第63話 一文字の贈り物
賭博場で紙札を見てこようと張り切っていた私は、翌朝、あっという間に凹まされた。
「駄目に決まっています!未成年者は、賭博場には入れません」
取材が簡単にはいかないだろうとは思っていた。それでも、ここで引き下がるわけにはいかない。
「でもでも、賭博をするわけじゃないんだよ。ちょこっと見学するだけで良いんだけど」
「法律で入場を禁じられているのです。目的が取材でも、例外は認められないでしょう」
「うーん、残念だけど、ルッシェリーナが言う通りだと思うよぉ」
「そんなぁ……」
私は広い机に頬づえをつき、ため息をこぼした。
今日は土曜日で講義はない。けれど、明日の漫画公募の告知掲載に備え、私達は朝から借りた会議室へ集まっていた。机の上には、書きかけの公募要項や参考画、校正刷が幾つも広げられている。
向かいの席で文書を整理していたセルヴィンが、不思議そうに顔を上げた。
「しかし、なんだって突然、賭博場なんだ?」
「『風渡りの行商人』の第二部に賭博場の場面があるんだ。読者が描写に違和感を持たないか確かめるために、自分の目で見ておきたくて」
「なるほどね。それじゃ、俺が代わりに見てきても意味はないのかな」
その言葉に、私とルッシェリーナ、カレフィーネの視線がセルヴィンへ集まった。
「セルヴィン、いつの間に成人していたのですか?」
「あれぇ、私も知らなかったよ」
「ええっ、成人だったの?!」
「違う違う。俺はまだ成人じゃないよ!」
セルヴィンは、大きな両手を慌てて振った。
「もうすぐ18歳の誕生日だからね。成人登録が済めば、賭博場にも入れるようになるって言いたかったのさ」
「そうなんだ。じゃあ、成人登録はどうするの?実家のある東の港都へ帰るのかなぁ?」
「いや、皇都で済ませるつもりだよ。成年籍字の文字は両親が決めてくれているらしいけど、贈字者はこっちで探すように言われているんだ」
皇国では、18歳になると役所で成人登録を行うが、この際に、成人祝いとして贈られた帝国文字1字を戸籍に記録する。この文字の事を『成年籍字』と呼ぶ。
『籍字』は名前というより、その人の立場を示す称号に近い。普段の呼び名にはほとんど使わず、公文書や契約書などで名前に添える。私にとっては、お墓に名前と一緒に刻まれている文字の方が、なじみがあった。
今の制度では成人だけが登録できるので、戸籍に籍字がある事が、大人になった証明にもなる。賭博場へ入れるかどうかにも関わってくるわけだ。
成年籍字は両親から贈られるのが普通だけれど、離れて暮らしていると、そうもいかない。字を贈る『贈字者』は、本人に付き添って役所へ出向く必要があるのだ。
そのため、両親に文字を選んでもらい、実際に贈る役は身近な恩師や後見人に頼む事も多い。戸籍には、その文字とともに、贈字者の名前が残る。
「一応、ディアネリス先生に打診はしてみたんだけど、お忙しい方だからね」
ディアネリス教授といえば、陛下から『賢』の字を賜っている。帝から贈られた字だけは、戸籍にも贈字者の名前に代えて『賜字』と記されるのだそうだ。
籍字は成人の時に一つ受けて終わりではない。官職に就いたり、功績を認められたりして、新たな字を贈られる事もある。前の字も消えずに残るので、幾つも持っている人は珍しくない。
「そっかぁ。皇都で登録するなら、こちらでお祝いしないとねぇ。ディアネリス先生が引き受けてくださるなら、お礼も兼ねて招待したら良いんじゃないかなぁ」
「そんな大げさな事はしなくて良いよ。受字式を開くつもりもないし、ただ役所へ付き添っていただくだけだからさ」
