第78話 説明会の余熱
講堂の中では、まだ漫画の公募説明会が続いている。
アンデレジオスは「今日はタルシェリオの付き添いで来ただけだから」と、そのまま受付で話し相手になってくれた。
「就職活動などで忙しい時期でしょうに、いろいろと手伝っていただいて、ありがとうございます」
「いや、俺達はみんな、もう内定を貰っているから大丈夫さ」
聞けば、アンデレジオスは財務局、タルシェリオは文化局、カーンバルトは陸防部に属する工廠への就職が決まっているらしい。
さらに進学が認められれば、それぞれの部署に所属しながら、学園の専門部へ通う事になるという。
「アンデレジオス先輩は、確か千重山州の貴族家の出身でしたよね。ご実家には戻らなくても良いのですか?」
「うちは貴族といっても傍系だからね。家名が付いているだけで、暮らしは庶民と変わらないよ。ルッシェリーナさんのところみたいな主家だと、跡継ぎになったら大変だろうけどね」
そこで彼は、少し困ったように笑った。
「実は、俺を主家の養子に、という話もあったみたいなんだ。でも、断ってる」
「養子というと、先輩が家を継ぐんですか?」
「そういう事もあり得るね。けど、『千重山侯』なんて田舎領主の地位には、間違っても就きたくないな」
あまりにもあっさり言うので、私は思わず彼の顔を見た。
アンデレジオスは肩をすくめる。
「管理する区域は広いのに、家に残っている領地は山林ばかりなんだよ。仕事は多いし、その割に家の実入りは少ないし。苦労に見合うとは、とても思えなくてね」
そういえば、先代女皇の土地改革については、授業でも習った。
領主貴族が持っていた農地や鉱山の多くは、国に安い値段で買い上げられた。その一部は国有地として残り、それ以外は一般の農家や民間の商会へ売り払われている。
土地を手放しても、その地方を管理する役目までなくなったわけではないのだ。
千重山侯のような治爵位を持つ領主には、管理する区域の公共事業が国から委託され、予算が配分される。
ただし、そのお金は使い道が厳しく決まっていて、家の暮らし向きが苦しいからといって、勝手に使えるものではない。
しかも、領主本人は商会に所属したり、出資したりする事もできない。家を支える領地からの収益が少なければ、それだけやりくりが難しくなる。
その家の財産さえ、当主個人の財布とは別に管理しなければならないのだという。
――異世界の物語にも貧乏貴族の苦労話は出てくるけど、皇国の領主様も楽じゃないんだね……。
役目を、領地や特権とともに国へ返上する貴族家もある。そうして、領主の代わりに選挙で選ばれた者が治める『民選領』は、少しずつ増えているらしい。
「うちの地元も民選領になってくれれば、気が楽なんだけどな。少なくとも、学生でいるうちは皇都でのんびり過ごしたいよ」
彼はそう言って、閉じた講堂の扉へ目を向けた。
やがて、講堂の扉が開くと、話し声とともに参加者達が次々と出てきた。
説明会が終わったらしい。
皆、手にした資料を見返したり、隣の者に何かを指さして見せたりしている。歩きながらも話が尽きないらしく、扉の近くで立ち止まりかけては、後ろの人に気づいて脇へ寄っていた。
「第2話の、あの場面なんか良いんじゃない?狼から逃げるところを描いてみたいな」
「いやいや、せっかくだから、新聞社で先の話まで読んでから決めようぜ」
そんな会話が、あちらからも、こちらからも聞こえる。
――おお、みんな、やる気に満ちた顔をしているよ。これは応募作品も期待できそうだ!
