第73話 伝える技法
寮の自室でエリから投影機の話を聞き終え、私は机に置いた説明資料へ目を戻した。
明日の定例会では、タルシェリオに漫画の技法を説明し、見本の絵を描いてもらう相談をする。その前に、どの順番で何を見せるか、決めておこう。
技法を一からまとめ直す必要はない。先用登録の申請をお願いした知産弁理士への説明に使った資料が、手元に残っている。
公募に関する外部との打ち合わせは控えるように言われていたけれど、申請する技法の細かい説明は、ルッシェリーナが私に任せてくれた。弁理士には仕事で知った秘密を守る義務があるので、技法については直接話して構わないとの事だった。
昨日の打ち合わせでは、この資料を見た弁理士から幾つも質問を受けた。聞かれて初めて、自分でも曖昧なままにしていた部分に気づき、その場で答えられないものも多かった。そこで、昼休みに食事も後回しにして寮へ戻り、エリに答えを確かめた。途中からはエーアイさんが説明役を引き受けてくれて、ようやく答えをまとめる事ができた。
回答は既に弁理士へ渡してある。控えをめくると、図の脇には、後から書き足した小さな文字がびっしりと並んでいた。説明を補ったはずが、どこから読めば良いのか、書いた私でも少し迷ってしまう。
――これをそのまま渡すだけじゃ、タルシェリオも困るよね。
まずは見本の画枠付き脚本を見てもらい、どの順番で読むのか、枠ごとに何が起きているのかを伝えよう。話の流れがわかってから、台詞枠や動きを表す線を、その絵に沿って一つずつ説明すれば良い。
私は資料を机に広げ、最初に見せるものから順に重ね直していった。
読み返していると、この資料を作る時、どこまで異世界の技法を持ち込むべきかで悩んだのを思い出した。
ルッシェリーナからは、先用登録で守れる範囲を狭めないよう、技法をなるべく幅広くまとめてほしいと言われている。その必要は、私にもわかる。申請の内容は非公開なのだから、詳しく記録しておいて、絵師さん達に教えるものだけを選ぶ事もできる。
けれど、エリに聞けばいくらでも教えてもらえる描き方を、守るためだからと片端から集めてしまって良いのだろうか。手元に揃っていれば、私自身、何か工夫しようとするたびに、そこから答えを探してしまいそうだった。
異世界でも、漫画は大勢の描き手が工夫を重ねて、今の形になったという。ならば皇国でも、実際に絵を描く人達が、あれこれ試すうちに生まれる表現があるはずだ。そのたびに私が異世界の描き方を持ち出せば、それに合わせなければいけないと思わせてしまわないだろうか。
――私が教わったのとは違う描き方を、誰かが思いついてくれるかもしれないしね。
エリと相談した末、今回持ち込むのは、私達が新聞に載せる漫画で使う技法と、私にもすぐ使いどころを思い描ける応用例までにした。申請資料も、その範囲でなるべく詳しくまとめる事にした。
画枠を並べて、出来事の前後を伝える。台詞枠で、誰が何を言ったのかを示す。そうした基本の描き方に加えて、画枠の数や大きさを変える方法も、例を添えて書いてある。
今回は新聞に載せやすいよう四枠に揃えるけれど、漫画が四枠でなければならないわけではない。
さらに、漫画でよく使われる、感情や動きを伝える表現もまとめた。
例えば、台詞枠の形を変えれば、人物の感情や声の調子を表せる。ぎざぎざの枠なら叫び声、点線なら囁き声、雲のような枠なら口に出していない心の声、という具合だ。
背景に線を描き加える〈効果線〉もある。一点に集まるように放射状の線を引けば、そこへ読者の目を引きつけたり、緊迫した雰囲気を出したりできる。平行な線を何本も走らせれば、急な動きや速さを伝えられる。
擬音語や擬態語を絵の中へ直接書き込む〈オノマトペ〉も載せた。扉の閉まる音や、その場が静まり返った様子まで、文字を絵の一部にして伝える方法だ。
一方で、説明を聞いても、うまく理解できなかった表現は見送った。
その一つが、〈漫符〉という手法だ。顔の上半分に細い斜線を並べて落ち込みを示したり、顔やその周りに特別な形の印を添えて、怒りや閃きを表したりするらしい。
私も試しに描いてみたのだけれど、顔に線や印が増えるほど、伝えたい気持ちとは違うものに見えてきた。
――顔に怪我をしているようにしか見えない……。
私の描き方がずれているのかもしれない。でも、同じ印を見て何を思い浮かべるかは、文化や風習によっても違うのだろう。
さらに、全く理解できなかったのが、その場には咲いていないはずの花を、人物の後ろに描く〈背負い花〉だった。
人物の気持ちや場面の雰囲気を伝えるためだそうだが、私が試しに描いたものは、どう見ても花の前に人が立っている絵にしかならなかった。
――「なぜ突然お花畑に移動した?」としか思えない……。
描く人の腕もあるだろうけれど、どの場面で、どう使うかも大切なのだろう。自分でもうまく説明できないものを、ただ新しい技法だからと紹介するのは難しい。
申請に含めると決めた技法は、試し描きの例も添えて、弁理士に十分過ぎると言われるほど詳しく書き残した。けれど、それを絵師さん達に全て教える必要はない。
公募の説明会では、まず基本的な描き方と、使いやすい技法を知ってもらおう。その先をどう工夫するかは、絵師さん達の描きたいものに合わせて考えてもらえば良い。
明日、タルシェリオに説明してみて、必要に応じて説明会で紹介する技法を増やそう。実際に描く人の意見を聞けば、どこまで紹介すれば良いかも、きっと見えてくるはずだ。
私は、猫が菓子を食べた事をごまかす話の画枠付き脚本を、資料の一番上へ置いた。初めて漫画の描き方を教わった時に作ったものだ。
枠の中に自分で描いた猫をじっと見つめて……その横に「猫」と書き添えた。
――うん、明日はやっぱり言葉で説明しよう。
悪魔: ミリアナの画力で〈背負い花〉などの高度技法は無謀。
悪魔の眷属: 実際の漫画を見たことが無いと、完成形を想像するのも、なかなか難しいでしょうね。




