネマリエさんの店から古書貸本屋へ向かった日、私は都電でその屋敷の前を通っている。車窓から眺めた、塀の続く静かな街並みが頭に浮かんだ。
――怖っ!あんな近くにいたの?!しばらく、あのあたりには近づかないでおこう。
肘をついていた姿勢を起こし、知らずに縮めていた肩を下ろした。
もう十分な気もするけれど、最後に一つだけ、確かめておきたい。
「実際に、軍の上の人が命令した事件なの?それとも、治安局が疑っているだけ?」
『襲撃は、陸防伯である鎮家当主の指示による。軍務卿と諜報伯は、この計画に関与していない』
「……思っていたより、ずっと上の人だった」
軍務卿は、陛下の下で軍を取り仕切る最高責任者だ。その下に海軍部、陸防部、諜報部があり、陸防伯は、その一つを率いている。
遠くの街で起きた事件ならともかく、毎日のように歩き回っている皇都で、そんな人物が銀行襲撃を指示していたとは思いたくない。
「うん。私のような平凡な学生が、どうにかできる話ではないね。あとは治安局にお任せしよう」
そう口にしてから、聞き覚えのある家名に引っ掛かった。
「……待って。鎮家って、カレフィーネが退学させられそうになった、あの成績不正にも関わっていたよね?」
『あの事件も、大元は鎮家当主の指示』
「また、あの家なの?!でも、前の事件で捕まらなかったの?」
『傍系貴族が身代わりとなって犯行を自供。主家まで捜査は及んでいない』
私はため息をついた。
あの時も誰かに責任を押し付けて逃れたのなら、治安局が慎重になるのもわかる気がする。せっかく犯人を捕まえても、本当に命令した者が無事なら、また同じ事を繰り返すかもしれない。
エリから聞いた過去の史実でも、無実の者が汚名を着せられ、本当の悪人の代わりに裁かれた例はいくつもある。
「こういう時こそ、賢者の石で確かめられたら良いのにね……」
もちろん、私が名乗り出るつもりはない。けれど、誰が何をしたか確かめられる石なのだ。長い歴史の中には、そう考えた人もいただろう。
「今までに、裁判で賢者の石を使った事はないの?」
『約1800年前、共和制の国で裁判の審理に利用された例がある』
「やっぱり!それなら、身代わりの自白にも気づけたんじゃない?」
『当初は、偽証を見抜き、誤った裁きを防ぐ役割を果たしていた』
「当初は、って……。途中から、うまくいかなくなったの?」
少し気になる言い方に、私は首を傾げた。
『石の存在を疎ましく思った有力者が、虚言を語る石だと民衆に信じ込ませた』
「本当の事を話していたのに、信じてもらえなくなったんだ……」
『人は真実より、自分が信じたい、耳に心地良い言葉を選ぶ場合がある』
真実を聞き出せても、それが真実だと皆に認めさせるのは、また別の話なのか。
私だって、目の前に知らない石を置かれて、その言葉を信じろと言われたら困るだろう。ずっと付き合ってきたエリだから、疑わずに聞いていられるのだ。
「それで、その後、賢者の石はどうなったの?」
『民衆の前で叩き壊された』
「ええっ?!」
思わず、空いている手を耳当て式受話器に添えた。穴へ差し入れている指先には、いつもと変わらない石の硬さがある。
「壊されたの?じゃあ、今ここにある石は、どういう事?」
『賢者の石が破壊された場合、その機能は世界のどこかにある別の石へ移る』
「そ、そうなんだ……。初めて聞いたよ」
石そのものは壊せても、賢者の石の力を、この世界からなくす事はできないらしい。
私は指先に触れる感触を確かめながら、幼い頃に転んで、この石を石段へぶつけた時の事を思い出した。あの時に割れたのは、石を覆っていた硝子だけだった。
「もしかして、前に石を使っていた人も、それを知っていたの?だから、壊すんじゃなくて、硝子の被膜で覆って隠したのかな?」
『以前の所持者も、破壊によって機能が別の石へ移る事を把握』
「なるほど……。砕いてしまえば安心、というわけでもないんだね」
石を壊しても、その力はどこかへ移り、別の誰かが見つけるかもしれない。それなら、ただの感魔石に見せかけて、誰にも正体がわからなくなるようにした理由も、少しはわかる気がした。
ほかに隠し方はなかったのかとも思うけれど、今は深入りしないでおこう。
私は大きく息を吐き、空いている手で頬をこすった。
銀行の襲撃犯を確かめるだけのつもりが、ずいぶん遠くまで話が広がってしまった。これ以上聞くと、また何か、知らない方が良かった事まで知ってしまいそうだ。
そうなる前に、もう一つの気になる話へ移ろう。
「今日、お店でルッシェリーナ達が、賭博場の話をしていたよね。こっちも話していて、ちゃんと聞けなかったんだけど、どんな話だったの?」
『アンデレジオスが、営業時間外の取材を提案。未成年者の遊戯室への立ち入りは禁止されているが、扉の外から中を覗く事まで禁じる規定はない』
「えっ、それなら、私も見せてもらえるかもしれないの?」
『賭博場の許可があれば可能』
私は顔を上げた。
『風渡りの行商人』の第二部には、賭博場で紙札勝負をする場面がある。部屋の様子も気になるし、見る角度で模様が変わるという紙札も、自分の目で確かめたい。
未成年だからと諦めていたが、見せてもらう方法を相談する余地はあるようだ。
「それで、ルッシェリーナに取材の申し込みを勧めていたの?」
『皇都南公設賭博場の経営者は、斎家と同じ派閥の貴族。ルッシェリーナからの申し入れなら、面会に応じる可能性が高いと助言』
「ああ、そういうつながりか。でも、ルッシェリーナは、実家の名前を使うのを嫌がるでしょう?」
『会談の機会を設けてもらう事には前向き。人脈を使って会っても、交渉は商会員の立場で行えば良い、というアンデレジオスの説明に同意していた』
なるほど。会ってもらうために知り合いを頼るのと、家の威光で要求を通すのは違う。それなら、彼女も納得できるのかもしれない。
――アンデレジオス、やるね!
食卓で、ルッシェリーナが彼の話に頷いていた姿を思い出す。
そもそも、見に行きたいと言い出したのは私だ。彼女が気の進まない人脈まで使ってくれるのに、全部お任せして、良い返事を待っているだけというのも申し訳ない。
「取材を認めてもらいやすくするために、私にも何かできる事はないかな?」
そう尋ねると、エリから一つの案が返ってきた。
私は初めのうちこそ勢いよく頷いていたが、説明を聞き終わる頃には、口元が引きつっていた。
確かに、それなら話は通りやすくなるかもしれない。私にもできそうな事ではある。
ただ、そのための頼み事をする自分の姿を思い浮かべると、どうにも腰が重くなるのだった。
――あんまり気は乗らないけど……。自分から聞いたんだし、頑張ってみるか。
悪魔: 金床に乗せて鋼金槌で叩けば、簡単に賢者の石を砕く事が可能。
悪魔の眷属: 金剛石だって、その方法で砕け散りますからね。
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