第69話 辛口の採点
私達は、ルッシェリーナに連れられて1階の共同厨房へ向かった。
大食堂に隣接する貴族寮の厨房は、かつて貴族の子弟が催しを開く際、各家の料理人が腕を振るった場所だ。現在は寮生用の共同厨房となり、頑丈な調理台や流し、電気焜炉、大きな焼成炉、背の高い冷蔵庫まで備えられていた。
庶民寮の狭い共同厨房とは、比べるのもためらうほど立派な設備だ。しかし今は、どの調理台の前にも料理人が立ち、野菜や肉を広げて、鍋の煮える音や包丁の音が絶え間なく響いていた。貴族寮の共同厨房は、原則として寮生のみが利用できるが、食事上の事情がある寮生のために、登録された外部の料理人も利用しているらしい。
「うーん。混雑していて、空きがないねぇ」
「今日は休日ですし、ちょうど夕食の支度をする時間ですからね。電気釜は一つ空いているようなので、ご飯だけ炊きます。こちらの瓶は、給湯室の保温器具で温めましょう」
ルッシェリーナは自分の名札が付いた米櫃を取り出し、米を研いで電気釜へ入れた。
その後、私達は給湯室へ移った。以前、ルッシェリーナを足止めするため、私が取材を受けた場所だ。
深い器へ保温器具の湯を張り、蓋を開けた耐熱硝子の瓶を浸して、中身をゆっくり温め直した。
瓶が温まるに従ってあの複雑な香りが漂い始め、次第に部屋中に広まっていく。
「なるほど。嗅いだ事のない、ずいぶん刺激的な匂いですね。けれど、不思議と食欲を誘われます。寮中に広がれば、騒ぎになるのもわかる気がします」
「でしょう?私も、こんなに遠くまで匂うとは思わなかったんだよ」
温まった瓶を盆へ載せ、来た道を戻る。廊下の窓は閉じているため、香辛料の匂いは私達の後ろへ細い道を作るように残っていった。
階段の近くまで来たところで、向こうから歩いてきた上級生が足を止めた。
「ごきげんよう、ルッシェリーナさん。大変特徴的な匂いをさせていますね。一体、それは何ですの?」
待っていましたとばかりに、ルッシェリーナが盆を少し持ち上げる。
「さるお方から教えていただいた調理法で作った煮込み料理です。共同厨房が空いていなかったため、給湯室で温め直したところなのです」
「まあ、外国のお料理かしら。初めて嗅ぐ香りですわ」
「ええ。定かではありませんが、中央大陸の南部が起源らしいと聞きました。香辛料を何種類も使うそうです」
女生徒は興味深そうに瓶を覗き込んだあと、「後でお味を聞かせてくださいな」と言い残して去っていった。
さらに厨房へ戻るまでに、扉から顔を出した寮生や、廊下ですれ違った二人組からも料理について尋ねられた。そのたびに、ルッシェリーナは同じような説明を繰り返した。
――庶民寮では私が作っていた料理だったけど、貴族寮では、きっと「ルッシェリーナが運んでいた料理」の形で話題になるよね。
ルッシェリーナの手際の良さに、私はただ感心するほかなかった。
炊き上がったご飯を持ってルッシェリーナの部屋へ戻り、3人で机を囲んだ。
ルッシェリーナは、ご飯へ掛けた香辛煮羹を慎重に一匙すくった。口へ運んですぐには何も言わず、辛さを確かめるようにゆっくり噛む。やがてもう一匙をすくったところで、私はようやく息を吐いた。
「どうかな?」
「香りだけでなく、味もずいぶん複雑ですね。最初に辛さが来ますが、肉と玉葱の甘みがあるので、思ったより食べやすいです」
ルッシェリーナはそう言って、今度は少し多めにご飯と煮込みをすくった。
「これは是が非でも、セルヴィンの成人祝いを開かなくてはなりませんね。また食べられるのを楽しみにしています」
「本当?良かった〜!」
今日の騒ぎも、ルッシェリーナに迷惑を掛けた事も、なかった事にはできない。それでも、料理そのものは気に入ってもらえた。その一言は、何よりの救いだった。
ルッシェリーナが食べ終えたあと、私は礼を言ってカレフィーネと一緒に貴族寮を出た。
庶民寮の自室へ戻る頃には、窓の外は薄暗くなっていた。
扉を閉め、机の引き出しから取り出した耳当て式受話器を頭にかけてから、その穴へ指を差し入れる。忘れないうちに、聞いておきたい事があったのだ。
「エリ、今日私が作った〈カレー〉の試作品は何点だった?」
『75点。香辛料の加熱不足。香気成分の調和が不十分。玉葱の加熱状態は良好』
エリによる評価は、100点満点で75点。カレフィーネも寮母さんもルッシェリーナも褒めてくれたのに、かなり辛口の採点だ。
「じゃあ、エリは、自分で作った〈カレー〉で何点くらい取れるの?言ってみなさいよ!」
『……平均で90点程度。秘密兵器〈カレールウ〉の利用により、失敗は皆無』
「なによそれ?!」
〈カレールウ〉とは、香辛料や小麦粉、油などを混ぜて固めたもので、肉や野菜を煮た鍋に溶かすだけで、味もとろみも整うらしい。専門家の技や工夫が凝縮されており、誰でも簡単においしい〈カレー〉を作る事ができる。
もちろん、こちらの世界にそんな便利なものは存在しない。
「そんな狡い方法で作った〈カレー〉とは、比較できないよ。やっぱり、私への点数は、厳しすぎるんじゃない?」
私は密かに、セルヴィンの成人祝い本番ではもっと高い点を取ってやると誓うのだった。
悪魔: この得点は、分析器の測定値とAI判定による客観的な結果。
悪魔の眷属: でも、マスターって、平均化するほど〈カレールウ〉を使って料理していましたっけ?




