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石と悪魔と平凡な私 〜世界を越えてカタチを変えて少女は〈物語〉を届ける〜  作者: 銀天儀
第3章

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第61話 笑顔の理由

 カレフィーネは、机に広がる公募の資料から顔を上げた。向かいのルッシェリーナが、落ち着いた声で説明を続ける。


「わたくし達が何よりも守らなければならないのは、ミリアナが知識や物語を入手する経路です。そこへたどり着かせなければ、継譚商会が注目される事自体は問題ではありません。新しい発想が商会の中から生まれたと思わせられるなら、むしろ都合が良いのです。ディアネリス教授、セルヴィンの実家の商会、斎家出身のわたくし。どこから新しい知識が入ってきても不自然ではない顔ぶれです。カレフィーネは不本意かもしれませんが、あなたのお兄様の存在も大きな目くらましになるでしょう」


 ルッシェリーナは、貴族である実家の立場を利用するのを嫌っている。そんな彼女が斎家の名さえ使おうとしているのだ。カレフィーネがフェルディオに頼る事だけを、嫌がる理由はなかった。


「いやいや、全然不本意じゃないよ。兄さんも、ミリアナが私との縁をつなぎ直してくれた事に恩を感じていて、何かと彼女を気にしているからねぇ。商会と関わりがあると思われたり、その事を聞かれたりしても、きっと気にしないよ」


 兄には、商会を立ち上げる時から力を借りている。


――商会との関わりが兄さんの母親の耳に入っても、もう今さらだしねぇ。


 カレフィーネは今のミリアナをできる限り応援したかった。前のように好奇心や行動力を隠して、おとなしくしているミリアナに戻ってほしくない。


 それに、ミリアナが「秘密の手段」で提示してくるものは、とても興味深いものばかりだ。


――『風渡りの行商人』も『漫画の技法』も、どんな形で皇国に広まっていくんだろうねぇ。想像するだけでわくわくするよ。



「いやぁ、本当に、最初からルッシェリーナに一緒にミリアナの相談を聞いてもらっていて良かったよ。私一人じゃ、ミリアナを応援したくても、どうすれば実現できるのかわからない事ばかりだからねぇ」


 ルッシェリーナは、そんなカレフィーネの賛辞(さんじ)に、少し困ったような笑みを返した。


「わたくしができるのは、事実を整理し、最適と思える対応を選ぶ事だけです。カレフィーネの柔軟な発想にこそ、助けられてばかりです」


 ルッシェリーナはそこで言葉を切り、視線を机上へ落とした。


「それに、わたくしが人から読み取るのは、たいてい駆け引きのための利害です。あなたのように、相手の望みや期待を汲み取り、お互いが納得できる形で提案する力を、いつも羨(うらや)ましく思っています」


 羨ましいと言われ、カレフィーネは曖昧(あいまい)に笑った。人の僅(わず)かな感情や期待を読み取る力は、育った家で必要に迫られて身につけたものだった。



 カレフィーネの母は、父の愛人だった。二人の関係が正妻に知られたあとも、幼いカレフィーネと母は、父の家で暮らす事を許されていた。正妻は理性的な人で、自分の分別と寛容(かんよう)さを誇りにしていた。母が控えめでおおらかな性格だった事もあり、表立った衝突は起こらなかった。


 正妻は母娘へ暴力や嫌味を向けず、同じ家で暮らす者として扱った。少し距離はあっても、自分は恥じる必要のない家で暮らしているのだと、カレフィーネは信じていた。


 その信頼は、父と兄が不在だったある日、簡単に崩れた。


 台所で泥酔した正妻を介抱しようとした時、差し伸べた手を払われた。いつもの静かな顔を歪(ゆが)め、彼女は幼いカレフィーネへ感情をぶつけた。


「あなたのせいで!あなたさえいなければ!」


 翌朝になると、正妻は何事もなかったように振る舞った。けれどカレフィーネにはもう、その穏やかな表情だけを信じる事はできなかった。


 父や兄がカレフィーネを可愛がり、褒(ほ)めた時ほど、正妻の笑顔はごくわずかに強張(こわば)った。声の調子、視線の揺らぎ、息を吐く間。そうした小さな変化を、見逃さないようになった。


 正妻は、愛人とその娘を家に受け入れている事を誇りにしていた。だからカレフィーネも、周囲には幸せな娘の顔を見せなければならなかった。そして、正妻の内側に溜まる感情を刺激しないためには、父や兄から向けられた愛情に笑顔で応じても、無邪気にはしゃがないのが一番だった。


 いつしかカレフィーネは、相手の期待する笑顔を自然に作れるようになった。


――そうして、人の感情を読んで、自分の感情を隠す癖が、すっかり身についちゃったんだよねぇ。


 それは人と打ち解けるためには便利だった。けれど、羨ましがられるようなものだとは、自分では思えない。だからこそ、感情がそのまま表情に出るミリアナを、眩(まぶ)しく、好ましく思っていた。



「うーん。じゃあきっと、私とルッシェリーナが互いに補い合って、ミリアナを守るのが一番良いんだねぇ」

「そうですね。ただ、一番心配なのは、ミリアナ自身が意図せずに周囲の注目を集めてしまう事です。普段は慎重なのに、物語を広めるためとなると、突然大胆になりますから」

「そうだねぇ。素敵な夢だから応援したいし、目立つ事を恐れておとなしくしていた頃には、戻ってほしくないんだけど……」


 カレフィーネは、いつもこの部屋でミリアナが座る、隣の椅子を見やった。


「自分から秘密をこぼされたら、どうしようもないからねぇ」

「そこは、本人に頑張ってもらいましょう」


 二人は顔を見合わせ、そろって小さなため息をついた。


悪魔(エリ): 現在の皇国は重婚を禁止、皇族を含めて一夫一妻制。大革新の下、認知された庶子(しょし)は嫡出子(ちゃくしゅつし)と法的に同等。

悪魔の眷属(エーアイ): 妾の制度は廃止されたので、減ってはいるものの、まだ富裕層では愛人を囲う習慣が残っていますね。

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