第70話 借り物の使い道
週明けの学生食堂は、昼の一番混雑する時間帯を過ぎ、空席もでき始めていた。それでも、昼休みの最後まで雑談を楽しむ学生達は多い。食器の触れ合う音に笑い声、椅子を引く音が重なり、食堂内にはまだ賑わいが残っている。
セルヴィンは出入り口で足を止め、並んだ卓の間へ目を凝らした。すぐに、いつもの友人達が他の学生越しに手を挙げているのを見つけ、そちらへ向かう。
その歩みは、普段よりも明らかに重い。肩に掛けた透光図板投影機は、携帯型と名前に付いているのが信じられないほど重く、幅広の肩帯が上着越しに食い込んでいた。
丈夫な金属枠に投影用の灯り、硝子製の集光板。それらが専用の厚い鞄へ収まっている。男子学生の中でも大柄なセルヴィンだから一人で運べたものの、研究棟から食堂まで運び終えた頃には、すっかり腕が張っていた。
卓へ着くと、最初に声を掛けてきたのは、案の定カーンバルトだった。こいつは、気になった事をすぐに尋ねずにはいられない性分だ。
「何を持ってきたんだよ。ディアネリス教授の所へ話をしに行ってきたんじゃなかったのか?」
「いや、そうなんだけどな。ディアネリス先生がちょうど良い投影機をお持ちで、借りてきたんだ」
「はぁ?投影機なんて、何に使うんだ?」
セルヴィンは返事の代わりに肩帯を外し、投影機の入った鞄を床へ下ろした。重たい音がして、木の床板が小さく鳴る。カーンバルトだけでなく、アンデレジオスとタルシェリオまで、揃って黒い鞄へ視線を落とした。
それとは別に背負っていた自分の鞄から、樹脂製の透明薄板の束を取り出し、食器の脇へ置く。
「この携帯型の投影機は、軍が作戦図を共有するのにも使う機器なんだ。小さな映写膜の画片を作らなくても、この大きさの透明薄板に書いた図を、そのまま壁へ映し出せる」
束の中から一枚を抜き出す。薄板を通して、向こう側に座るアンデレジオスの顔がそのまま見える。
「カレフィーネの発案で、実家の商会が扱っている透明薄板の使い途として話したら、見本品をこれだけ渡された。実際に文字や絵を書いて、投影機の熱に耐えられるか、曇り方はどうかなどを試して報告しろと言われたんだよ」
「商品の試験を、学校の友達へ手伝わせる気かよ」
「上手く使えれば、こっちにも利益があるから良いんだよ」
カーンバルトの呆れた声に答えつつ、セルヴィンはその薄板を卓の中央へ滑らせた。
「ディアネリス先生が、ちょうど捜していた透光図板式の投影機をお持ちでな。借りられないか相談したら、『古くて動かないから、今は使っていない。貸してやるから、ついでに修理しておけ』と言われたんだ」
「さすがセルヴィン。あのディアネリス教授におねだりするなんて、普通はしないと思うけどなー」
アンデレジオスは感心しているのか、呆れているのかわからない顔で言った。仲間の中で一番の常識人であるアンデレジオスは、セルヴィンがディアネリス教授の部屋へ出入りし、その場で交渉までしてくる事に、まだ慣れていないらしい。
「先生が、この機器を製造した工房の顧問をされていると聞いたので、最初は借りる伝がないか尋ねたんだよ。そうしたら、昔、講演を引き受けた礼に贈られたという機器を、引っ張り出してくれたんだ」
「へえ。図を直接描いて、大きく映せるのか……」
普段は黙って聞いている事の多いタルシェリオが、珍しく自分から手を伸ばした。絵を描くのが好きな彼にとって、目の前の透明な薄板は創作道具にも見えるのだろう。両手で端を持ち、曲げないよう慎重に持ち上げる。
「表面は紙より滑るから、どんな墨液ならうまく描けるのかを、これから試すつもりだ。タルシェリオにも、使い心地を聞きたいと思ってる」
「うん。これに線が引けるなら、一度描いてみたい」
一方、カーンバルトは別の部分が気になったようだった。
「カレフィーネちゃんの発案って、お前達、その投影機を何に使うんだ?」
「今度、継譚商会で絵物語を公募するんだけど、その説明会で使えないかという話が出ていたんだよ。小さな画片へ焼き付ける手間を掛けずに済むし、質問に合わせてその場で図を描き足す事もできる」
「かーっ、説明会だかなんだか知らないけど、楽しそうで羨ましいねぇ」
カーンバルトは大げさに天井を仰ぎ、背もたれへ体を預けた。セルヴィンが継譚商会の仕事に加わってから、こうした文句は一度や二度ではない。
――自分も混ざりたいなら、そう言えば良いのにな。
社交的なアンデレジオスは、最近ではカレフィーネやルッシェリーナとも気軽に話している。タルシェリオとミリアナは、もともと口数が少なく、黙って聞いていても気にならないらしい。カーンバルトだけが、何か言いたそうにしては、話に入る機会を逃していた。
セルヴィンは、床に置いた投影機の鞄へ目を落とした。工学系が得意なカーンバルトなら、修理を頼りにされて悪い気はしないだろう。使う者と直す者で、話す用事もできる。
――こいつが、話しかける切っ掛けになれば良いんだけどな。
肩帯の食い込んでいた辺りを、上着越しにさする。まだ重だるさは残っていたが、友人を誘う口実まで借りられたのなら、ここまで運んだ甲斐もあるというものだ。
悪魔: ディアネリス教授は、複数の商会顧問に就任して結構な稼ぎ。
悪魔の眷属: 令和日本の制度でいえば、社外取締役の位置づけでしょうかね。