「友人にも見せたいので、資料をもう一部いただけますか?」
受付にも人が寄り始め、私は再び資料を渡すのに忙しくなった。
アンデレジオスは軽く手を上げて机の脇へ退き、私は礼を言ってから、次の人へ向き直る。
人の流れがようやく途切れた頃、一人の若い女性が机の前に立った。
胸の前で資料を抱え、俯いている。皆があんなに楽しそうに出ていった後だけに、その暗い表情が気になった。
「あの、どうかしましたか?何か、お困りでしょうか」
女性は顔を上げ、おずおずと口を開いた。
「実は私、この『風渡りの行商人』を読んだ事がないの……。今からでも、手に入るのかな?」
「はい。ここでお名前とご住所を記入して、代金と送料をお支払いいただければ、産業日報新聞の既刊号を郵送できますよ」
掲載済みの物語については、新聞社と話がついている。物語の別紙だけを渡す事はできないが、その号の新聞一式なら、再発行の申し込みを受け付けて良い事になっていた。
これで安心してもらえるかと思ったのだが、女性は資料を抱え直しただけだった。
「郵送か……」
「費用が気になるようでしたら、こちらの図書室で無料で読めると伺っています。それから、産業日報新聞でも所定の誓約書を出せば閲覧可能です。そちらなら、掲載済みの分に加えて、これから載る予定のお話も読めますよ」
「いえ、お金は大丈夫なの。そうじゃなくて……」
言いよどんでいた女性が資料を机に置き、その両脇へ手をついた。
そのまま身を乗り出してきたので、私は少しだけ背中を引く。
「今すぐ、手元に欲しいの!郵便が届くまでなんて、とても待てない!」
「な、なるほど……」
明日は祝日で、そこから3連休になる。今夜のうちに手配できたとしても、郵便が届くのは少し先かもしれない。
「でしたら、追加の送料はかかりますが、速達でお送りする事も……」
「今日、家に帰ったら、すぐに描きたいの。この『漫画』を!」
私は、机の上へ目を落とした。
残っているのは説明資料だけだ。今日この場で渡せる新聞の既刊号も、物語の別紙も用意していない。
――そっか。早く読みたいというより、今すぐ描いてみたいんだ。
改めて見ると、女性はじっとしているのももどかしそうだった。机に広げた資料には、漫画の描き方だけでなく、公募の条件も並んでいる。
もしかすると、それを全て守らなければ漫画を描けない、と思っているのだろうか。
公募の締め切りは、まだ先だ。まず技法を試したいのなら、今ここで原作が手に入らなくても困る事はない。
「あの、今日の説明を聞いて、漫画を描いてみたくなった、という事ですよね?」
「そう。だから、早くこの物語を読まないと……」
「それでしたら、題材は『風渡りの行商人』でなくても大丈夫ですよ」
「えっ。そうなの?」
女性は目を見開いた。
私は資料の、公募条件が書かれた部分を指さす。
「ここに書かれている条件は、今回の公募に応募する作品のためのものです。漫画の技法を使って描く事自体は、自由ですから。ご自分で考えたお話でも、身の回りで起きた出来事でも良いんですよ」
女性は、私の顔と資料を交互に見た。
やがて、机についていた手から、ふっと力が抜ける。
「そっか……。別に、好きなものを描いて良いのか……」
小さくつぶやいたかと思うと、資料を両手でまとめ、胸に抱え直した。眉間のしわが消え、口元に笑みが広がる。
「ありがとう!」
拳を胸に当てて感謝を示した女性は、足早に歩き出した。その足取りはすぐに小走りになり、振り返る事もなく広間の向こうへ遠ざかっていく。
もう、描きたいものが思い浮かんでいるのかもしれない。
あの様子なら、家に着くなり紙を広げてしまいそうだ。見送っているうちに、私まで頬が緩んできた。
――うん。こんなふうに喜んでもらえるなら、漫画の技法を自由に広めようと思ったのは、間違っていないね。
机に残った資料へ目を落とす。今日これを持ち帰った人達が、それぞれに描き始めたら、どれだけの漫画が生まれるのだろう。
――世の中に漫画が溢れる日も、案外近いかもしれない!
悪魔: 「◯◯侯」と呼ばれる治爵位は、領主貴族の世襲だが、優秀人材を養子に取り、地位を引き継ぐ事も多い。
悪魔の眷属: 治爵位の権限や責務は、県知事くらいですかね。ちなみに、江戸時代の藩主も、養子が多かったらしいですよ。
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