第66話 香辛料買い出し
お菓子はネマリエさんにお願いするとして、食事の方はどうだろう。私は続けてエリに、ネマリエさんが菓子以外の異世界料理も知っているかを尋ねた。
女皇陛下の普段の食事は、皇城の専門の調理人達が作っていた。ネマリエさん達侍女は配膳を手伝うものの、食事の調理には関わっていなかったらしい。女皇陛下も、食事を作る調理人達には、菓子の時のように未知の調理法を渡す事はなかったという。
女皇陛下からネマリエさんへ伝わった異世界料理は、お菓子だけだったようだ。
それなら、お菓子を任せる分、私はセルヴィンのお祝いで出す食事に挑戦してみよう。
そう決めた途端、異世界の物語で何度も聞いた、あの料理が思い浮かんだ。
主人公が冒険者の宿で、仲間達と大鍋を囲む。学園の生徒が食堂で、いつもと違う辛さに汗をかく。遠い国の家庭で、家族ごとに異なる味を受け継ぐ。どの物語でも、登場人物達はそれを幸せそうに食べていた。
ご飯に掛けて食べる、とろみのついた煮込み料理だ。肉や玉葱などを、幾種類もの香辛料と一緒に煮込む。香りだけで食欲が湧き、一度食べたら止まらない。物語によっては、飲み物だと言い張る人物までいた。
神殿の近くでは、胡椒以外の香辛料をほとんど手に入れられず、作り方を聞いても諦めるしかなかった。けれど、世界中から食材の集まる皇都なら、必要なものを揃えられそうだ。特別な設備もいらない。大きな鍋と、時間をかけて煮込める焜炉があれば良い。
――これなら、大勢で囲むお祝いの料理にもぴったりだよね。
喜ぶ皆の顔を想像しながら、献立案の紙へ料理名を皇国語で書き込み、大きな丸で囲んだ。
香辛煮羹。
――あれ?でも、大鍋と焜炉があれば作れるなら、ネマリエさんの立派な厨房じゃなくても良いかも……。
立派な厨房を使ってみたいという目論見からは、少し外れてしまった。けれど、おいしく作ってみんなに喜んでもらえれば、それで良い。まずは寮の厨房で試してみよう。
◇ ◇ ◇
こういうものは、やる気があるうちに勢いで進めるべきだ。
翌朝、私は空の背負い鞄を背負い、香辛煮羹の材料を求めて寮を出た。
途中、停留場の売店で産業日報新聞を1部買う。受け取ったばかりの紙面をその場で開き、『風渡りの行商人』が挿絵入りで載っているのを確かめた。
別紙連載の時とは違い、表の紙面から順にめくっていくと、政治や市況の記事の間から、自分の関わった物語が現れる。
――別紙に載った時も感動したけど、本紙の中にあるのは、また別の感慨があるね!
その脇には、継譚商会の名で出した絵物語公募の公告も載っている。漫画公募の告知も、無事に始まったようだ。
都電へ乗り込んでからも、膝の上で何度か同じ面を開き、頬をゆるめながら眺めてしまう。
向かいの長椅子では、仕事着の男性が産業日報を大きく広げていた。少し離れた席にも、折り畳んだ紙面へ目を落とす女性がいる。けれど、何面を読んでいるのかまでは見えない。身を乗り出して確かめるわけにもいかず、私は落ち着かない気持ちで視線を窓へ戻した。
――うーん、気になる。あとでエリに、何人くらい連載面を読んでいたか確認しようっと。
中央駅の一つ手前で都電を下り、南へ歩く。やがて、屋根の低い商店や倉庫の向こうから、公設総合卸売市場の灰白色の建物が見えてきた。
幾つもの棟が連なる巨大な混凝土造りで、正面には荷車が何台も並んで通れるほど広い門が開いている。先代の女皇陛下の時代、生鮮食品を衛生的に、効率良く取引するために建てられた施設だ。
各地から夜通し運ばれてきた魚、肉、野菜、果物は、ここで検査と競りを経て、皇都中の商店や料理店へ送り出される。今日は日曜日だが、生鮮品を扱う公設市場は動いている。建物の奥へ続く線路には貨物車が止まり、荷台を空にした自動車や荷車が、今も次々と門を出ていた。
競りの時刻は過ぎていたが、広い門からは空箱を積んだ荷車が行き交い、車輪の音や威勢の良い呼び声に朝の活気が残っていた。
もっとも、卸売市場の中へ入れるのは、登録された業者だけだ。私が向かうのは、市場の周囲に集まった専門店である。
必要な材料と購入先は、あらかじめエリに調べてもらった。聞き取って作った一覧には、皇国での名前、必要量、店の場所、販売価格の目安まで書き込んである。公設市場周辺には、日曜日も営業している専門店が多く助かった。
――順番に店を巡れば良いだけなんだけど、聞き慣れない材料もあるからね。
一覧に並ぶ食材は10種類を超えていた。黄色い染料や薬としても使われる鬱金は薬種店。馬芹や胡荽の種は、輸入香辛料を扱う店。ほかにも、胡椒や唐辛子など、似たような茶色い粉や種を、包みを間違えないよう一つずつ揃えていく。
肉と玉葱、馬鈴薯は、学園近くの馴染みの商店で買う予定だ。悪魔の世界の甘みの強い人参は、この世界には存在しないらしいので、今回は使わない。一部の香辛料は港の方が安いらしいが、あちらの店は日曜休業が多い。都電代と時間も考え、ここで全て揃える事にした。
試すのは鍋一つ分だけだが、香辛料を、今回使う分だけ量り売りしてくれる店はない。保存が利くものなので、残りは紙包みの口をしっかり閉じ、自室へ置いておけば良いだろう。
店を4軒回った頃には、背負い鞄の中は色も形も違う包みでいっぱいになっていた。
――エリが自分でもよく作るって言うから、もっと手軽な料理かと思っていたのに。香辛料を揃えるところからだと、ずいぶん大仕事だよ。
悪魔の世界では、あらかじめ幾種類もの香辛料を混ぜた〈カレー粉〉が、食料品店で普通に売られているらしい。それさえあれば、一包みずつ店を探し回り、一覧と見比べながら買う必要もない。
――いいよなぁ〈カレー粉〉。皇国でも売っていれば、私も楽ができるのに……。
悪魔: 文明の恩恵は、積極的に活用すべし。〈カレールウ〉は正義。
悪魔の眷属: でも、マスターは、たいてい〈レトルト〉か宅配なので、〈カレー粉〉も〈カレールウ〉もほとんど使わないですよね。