『受字式』は、籍字を受けた人を祝う式典だ。必ず開くものではなく、セルヴィンは役所での手続きだけ済ませるつもりだったらしい。
「それはいけません」
ルッシェリーナはセルヴィンをまっすぐ見据え、きっぱりと言い切った。
「ディアネリス先生は、名目上とはいえ継譚商会の商会長です。商会長代理のあなたへ字を贈っていただくのですから、ただの付き添いと考えてはいけません。商会が軽んじられないためにも、きちんとお礼の席を設けるべきです」
ルッシェリーナがそこまで重く受け止めるのも、昔の習慣を思えばうなずける。
籍字は皇国で独自に育った習慣で、貴族の間では昔から、地位や功績を認める称号として贈られていた。一方、庶民にとっては、どこの働き手かを示す字だったという。商会や工房、農家の組などに正式に加わる時、その代表者から字をもらい、所属を保証してもらっていたのだ。
だから、家事や家族の手伝いをしていて、正式な働き手として登録されていない女性などは、成人でも字を持たない事が多かった。逆に、働き手になれば未成年でも字を持てたので、昔は籍字があるだけでは、大人かどうかわからなかったらしい。
それを変えたのが、先代の女皇陛下による大革新だ。籍字で仕事や所属を縛る仕組みをなくし、身分や男女の別、働いているかどうかを問わず、18歳になれば皆が字を受ける制度に改めた。
既に成人していた人達も登録をやり直し、今では許可を得て働いていても、未成年なら籍字は登録できない。民選院の選挙登録でも、籍字が成人の証明になる。ただし、そちらは成人登録とは別の手続きだ。
仕組みが変わっても、字を贈る人が付き添い、その名前を戸籍に残す習慣は続いている。誰に字を贈ってもらったかは、今も大事にされているのだ。そう考えると、先生にお礼をするのも、ただ役所へ一緒に来てもらうお礼とは少し違う気がしてくる。
――異世界の物語では、こんな風に字を贈って大人の仲間入りを祝う話は、聞いた覚えがないなぁ。
最近は翻案で悩む事が多く、何気ない習慣にも、つい異世界との違いを探してしまう。字を贈るお祝いはなくても、皆で集まってご馳走を食べる場面なら、よく出てくるけれど……。
ご馳走、と考えた途端、ネマリエさんの店で見せてもらった、ぴかぴかの厨房が頭に浮かんだ。私は頬づえをやめ、顔を上げた。
――おお、もしかしてこれは、異世界の料理に挑戦する絶好の機会なのでは!
「じゃあ、この間行ったネマリエさんの喫茶店を貸し切って、お祝いしたらどうかな?」
あの店の厨房を使わせてもらえれば、道具がなくて諦めていた異世界料理にも挑戦できるかもしれない。うまく作れたら、セルヴィンへのお祝いにもなる。
「良い案です。あの店なら、ディアネリス先生をお招きしても、格式の面で問題ありません」
「ちょうど良い広さだし、料理もとてもおいしかったものねぇ。先生にも気に入っていただけると思うよ」
ルッシェリーナとカレフィーネがすぐに賛成してくれた。
セルヴィンは渋っていたが、2人に説き伏せられると、最後は苦笑しながら大きく頷いた。
「わかったよ。ディアネリス先生が贈字者を引き受けてくださるなら、先生も招待して、みんなに祝ってもらう事にするよ」
紙札の事は気になるけれど、あの模様は、自分の目で見え方を確かめたいのだ。セルヴィンに様子を聞くだけでは、エリの説明を聞いて想像しきれなかったところは埋まらないだろう。
――賭博場を見に行くのは一旦保留にして、代わりにこのやる気を、異世界料理の実現へ注ぎ込もう!
悪魔: 『籍字』は皇国固有。この世界でも他国には存在しない制度。
悪魔の眷属: 中国の「字」や、中世日本の「偏諱」などの習慣と、部分的には似ていますが、違いも大きいですね。




