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石と悪魔と平凡な私 〜世界を越えてカタチを変えて少女は〈物語〉を届ける〜  作者: 銀天儀
第3章

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第68話 香りの出所

 庶民寮の共同厨房を片付け終えると、残った香辛煮羹(カレー)を耐熱の硝子小瓶に詰めて、カレフィーネと二人でルッシェリーナの部屋に向かった。


 瓶の蓋はしっかり閉めたはずなのに、歩いていても、嗅ぎ慣れない香辛料の匂いがかすかに鼻先まで届いた。


 貴族寮の入館手続きももう手慣れたものだ。部屋の前に着いた私は、扉が開く前に目を閉じ、両手を顔の前で組んだ。


 全身で許しを請う、謝罪の所作(ポーズ)である。


「……何をしているのですか?」


 恐る恐る目を開けると、ルッシェリーナの視線が私の組んだ手から、苦笑するカレフィーネ、硝子瓶へと移った。


 何かを察したらしい。ルッシェリーナは小さく息を吐くと、その場では追及せずに私達を部屋へ招き入れた。


 案内された書斎でも、私は謝罪の姿勢を崩さないまま椅子へ腰を下ろした。向かいに座ったルッシェリーナは、机の上で両手を組み、じっと私を見つめる。


「それで……今度は何をしたのですか?」

「それがねぇ。ミリアナがセルヴィンのために料理を作ろうとして、ちょっと頑張りすぎちゃってね――」


 実際には「セルヴィンのため」というより、「好奇心のおもむくままに」なのだけれど、もちろん口を挟んだりはしない。


 カレフィーネは手にしていた小瓶を、ことりと机へ置いた。


「これを作ったら、庶民寮がちょっとした騒ぎになっちゃったんだよ」


 瓶の中には、赤茶色のとろりとした煮込みが詰まっている。ルッシェリーナはそれを灯りへ透かすように眺(なが)め、そっと顔を近づけた。


「煮込み料理ですか?蓋を閉めたままでも、変わった匂いがしますね」

「私も食べてみたけど、とってもおいしいよ。ちょっと辛いけどね。それで、その匂いが騒ぎの元なんだけど――」


 カレフィーネは、香辛料の匂いが2階まで広がり、寮生達が次々と厨房を覗(のぞ)いた事を説明した。最後には寮母さんが自分の食器を持ってきて、後日、調理法(レシピ)の写しを渡す約束までした事も、包み隠さず伝える。


 話が進むにつれ、ルッシェリーナの眉間へうっすらと皺(しわ)が寄っていった。


「まさかと思いますが、この料理も作(・)者(・)さ(・)ん(・)から教えていただいたものではないでしょうね?」


 顔を上げると、ルッシェリーナはまっすぐにこちらを見つめていた。


「私だって、こんなに注目されちゃうとは思っていなかったんだよ〜!誰にも気付かれないうちに、ちょっと試しに作ってみようと思っただけなのに〜!」


 組んでいた手を解き、身振りを交えて訴える。しかし、ルッシェリーナの表情は変わらない。


「それで、これはどういった料理なのですか?」


 私は観念して肩を落とし、膝の上でもう一度両手を組んだ。


「ごめん。作者さんの国でよく食べられている料理を教えてもらったから、作ってみたんだ。ただ、料理の起源はその国ではなくて、中央大陸の南部だって聞いているけど……」

「へぇ。そういえば、中央大陸の南部では、香辛料をたくさん使った料理が多いって聞いた事があるよ」


 カレフィーネが納得したように頷(うなず)く。


――実際にエリから聞いたのは、異(・)世(・)界(・)の(・)中央大陸南部なんだけどね……。


 ルッシェリーナは長く息を吐き、「なるほど……確かにあちらの料理は、強い香辛料が特徴ではありますが……」とつぶやいた。それから小瓶へ視線を落とし、しばらく黙り込む。


 怒られるよりも、この沈黙の方が怖い。私が椅子の上で身を縮めていると、やがてルッシェリーナが顔を上げた。


「まず、一つ重要な質問があります。この料理は、『風渡りの行商人』の中に登場するものですか?」


 私だってそこまで考えなしに作ったわけではない。今までに聴いた本編や外伝に、〈カレー〉やよく似た料理は登場しなかった。


 エリによれば、『風渡りの行商人』を含めた〈中世西洋〉に似た世界の物語では、〈カレー〉が出てきても、遠い外国の料理として扱われる事が多いらしい。主人公は各地を旅するものの、これからも口にする可能性は低そうだ。


「ううん。出てくる場面はないよ。これからも出てこないと思う」

「そうですか……」


 ルッシェリーナの眉間から、わずかに力が抜けた。


「それならば、すぐにミリアナの秘密へつながる問題が起きるとは考えにくいでしょう。既存の材料と調理法を組み合わせただけの料理では、新しい味や見た目でも、技術・技法として知産登録できません。保存性が高まるなどの特別な効果や、新しい道具を使った料理というわけではないのでしょう?」

「うん。香辛料を炒めて、肉や野菜と一緒に鍋で煮込んだだけだよ」

「であれば、なおさらです。売り物にしたわけでもなく、権利関係を争うような利益も生じていません。興味本位の方を除けば、出所まで詳しく調べる理由はないはずです。物語にも登場しないのであれば、少し変わった料理をミリアナが作ったというだけの話です」


 珍しい料理の知識を、寮中へ披露してしまったのは私の不注意だ。今回は『風渡りの行商人』も継譚商会も直接は関係なく、本来ならルッシェリーナに頼る話ではない。それでも彼女は責める事なく、すぐに対応方法を考え始めてくれた。


「もちろん、ミリアナが目立つのは、あまり望ましい事ではありません。今後、調理法を聞かれたら、中央大陸南部の料理らしいとだけ伝えて、誰から聞いたのか答えずに、はぐらかすようにしてください」

「入手先を伏せるだけでいいの?」

「調理法の入手先を答えなければ、相手が勝手に色々と想像してくれます。学園には中央大陸南部の出身者を含め、海外からの留学生が大勢います。その中には、母国の政情や家の事情から名前を広められたくない方もいます」

「そっかぁ。亡命して学園へ来ている人もいるものねぇ」


 ルッシェリーナの口元へ、わずかな笑みが浮かぶ。


「庶民寮の寮母さんには、『調理法を書き写す許可は得たが、先方に事情があり、誰から貰ったのかは言えない』と伝えてください」

「なるほど。わかった。言われたとおりにするよ」

「ですが、ミリアナへ向かう注目をもう少し散らしておきたいですね」


 納得した私を見て、ルッシェリーナは静かに言葉を続けた。


「そのために、今日のうちに貴族寮にもこの料理を広めてしまいましょう。幸い、これだけ特徴的な匂いなら、説明するまでもなく記憶へ残るはずです」


 ルッシェリーナは小瓶を持ち上げ、椅子から立った。


「ミリアナがセルヴィンのために作ったという料理を、わたくしにも味見させてください」


悪魔(エリ): 皇国の謝罪は、合掌ではなく、指を絡めて固く組む懇願の所作。

悪魔の眷属(エーアイ): 西暦1829年制作の油彩画、クロード=マリー・デュビュッフ「懇願する女」のような〈ポーズ〉になります。

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