第6話 差し替え
寮の部屋に戻るまで、カレフィーネは一言も話さなかった。
事務棟から庶民寮までは、普段なら他愛ない話をしながら歩けばすぐの距離だ。けれど今日は、その短い道のりがひどく長く感じられた。
部屋に入ると、椅子に腰掛けたカレフィーネは両手を膝の上で握りしめ、床を見つめていた。やがて、ぽつりと呟いた。
「お母さんに……なんて言おう……」
いつもの柔らかい口調とかけはなれた、か弱い声だった。
カレフィーネは西の商都出身だ。
何か複雑な家庭の事情があるようで、離れて暮らす母親以外の親族について、彼女が話題に出す事はない。
父親は地方官僚だと聞いたので、暮らし向きに困るような事はないはずだが、私と同様に公的奨学金を受け取り庶民向けの寮で暮らしている。
踏み込んでその事情を聞いた事はないが、彼女の机の中には、彼女宛に届いた上質な封筒が、いくつも封を切られずにしまわれているのを知っている。どの封筒にも、同じ差出人の名前と皇都の住所が几帳面な字で記されていた。
おそらく彼女は、家族に頼らなくとも一人で自立して生きていける、夢に向かって進んでいける――そんな事を証明したいのだろう。
そして、そのために努力を惜しまず、日々精進している事を、そばにいる私はよく知っていた。
「まだ確定したわけじゃないよ。きっと何かの間違いだって!カレフィーネも、算術の手応えはあったんでしょ?」
「それは……そうだけどぉ」
カレフィーネの声は細い。
算術は彼女の得意科目ではないので、自信がないのかもしれない。
けれど、落第するほど苦手ではないし、計算問題は答えがはっきり出るので、試験を受ければ自分の出来はある程度わかるはずだ。
私は励ますために力強く主張する。
「じゃあ、試験結果をちゃんと確認してみようよ!」
1週間の成績提示期間中には、成績に不服があれば説明会の開催を申請して、採点結果の開示を求める事ができる。
これは、過去に政争や縁故による成績への不正干渉が横行したために整えられた制度らしいが、一応は学生でも申請する事ができる。
「……でも、10札幣なんて私には払えない……」
カレフィーネは膝の上の手をさらに強く握った。
答案の開示を求める制度はある。ただし乱用を防ぐために幾つかの条件もある。
その一つが申請費用だ。学園側の瑕疵が認められれば返金される事もあるが、申請には前金が必要だ。
10札幣――。
私達が1時間の手伝いで受け取れる金額は、およそ500銭幣くらいだ。10札は10万銭なので、その200倍になる。昼間ずっと働いたとしても1か月近くかかる計算になる。
学生にとっては大金だ。公的奨学金で学費と寮費を賄い、学外で働く時間も十分に取れない私達にとっては、なおさらだった。
「お金なら、なんとかなるよ!」
「ミリアナ……」
「費用については後でどうするか相談しよう。とにかく、まず私は成績説明会の申請手続きを確認してくる。このまま諦めるのは、絶対に駄目だよ!」
「……うん……ありがとう」
弱々しく微笑む表情に、胸が痛くなった。
私は部屋を出て、扉を静かに閉めた。
寮の裏手には洗濯場へ続く細い通路がある。昼前のこの時間には人目がほとんどない。
――まずは事実を確認しよう。
私は周囲を確認し、服の上からそっと首飾りを押さえて話した。
カレフィーネにはあのように言ったものの、人間のやる事に失敗はつきものだ。思いもよらぬ計算間違いが絶対ないとは言い切れない。
「エリ、今回の算術講座の試験、カレフィーネは何点だったの?」
『カレフィーネが解答した答案の採点結果は72点。カレフィーネの成績として登録されたのは48点』
「!?どういう事?」
想定外の回答に、声が裏返った。
算術講座の場合、不合格となるのは60点未満なので、72点なら落第になるはずはない。
採点結果と登録得点が異なるというのは――どこかで点数が入れ替わっている?
「採点結果と成績が違うのはなぜ?何が起きたのか教えて?」
『成績登録時に、カレフィーネとして使われた受験票に別人の番号が記載』
エリの回答に引っかかりを覚える。「カレフィーネとして使われた……」
試験を受ける時、配られた受験票に署名して、答案用紙にはその受験票の番号を書く。つまり答案用紙には名前が書かれない。これは採点時に誰の答案用紙なのか、わからなくするためだ。
その後、採点結果と受験票を突き合わせて成績が登録される。
もし成績登録の段階で受験票の番号が入れ替えられていれば、採点済み答案の点数は別人のものとして記録される。
いやな予感を覚えながら、エリに確認する。
「なんで受験票が入れ替わっていたの?」
『成績登録の担当事務員が、用意した別の受験票に入れ替え』
胃の奥が、きゅっと縮んだ。
「それは……故意にという事だよね?」
『偽造した受験票による故意の差し替え』
「!!」
つまり、カレフィーネは不正行為に巻き込まれていたのだ!
