第62話 賭博場の紙札
カレフィーネとルッシェリーナが公募の準備を進めている頃、私はおとなしく寮の机に向かっていた。窓の外では、夕日が空を赤く染めている。
公募が気になって、異世界の派生創作を参考に応募作品の例までまとめてしまったが、それもカレフィーネに渡し終えた。今度こそ余計な事に首を突っ込まず、翻案を少しでも進めよう。
皇国の読者に向けて物語を直す上で、今、頭を悩ませているのは「賭け事」だ。
異世界の賭けには、魔術のある私達の世界では成り立たないものがある。読者が違和感なく楽しめるよう、そうした場面を一つずつ確かめなければならない。
主人公がよく行う、貨幣投げで表裏を当てる賭けは問題ない。皇国でもおなじみの方法だ。
離れた場所から操作魔術で貨幣の回転を操り、思いどおりの面を出すのはほぼ不可能だ。貨幣は魔術で動かすには重い上、素早く動くものを操作対象として捉え続けるのも難しい。
問題は、賭博場で行われる本格的な賭けの遊戯だった。
異世界の物語によく出てくる賽は、皇国でも友人同士の遊びに使われる。ただし、操作魔術で動かされにくいよう、少し重い金属製のものが一般的だ。
それでも、わずかな力が加わるだけで出目は変わる。器を被せて隠しても、感知魔術で目を読まれる恐れがある。友人同士ならともかく、大金が動く賭博場では使いにくそうだ。
回転する盤へ小さな玉を投げ入れ、どの数字や色の穴に落ちるかを予想する、〈ルーレット〉という遊戯も聞いた事がある。
こちらは、聞くからに操作魔術で勝負を左右できそうだ。私達の世界の賭博場では使われていないだろう。幸い、『風渡りの行商人』には出てこないので、今は悩まずに済む。
どうしても避けて通れないのは、紙札遊戯だ。
第二部の山場で、放浪の女剣士が主人公を連れて賭博場へ行き、紙札勝負に挑む。
紙札遊戯自体は皇国にもある。けれど、これも賭博場では使われていないだろう、と私は考えていた。ただ数字や印を刷っただけの札なら、文字や形を読み分けるのに長けた術師に、伏せた中身を探られる恐れがある。
私達の世界では、封書を開けずに中身を読む事さえ、それほど難しくない。感知魔術が苦手な私でも、封書に手を置いて時間をかければ、単純な内容の手紙なら読める。
紙と墨液では、魔術で探った時の手応えが違う。その違いを追って、文字の形を探るのだ。感覚としては、手紙を光に透かして見るのに近い。そのため、幾重にも折り畳まれていると読みにくくなるし、『遮読紙』が重ねられていれば、一般人にはほぼ読めない。
遮読紙とは、本文と同じ墨液で、一面に無意味な文字を書き連ねた紙の事だ。文字のある面同士を重ねて折り畳むと、探り当てた墨液がどちらの文字なのか、見分けにくくなる。契約書など、内容を秘密にしたい書類の郵送には必ず使うと聞く。
――ただ、軍や治安局にいるような、細かな文字を読み分けるのが得意な術師は、それでも読めちゃうらしいんだよね。
しかも、感知魔術で手札を探られても、その事自体には気づけない。相手を見張っていれば済む話でもないのだ。
とはいえ、私は賭博場に行った事がない。自分の想像だけで物語を書き換えるのは危険だ。まずはエリに、実際の様子を聞いてみよう。
「エリ、私達の世界の賭博場では、どんな遊戯が行われているの?紙札遊戯もあるのかな?」
『皇国の公認賭博場で行われる主な遊戯は、投矢式回転的当。紙札遊戯も人気の一つ』
予想外の答えに、私は顔を上げた。
「あれっ、そうなの?小さな玉じゃなくて投矢を使うのはわかるけど、紙札はどうやって感知魔術の対策をしているの?」
『紙札の数字や印は、「光学角度依存模様」で表示。こちらの世界で〈ホログラム〉と呼ぶ技術の一種』
「んん?〈ホログラム〉って、どんなものなの?私にもわかるように説明してよ」
『表面に刻んだ微細な溝で光の進む方向を調整し、見る角度によって異なる模様を表示。同じ面に複数の模様を重ねて記録する技術』
「見る向きで模様が変わるんだ。でも、感知魔術でその溝を調べられないの?」
『紙と墨液の違いを捉える場合より、遥かに細かな形状の読み分けが必要。さらに、同じ数字と印の札でも、別の角度から見える模様が札ごとに異なるため、単純な特徴を覚えて見分ける事も困難』
「じゃあ、どんな達人でも読めないの?」
『微細な形状の感知において最高水準の術師なら、近くで静止させた札に時間をかければ識別可能。ただし、勝負中に離れた場所から読み取る事は実用上不可能』
「なるほど。じっくり調べればわかっても、勝負の最中に使えるとは限らないよね」
封書の文字を一つずつ探るだけでも、私はずいぶん時間がかかる。配られたり、重ねられたりする札を追いながら、そんな細かな溝まで調べるとなれば、難しさは想像もつかない。
「うーん、仕組みはなんとなくわかった気がするけど、どんな風に見えるのか、全然想像できないね」
