第74話 匿名の仲介人
水曜日、先用登録の申請は予定どおりに済んだ。これで、商会の関係者以外にも漫画の技法を見せられる。
定例会にはアンデレジオス、タルシェリオ、カーンバルトの3人を招き、公募の説明会に向けた準備を、正式に手伝ってもらう事になった。
昨夜まとめた資料は、先にカレフィーネへ渡しておいた。説明も私がするつもりだったが、入手元の話に及ばないよう、彼女に任せる事になった。
まずは猫の画枠付き脚本を見せた。読む順番と、それぞれの枠で何が起きているのかを説明すると、タルシェリオは身を乗り出して紙をのぞき込んだ。
あとはもう、こちらが驚くほど早かった。基本的な描き方だけでなく、資料に載せた簡単な表現技法まで、タルシェリオは次々と試していく。
絵を描きながら熱心に説明を聞き、気になったところでは手を止めて尋ねてくる。カレフィーネがその質問に答えているうちに、私の画枠付き脚本は、彼の手で一つの四枠漫画になっていた。
菓子へそっと前足を伸ばす猫も、何食わぬ顔で毛繕いをする猫も、姿だけで何をしているのかがわかる。最後の枠では、顔に菓子の欠片を付けたまま、とぼけた顔をしていた。話の結末を知っている私まで、つい微笑んでしまう。
――同じ脚本なのに、絵が違うだけで、こんなに印象が変わるんだね。ちゃんと「猫」に見えるし……。
タルシェリオには、基本的な技法を使った説明用の四枠漫画を、改めて仕上げてもらう事になった。説明資料についても、実際に絵を描く立場から、わかりにくいところや必要な説明を一緒に考えてくれるという。
続いて、投影機を試す事になった。今日の会議室は、窓の覆いを閉めれば、部屋を暗くできる。
私は機械の準備をしているカーンバルトに、送風機も動くようになったのか確かめた。
故障の原因には、既にあたりを付けているものの、まだ修理の途中だそうだ。今日は熱がこもらないよう短時間だけ映し、説明会までには送風機も直してくれるという。ひとまず、昨日心配したような事にはなっていないらしい。
部屋を暗くして、タルシェリオが透明な薄板に描いた絵を投影機へ載せると、壁に大きな画枠が浮かび上がった。
手元の紙で見ていた猫が、今度は顔を上げた先にいる。耳の傾きや目つき、菓子へ伸ばした前足の曲がり方まで、はっきりと見えた。簡単な線だけで描かれているのに、大きく映すと、その表情がいっそう生き生きとして見える。
思わず隣を見れば、カレフィーネも壁を見上げて笑っていた。これなら、皆で一枚の紙をのぞき込まなくても、同じ絵を見ながら話ができる。
タルシェリオが、セルヴィンが見つけてきた墨液で薄板へ線を描き足す。すると、その筆先を追うように、壁の絵にも線が現れた。前足の脇に短い線が加わっただけで、猫がそっと菓子へ手を伸ばす様子が、ぐっと伝わりやすくなる。
誰かが感心して声を上げると、別の誰かが、違う描き方も見たいと言い出す。私もつい口を挟み、短い試写の間に、ずいぶんと話が弾んだ。
やがて投影機の灯りを消すと、壁は何もない壁に戻った。もう少し見ていたかったけれど、今日はここまでだ。
こうして絵が変わるところを見てもらえば、技法の面白さも良く伝わりそうだ。
――説明会でも、きっとみんな盛り上がるね!
