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石と悪魔と平凡な私 〜世界を越えてカタチを変えて少女は〈物語〉を届ける〜  作者: 銀天儀
第3章

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第75話 祝いの予約

 水曜の定例会を無事に終え、その週の土曜日。私は都電を下り、ネマリエさんの喫茶店へ向かっていた。


 高級住宅街の塀越しに、庭木が枝を伸ばしている。3度目にもなれば、もう地図を開く必要はない。

 電話で約束した時間より早く着きそうなので、歩調をゆるめ、門の脇に咲いた花などを眺めながら歩く。


 今日は、セルヴィンの成人祝いで、お店を貸し切らせてもらう相談だ。電話では用件だけを伝え、詳しい話は伺ってから詰める事になっている。


――ふふふ、電話ではお菓子を食べられないからね。



 角を曲がると、店先に大きな自動車が止まっていた。

 磨かれた車体に、向かいの生垣が映っている。飾りは控えめなのに、扉も窓枠も厚く、頑丈そうだ。車に詳しくない私にも、高価なものだとわかった。


 ちょうど運転手が乗り込むところで、扉を閉めると、車は静かに動き出した。

 道の端へ寄った私を、運転席の青年が一瞥(いちべつ)する。冷たく鋭い目つきに、一瞬、足が止まった。けれど、青年はすぐに前へ向き直り、車はそのまま通り過ぎていく。

 後部の窓は黒く、乗っている人の姿は全く見えなかった。


――さすがネマリエさん。上流階級にもお客さんがいるんだね。きっとお菓子目当てだ。


 遠ざかる車から店へ目を戻し、扉に手を掛ける。


「こんにちは」


 澄(す)んだ鈴の音に、奥からネマリエさんが顔を出した。私を見ると、少し驚いたように目を丸くする。


「あらあら、ずいぶんと早いお着きなのね」

「すみません。お客様のお帰りと入れ違いになったので、もう大丈夫かと思ったのですが……」

「もしかして、お会いになったの?」


 いつもの柔らかな声なのに、目つきだけが真剣だった。私は扉を閉めかけたまま、慌(あわ)てて首を振る。


「えっ、前のお客様の事ですか?いえ、お迎えの車とすれ違っただけですけど」

「そう。それなら良かったわ」


 ネマリエさんは小さく息を吐き、ふんわりとした笑顔に戻った。


――もしかして、偉い人がお忍びで来ていたのかな?


 女皇陛下の下で働いていたのだから、そんな縁もあるのかもしれない。落ち着いたこの店なら、人目を避けてゆっくり過ごしたい人にも、気に入られそうだ。


「さあ、どうぞ。お茶を淹(い)れるから、掛けていてちょうだい」


 勧められるまま、白い卓布(テーブルクロス)の掛かった席へ着いた。ほかに客のいない店内には、奥で茶器を用意する音だけが聞こえていた。

 やがて、紅茶の香りと一緒に、小皿が運ばれてくる。


 今日のお菓子は、淡い色をした小さな丸い焼き菓子だった。ふっくらとした生地を二つ合わせ、その間に甘い乳脂(クリーム)を挟んである。

 一つつまんでかじると、薄い表面がほろりと崩れた。中は思いがけずしっとりとしていて、噛むほどに扁桃(アーモンド)の香ばしさと、濃い甘みが口に広がる。


――ん、この形と扁桃の風味。きっと、エリが教えてくれた〈マカロン〉だ!


「おいしい!これは、何というお菓子なんでしょうか?」

「ふふふ、『扁桃合せ』と呼んでいるわ。女皇陛下が好まれたお菓子の一つなのよ」


 やっぱり、この店に通えば異世界のお菓子を少しずつ楽しめそうだ。遠くても、足を運ぶ価値は十分にある。

 もう一口を大事に味わってから紅茶を飲むと、向かいに腰を下ろしたネマリエさんが、帳面を開いた。


「今日は、先日一緒にいらした彼の、成人祝いのお話でしたね」

「はい。こちらのお店を貸し切りで使わせていただきたいのですが、大丈夫でしょうか?」

「ええ、是非使ってちょうだい。ただ、ほかのご予約もあるから、日程は相談させていただくかもしれないわ」

「わかりました。ディアネリス教授の予定がはっきりしたら、電話でご連絡します」


 ネマリエさんの提案で、ほかの予約が入らないよう、候補の日を仮に押さえてもらった。変更が必要なら、改めて電話で相談する。


「夕方からなら、お食事も必要よね。何か希望はあるかしら?」

「実は、一つお願いがあって……私にも厨房を使わせていただけないでしょうか?」

「あらあら。何を作るの?」


 私は、香辛煮羹(カレー)という異(・)国(・)の煮込み料理を作りたいと説明した。焜炉(コンロ)を1口と、調理台の一角を借りられれば良い。ほかの料理の邪魔にならないよう、準備も片付けも自分でするつもりだ。


「まあ、成人のお祝いに手料理を贈るなんて、素敵ね!」

「それもありますけど、あの厨房を使ってみたくて……」


 奥の扉へ、つい目が向いた。火力を細かく調節できる焜炉も、大きな焼成炉(オーブン)も、見せてもらった時から忘れられない。


「ふふふ、ごまかさなくても良いのよ。では当日は、一緒に厨房に立ちましょう。材料も、こちらで用意しておくわ」


――ごまかしていないんだけどなぁ。まあ、使わせてもらえるなら良いか。


 私は鞄から、香辛料の包みと、作り方を書いた紙を取り出した。


「ありがとうございます。食事代は通常どおりお支払いします。ただ、少し珍しい香辛料を使うので、それはこちらが提供しますね。かなり香りが強い料理なんです」


 寮の2階まで匂いが届いた事を思い出す。お茶とお菓子を楽しむ店なのだから、そこは先に伝えておきたい。


「香辛料は、今日持ってきているのでお渡しします。よければ一度作ってみてください。こちらが調理法(レシピ)です」

「ありがとう。どんなお味になるのか、楽しみね」


 ネマリエさんは材料の欄へ目を通してから、店内を見回した。


「お食事代をいただけるのなら、もう少し人数を増やせないかしら?そうすれば、人数分のお食事代だけで、貸し切りの料金はいただかなくて良いわ。お祝いなのに、席が空いているのも寂しいでしょう」


 窓際から奥まで並ぶ椅子を見るうち、先日の定例会議で交流した、セルヴィンの友人達の顔が浮かんだ。


――セルヴィンのお祝いなんだし、友人達にも来てもらえたら嬉しいよね。


「友人達に相談してみます。人数が決まったら、日程と一緒にお知らせしますね」


 厨房も借りられる事になったし、今日の相談は無事に済んだ。私がほっとして、残りの菓子をゆっくり楽しんでいると、ネマリエさんが微笑(ほほえ)んだ。


「お菓子を食べている時の、その幸せそうな顔。本当にエーゼリナそっくりだわ」


 セルヴィンにからかわれたと思ったけれど、案外、当たっていたのかもしれない。私の甘い物好きは、母譲りなのだろう。


悪魔(エリ): ミリアナの幸福顔は甘味に限定されない。食全般の満足度が、顔の表情で周囲に筒抜け。

悪魔の眷属(エーアイ): まあ、判定が非常に甘いので、顔に出たところで角は立ちませんね。


上記あとがき、検討途中のものを投稿していたため、修正しています。


リアクションをいただき、ありがとうございます。

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