第77話 扉脇の受付
古書貸本屋へ出かけた土曜日から、数日が過ぎた。
今日は、『風渡りの行商人』を題材とした漫画の公募説明会だ。プリガネトが予言した通り、校内では大きな反響があったらしい。かなりの参加者が見込まれたため、会場には専門校で一番大きな講堂を使わせてもらう事になった。
美術・意匠専門校は、中央駅から歩いて数分のところにある、立派な鉄筋混凝土製の楼館だった。
建物そのものも意匠に凝っていて、一輪挿しをかたどったという外観は、遠くからでも良く目立つ。皇都の名物建築の一つだそうで、今日も入口へ向かう途中、つい足を止めて見上げてしまった。
通っている人達の姿も、なかなか見飽きない。
私達と同じくらいの若者もいれば、白髪のお年寄りもいる。流行を意識した洒落た格好の者が多く、中には、思わず目で追ってしまうほど鮮やかな色の服を着た者もいた。
大きな画板を抱えた人と、仕事帰りらしい鞄を提げた人が立ち話をしている。年齢も服装も違うのに、二人とも、広げた紙を指さす顔は楽しそうだ。
――同じ学び舎でも、制服姿が並ぶ学園とは、ずいぶんと様子が違うなぁ。
私は椅子に座ったまま、ぼんやりと校内を行き交う人達を眺めていた。
説明会は、既に始まっている。
それなのに私が外を眺めていられるのは、広間に面した講堂の入口脇で、受付をしているからだ。机の上には、遅れて来た人へ渡す説明資料が、まだ少し残っていた。
この役目を私に割り振ったのは、ルッシェリーナだった。
きっと、説明会で私が興奮し、言ってはならない事まで口走るのを心配したのだろう。身に覚えがありすぎるため、全く反論できず、おとなしく引き受けた。
実際、開始時刻を過ぎてから駆け込んでくる人も多く、受付には誰かが残る必要があった。
資料を渡し、講堂の中へ案内する。その繰り返しで、初めのうちは退屈する暇もなかったのだが、予定時間の半分ほどが過ぎた今は、新たに訪れる人もほとんどいない。
講堂の中から、「おおっ」と声が重なって聞こえてきた。
続いて笑い声が起こり、私は入口へ顔を向ける。
――盛り上がっているようで結構。きっと説明も順調だね。
準備の時には、私も講堂の大きな壁に映し出された漫画に、すっかり見入ってしまった。
会議室でも十分に大きく見えた猫が、ここでは、もっと大きい。後ろの席からでも、とぼけた顔がはっきりと見えた。あの絵に線を描き足してみせているのなら、今のどよめきも納得だ。
カーンバルトは、約束どおり、しっかり修理した投影機を用意してくれた。
冷却用の送風機は、動かすとかなりうるさいらしい。そこで、送風機を直すだけでなく、熱の出にくい高効率の光源に取り替えるなど、送風機が動く時間を減らす工夫までしてくれたそうだ。
これなら、絵を見せながら話す声も聞き取りやすいだろう。
――そういえば、樹脂製の軽い投影機を作る話も、狙いどおりに進んでいたね。
私は、古書貸本屋で買った専門誌から、樹脂製の輪帯集光板の技術を募る公告を切り抜き、光学研究工房へ匿名で送っておいた。
工房の担当者は、それを受け取った日のうちに、募集元の東浩木業商社へ連絡を取ったらしい。そこから、わずか数日で新型投影機の開発に向けて話がまとまったという。
今は、素材を供給する商会や投影機の製造を担う商会も交え、契約を結ぶ準備を進めているそうだ。
まずは、硝子製の輪帯集光板を樹脂製へ置き換えた試作品が、今月中にできる見込みらしい。うまくいけば、そう遠くないうちに、私達も製品を手にできるかもしれない。
東浩木業商社では、絵を描いて載せる透明薄板の売り先としても、投影機に期待が集まっているという。集光板だけでなく、私達が使ってみせた薄板にも、商売の見通しが立ってきたわけだ。
――商社の中では、セルヴィンや継譚商会の評価も上がったらしいし。この仕掛けは、良い事尽くめだったね!
誰にも言えない手柄をこっそり喜び、机に残った資料の端を揃えた。
それにしても、本格的に暇になってしまった。
行き交う人を眺めるのにも、さすがに飽きてきた。講堂の中が気になるけれど、席を離れた途端に誰かが来るかもしれない。
できれば賢者の石を使い、異世界の物語を聴いて時間を潰したいところだが、これだけ人の通る場所では、何をしているのか目に付きすぎる。
――待てよ。音を小さくして、耳元で聴くならいけるか?
石のある胸元へ目を落としかけ、すぐに顔を上げた。
――いやいや、やっぱり危険すぎる!人が来たのにも気づかず、にやにやしていたら、それこそ何をしているのか聞かれちゃうよ。
一人で首を振っていると、入口の方で「ぷっ」と吹き出す声がした。
そちらを見ると、セルヴィンの友人の一人、アンデレジオスが、扉の前で口元を押さえて笑っていた。
「ミリアナさんって、本当に表情がころころ変わるんだね。カレフィーネさんが言っていた通り、見ていて飽きないよ」
「えーっ!やめてくださいよ!いつからそこにいたんですか?!」
頬が一気に熱くなった。慌てて姿勢を正した私に、アンデレジオスは笑いながら片手を上げる。
「いや、ごめん。ずっと黙って見ていたわけじゃないさ。今、出てきたところだから」
彼は講堂の扉を静かに閉め、こちらへ歩いてきた。
机を挟んで向かいに立つ頃には、ようやく笑いを収めていたが、私はまだ、どんな顔をしていれば良いのかわからなかった。
「そうだ。セルヴィンの成人祝い、俺達も誘ってくれてありがとう。正直、助かったよ」
「いえ、こちらこそ。セルヴィンも、友人達に来てもらえたら嬉しいと思います」
「それもあるけど、教授まで含めて、女性ばかりの中で男一人、お祝いしてもらったなんて話が広まるとね。妙なふうに受け取る奴もいるだろうし」
言われてみれば、私達3人にディアネリス教授、店主のネマリエさんと、見事に女性ばかりだ。料理や日程の事に気を取られて、そこまでは考えていなかった。
「確かに、店主さんまで含めて女性だけですね。でも、セルヴィンは、そんな事を気にしなさそうですが」
「うん、本人はね。ただ、それを騒ぎ立てそうな奴が、身近にいるからさ。ちょっと気になっていたんだ」
「ああ、なるほど……」
アンデレジオスは、閉じた講堂の扉へちらりと目をやった。それだけで、誰の事を言っているのか、なんとなく察しがついてしまう。
どうやら、あの4人の中では、誰かが騒ぎを起こすたびに、アンデレジオスが間に入って収めているらしい。さっきまで私をからかっていた顔にも、そう思って見ると、苦労人らしいものが感じられた。
――うん、ルッシェリーナとは話が合いそうだね!
そう思った途端、頭の中のルッシェリーナが、呆れた顔でこちらを見た。
「あなたがそれをおっしゃるのですか?」と、声まで聞こえた気がした。
悪魔: 商売だけでなく、技術開発においても、需要と供給の橋渡しは重要。
悪魔の眷属: 賢者の石の、健全な使われ方の一例ですね。
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