◇ ◇ ◇
その夜、寮の部屋へ戻ってからも、大きく映った猫の姿が頭に残っていた。
机に向かい、賢者の石を収めた耳当て式受話器をかける。左の耳覆いの穴へ指を差し入れ、エリを呼び出すと、今日の実演の様子を話した。
あれほど便利なら、説明会のためだけに使うのはもったいない。普段の打ち合わせでも、絵や図を見せたい時に、すぐ取り出せたら助かるだろう。
――いつまでも、ディアネリス教授から借りていられるわけではないしね。
「エリの世界でも、こういう投影機は使われているの?」
『〈オーバーヘッドプロジェクター〉と呼ぶ、同じ機構の旧式投影機が一部で使用されている。ただし、現在は〈電子制御〉で画像を投影する〈データプロジェクター〉が一般的』
「〈電子制御〉って何が違うの?」
『投影する画像を〈電子データ〉として用意するため、原稿を載せ替える必要はない』
もう少し尋ねると、自分で書いた文章や絵はもちろん、〈映画〉や〈アニメ〉のような動く画像も、壁や映写幕へ大きく映して楽しめるらしい。
「そちらには魔力がないっていうけど、魔法としか思えない道具がいっぱいあるよね……。〈電子データ〉だっけ?重さも形もない情報の固まりってなんなのよ!」
〈電子制御〉という言葉は何度か聞いている。それでも、板も映写膜も使わずに絵を映す仕組みは、説明されても想像がつかなかった。
「そこまでとは言わないけど、皇国でも、せめてもう少し気軽に投影機を使えるようにならないかな?今日のと同じ、透明な板を載せるものでも、軽くて安ければ、使いたい人は多そうだよね」
『透光図板式の投影機を、こちらの旧型〈オーバーヘッドプロジェクター〉と同じ構成にするための技術は、既に皇国内に存在。組み合わせる事で、安価で軽量な機械を製造可能』
「えっ、もう技術はあるの?それ、詳しく教えてよ」
思わず椅子に座り直した。
エリによると、要となるのは、光学研究工房という小さな商会が開発した、樹脂製の輪帯集光板だという。
今日使った投影機には、精密な溝を刻んだ硝子製の集光板が入っている。職人が調整しながら加工するため手間が掛かり、重さも値段も増す原因になっているそうだ。そこまでは、先日セルヴィンからも聞いた話だった。
それを樹脂に置き換えれば、型で押して形を作る加圧成形で安価に製造できる。表面を守る硝子板を重ねても、今よりずっと軽くできるという。
「そんなに便利なら、どうしてまだ使われていないの?」
『その工房の集光板は、数か月で曇り、必要な光学性能を失う。開発元は信号機への利用を想定しており、耐用期間が短すぎるため、製品化せず改良を継続中』
聞き覚えのある欠点だった。セルヴィンが書類の表紙に使っていた、白く霞んだ薄板を思い出す。せっかく透明でも、使っているうちに曇ってしまうのでは、確かに困る。
けれど、使い道が違えば、どれくらい長持ちしてほしいかも変わるのではないだろうか。
「そっか。信号機の部品を数か月ごとに取り替えるのは大変だよね。でも、投影機なら手元にあるんだし、曇った板だけ交換できれば、消耗品として売れるんじゃないかな?」
『交換を前提とした構造にすれば、投影機用として十分に実用的』
私が手を貸さなくても、いずれは誰かが気づくのかもしれない。それでも、少し手伝うだけで、あの便利な機械を使いやすくできるなら、やってみる価値はありそうだ。
「その工房に、投影機の部品としても使えるって、気づいてもらう方法はあるかな?」
『東浩木業商社の化学材料部門が、投影機の改良に使う樹脂製の輪帯集光板の技術を募集中。昨年の化学専門誌に公告を掲載している。その募集公告を、光学研究工房の担当者へ送付する事を推奨』
「えっ、セルヴィンの実家が探しているんだ。さすが商社、いろんなものを扱っているんだね」
欲しがっている人も、作れる人もいるのに、お互いを知らないだけらしい。
担当者がその公告を読めば、自分達の作った板に別の使い道があると気づいてくれそうだ。あとは当人同士で話を進めてもらえば良い。私がどうやってこの技術を知ったのか、説明する必要もない。
「それくらいなら、匿名で郵送できそうだね。誰が送ったのか、わざわざ調べるほどの事でもないだろうし。でも、昨年の専門誌かぁ。私でも手に入れられる場所にある?」
『該当号は学園の専門部の研究室に複数冊の所蔵あり。ただし、切り抜いて送るなら古本の購入が妥当。学園付近の古本屋には在庫がないが、官庁街に隣接した古書貸本屋が複数冊を保有』
「ああ、おっちゃんの店ね。それなら、今度近くへ行った時に買ってこよう」
私は手元へ記録帳を引き寄せ、エリに聞いた専門誌の名前と刊行号数を書き留めた。工房の宛先と担当者名も、その下へ控えておく。
今回は、公告だけを封書に入れて送る。
――絶対に、脅迫状に仕立てたり、謎めいた言葉を添えたりはしないぞ。
少し物足りない気もするけれど、面白くしたい気持ちは漫画に注ごう。
悪魔: ミリアナには自重を希望。面白さより秘密の保持を優先するべき。
悪魔の眷属: 好奇心が膨らむと、慎重さをかなぐり捨ててしまいますからね。
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