不正行為を行った事務員。エリから聞いたその名前を私は知らなかったが、事務棟の窓口で何度か見た事がある。小太りな中年男性で、いつもやる気のない表情をしている姿が頭をよぎった。
「その事務員が、個人的にやったの?」
『学生局の事務長が指示』
「事務長まで!?」
――うわぁ〜、思った以上に闇が深いぞ。
エリに確認を続けると、背景事情と巧妙な不正手口が明らかになった。
まず貴族の傍系出身である事務長が、貴族主家筋から子息に便宜を図るよう依頼されたらしい。
その子息は素の成績では卒業が困難だったため、事務長は借金を抱えていた事務員を賄賂で抱き込み、不正な手段で子息の退学を防ぐ行為を始めたのだ。
学園には不正を防止するための仕組みがあり、しっかりと運用もされている。
答案用紙に受験者の名前を記載しないのもその一つだし、答案の採点作業や成績の登録作業は必ず2名以上の確認を経ている。
しかし今回の犯行は、採点結果を受験票と突き合わせて成績表にまとめる段階で行われていた。
先に受験票を偽造品と差し替えているため、後から別の職員が確認を行っても不正が発覚しない。
事務長が作業の割り振りで、成績表を作成する最初の作業に不正事務員を割り当てているのだ。
「でも、受験票は署名されているよね。どうやって偽造しているの?」
『この事務員は、腕の筋肉に身体魔術を使う事で、署名の筆跡模倣に熟達。素人目では判別が困難』
なるほど。熟練の職人さんは身体魔術で非常に緻密な作業を行うと聞くが、その事務員はそんな方向に才能を伸ばしてしまったのか。
だが、署名には筆跡だけでなく『魔署紋』が記されている。
魔署紋というのは、署名時に魔力で墨液を変質させて特徴を記録する錬金魔術で、広く使われている偽造防止の技法だ。『顕紋照具』という器具で特殊光を照射すると、変質箇所だけを光らせる事ができる。
放出魔力は個人差が大きく真似が困難なため、筆跡に加えて魔署紋を確認すれば、署名の真偽を高精度に判定する事ができる。
いつも同じ筆跡と魔署紋を残すのに練習が必要だが、小さな頃から繰り返し使う魔術なので、学園に入る生徒ならば間違いなく習得している。
「署名の魔署紋は確認されていないの?」
『偽造署名に対しても、生徒台帳と顕紋照具での署名確認は実施されている』
「じゃあ、偽造に気づきそうだけど。どうして見つからないのかな?」
『魔署紋を複製する器具を使用』
「えっ、そんな器具が存在するの!」
署名の偽造はもちろん違法だ。
複製に使っている器具は、不正を依頼した貴族が軍の諜報部から密かに入手した品で、この不正行為を行うために事務長へ貸し出しているらしい。
ただし、複製される魔署紋は元の署名より淡く滲んでしまうため、しっかり確認されると偽造が発覚するおそれがある。
そこで事務長は、通常よりも魔署紋が濃く見える仕掛けを施した特殊な顕紋照具を用意して、事務員達に使わせている。
――そこまでやるのか〜。
いや、学園の不正対策をかいくぐるには、そのくらい手の込んだ細工が必要だったという事なのだろう。
しかし、まだ疑問が残る。
「どうしてカレフィーネが狙われたの?」
『その講座で点数が最も低い、公的奨学金のみで生活している生徒が対象』
「まさか、それって……成績説明会の申請費用が払えない学生を狙ってなの?」
『事務長が、申請困難な貧乏学生を狙うように指示。これまで5回の差し替え対象は、全て公的奨学金の支給対象の学生』
背筋に寒気が走り――
「……つまり私も点数次第では対象になっていたという事だよね?」
『事務員の持つ対象名簿にはミリアナの名前もある』
――すぐ後から怒りが込み上げた。
冗談ではない!!私がどれだけ苦労して、努力して、物語を聴きまくる暮らしを維持していると思っているのだ!
不正をするなら、もっと人の迷惑にならないようにやれ!
こんな不正行為を行った事を後悔させてやる。事務長と事務員、そして不正を依頼した貴族に対しても、異世界の物語の〈ざまぁ展開〉に持ち込むのだ!
私はエリを使い、それはもう必死になって、彼らの不正を暴く方法を考えるのだった。
カレフィーネを救うという当初の目的を忘れていたわけではないよ……いや本当に……。
悪魔: 顕紋照具は紫外線照明の一種。