数字や印に、別の模様が重なっている。そう言われても、頭の中にはぼんやりとした絵しか浮かばない。
「近くで、同じ仕組みの模様を見られる場所ってないのかな?」
『軍や治安局の機密資料、政府や銀行での秘密情報の内部掲示などに利用。一般人が最も容易に閲覧できる場所は、公認賭博場』
――結局、その模様を見たければ、賭博場に行くしかないのかー。
ひとまず、模様の見え方は置いておこう。皇国の賭博場でも紙札遊戯ができるなら、次は原作の勝負がそのまま成立するかだ。
原作では、女剣士が配札師の札さばきによる詐術を見破る。それを知った支配人が彼女を別室へ招き、一対一の紙札勝負を持ちかけるのだ。
そこでも不審を抱いた女剣士は、まず配札師を疑う。だが、今度の詐術に配札師は関わっていない。
仕掛けは、部屋を飾る宝飾品に紛れた小さな鏡にあった。それは外から室内を見通せる片面鏡で、部屋の外にいる覗き役が、望遠鏡で女剣士の手札を読んでいたのだ。
何度か勝負するうちに、女剣士は手札を背後から見られていると気づく。では、その内容はどうやって支配人に伝わるのか。
観察を続けると、支配人は賭け金を決める前に、一瞬だけ部屋の隅の吊り灯へ目を向けていた。覗き役が外から送り込む空気の量を調節し、炎の揺らぎ方を変えているのだ。
炎の揺らぎ方が示すのは、「役なし」「弱い役」「強い役」の3段階。試しに手札の角度や重なりを変え、一部を背後から見えなくしても、炎は同じ役を示す揺らぎ方を保っていた。一度読み取った札が隠れただけなら、覗き役は前の評価を変えないらしい。
札を読み取れるほどに拡大した望遠鏡の視野は狭く、覗き役は札を1枚ずつ確認している。手札に望遠鏡を向けている間、卓上でのやりとりは視野の外だ。札を抜き差しする動きさえ隠せば、交換そのものを見落とさせる余地がある。
仕組みを確かめた女剣士は、まず弱い手札を覗かせ、その役を示す揺らぎになるのを待つ。それから札の重なりを深くし、交換する札を残りの手札の陰で抜いて、卓上へ伏せて出す。受け取った新しい札も同じ陰へ運び、抜いた札と同じ位置に差し込んだ。
背後へ見せる札の位置は動かさない。覗き役には、先ほど読んだ札の一部が、持ち方のせいで隠れたようにしか見えないのだ。
手元で強い役がそろったのを確かめても、彼女は札を広げ直さなかった。吊り灯の炎の揺らぎに変化はない。彼女はこれを最後の勝負と宣言し、手持ちの全額を賭ける。
支配人には、卓上で札を交換する様子が見えていた。当然、外の仲間も新しい手札を読んでいるはずだ。それでも炎の揺らぎが変わらないのだから、交換しても役は弱いまま。全額を賭けたのは、はったりで降ろそうとしているのだと思い込む。
覗き役が交換に気づかず、古い評価を送り続けているとは疑いもしない。支配人は勝負を受け、女剣士の手札を見て初めて、自分が罠にはまったと知る。
相手の詐術を逆手に取り、大勝ちを収める。何度聞いても胸のすく場面だ。
――この勝負は、できるだけそのまま残したいな。気になるのは、合図の送り方だけど……。
「エリ、魔術で離れた相手に、こっそり合図を送れたりしないかな?服をちょっと引っ張るとか」
『衣服への操作も、身体から漏れる魔力の影響が大きい。精密で正確な合図を、本人にだけ魔術で伝える方法は未確立』
「そっか。高度な術者なら操作できると思ったんだけど、確実性には欠けるんだね」
私は原稿の、吊り灯が出てくるくだりへ目を戻した。
「じゃあ、炎の揺らぎでこっそり合図を送るのは、私達の世界でも自然な方法なんだね?」
『灯りは室内にあっても不自然ではなく、炎の揺らぎも周囲に怪しまれにくい。秘密の合図を送る手段として有効』
「それなら、この紙札勝負の場面も、皇国の読者に向けて大きく変えずに済むかな?」
『詐術と逆転の筋立ては維持可能。ただし、女剣士が紙札に仕掛けがないか確かめる場面には、感知魔術による読み取りへの対策を確認する描写の追加を推奨』
「ああ、確かに。じゃあ、やっぱり賭博場に行って、紙札の模様をちゃんと見ておかないとね。あと、背後から望遠鏡で覗いても、ちゃんとその模様は読み取れるのかな?」
『光学角度依存模様の読み取りは、見る角度に左右されるため、通常の印刷の紙札より困難』
「そっか。じゃあそれも確かめておこう」
頭の中で思い描いていた海と、本物の海はまるで違った。紙札の模様も、説明を聞くだけでは想像しきれないのだろう。あの海を前にした時の気持ちがよみがえり、私は決意を固めた。
「よーし、決めた。私、賭博場に行くぞ!」
悪魔: 皇国の紙札の模様は、光学的な干渉縞を利用した〈チェンジングホログラム〉。
悪魔の眷属: 〈クレジットカード〉の〈ロゴマーク〉などで使われている技術ですね。令和の日本紙幣が採用しているのは、より高度な〈3Dホログラム〉です。




