第5話 成績発表
試験期間が終了し、休日を挟んだ翌週の朝は、学生食堂の空気がいつもより少しだけ硬い。
普段なら麦の混じった炊きたてのごはんに群がり、山のように食器へ盛っている男子達も、あくびを噛み殺しながらもおしゃべりに花を咲かせる女子達も、今朝はどこか落ち着きがなかった。
私達の卓には、ごはん、季節野菜の汁物、焼き魚、豆と根菜の煮物、青菜のおひたしが並んでいる。栄養面も配慮された学生食堂の朝食はいつも通りとても美味しいのだが、今日ばかりは箸の進みが悪い学生が多い。
受講科目の成績が発表されるからだ。
皇国では先代の女皇陛下が行った『大革新』と呼ばれる制度改革により、学校や職業に対する身分差はほとんど存在していない。
この皇立高等学園も、成績が優秀なら誰でも通えるし、奨学金を受ければ、私のような身寄りのない者でも学費や寮費を賄いながら学ぶ事ができる。
ただし、国の中枢を担う人材の育成を目的とする教育機関として、学習成果は非常に厳しく評価される。
学園の生徒は、12歳で入学してから成人とされる18歳までの6年間、毎年一定数以上の単位取得が義務付けられる。
夏期と冬期の年2回、半年ごとに講座が開設され、生徒は学年に関係なく自由に受講対象を選択できるが、全ての講座で期末に試験が実施され、その結果どれか一つの講座でも落第点となり単位取得に失敗すると――その時点で退学処分となる。
このような制度のため、卒業時の人数は入学時の3割程度しか残らない。
代わりに卒業生は皇国の政府官僚としての採用が確定されている。
また、入学実績だけでも世間では十分に優秀な人材として認められているので、途中退学でも就職先に困る事はなく、民間の商学校への編入は簡単にできる。
中退が致命的になるのは、上級官僚としての出世を志す者か、私のように公的奨学金の返済義務の免除を狙っている者だ。
学園を無事に卒業すれば、官僚にならなくても公的奨学金を返す必要はない。
もっとも、奨学金の返済だけなら、賢者の石があればどうにでもなると思う。
けれど私の密かな夢は、この国で異世界のように、大人が一人でも夢中になって追いかけられる長編物語の文化を育てる事だ。
そのために、学園で学べる知識や人とのつながりはきっと役に立つ。
だから今は、とりあえず成人するまではおとなしく学業に励もうと思っている。実現のための道筋は、まだなにも描けていないけれど――。
「カレフィーネ、緊張してる?」
「うーん、緊張してはいるかなぁ」
向かいに座ったカレフィーネは、いつも通りのやわらかな微笑みを浮かべたまま、そう言った。
耳を出すくらいに短く整えた髪も、皺のない襟元も普段と変わらず、内心はともかく、彼女の表情からは緊張を感じられない。
私は自分の成績をすでにエリに確認済みだ。そうでもしなければ小心者の私は心臓が持たない。食事は喉を通らないだろう。
試験中に賢者の石と話ができるはずもないので、私は日頃からコツコツと真面目に勉強している。
ただし今の成績は、エリの能力を最大限に使う事でなんとか維持しているものだ。
エリに頼めば、試験日よりも前に問題の内容を知る事もできるが、この方法は採っていない。
完全な不正行為を忌避している面もあるが、試験問題の確定を待っていると、私の理解が間に合わないのが一番の理由だ。
――締め切りギリギリまで問題を修正しまくる先生方が結構多いんだよね……。一夜漬けで対応する記憶力も集中力もない私には無理だ!
エリには、過去の問題や教師の出題傾向などから推定問題を作ってもらっている。
エリの分析能力が半端ないので、推定問題が外れる事はあまりないし、完全に一致する事も多い。
毎年同じ問題しか出さない先生もいるし……。
そもそも私は満点を目指しておらず、平均以上で優秀未満の得点が狙いだ。
なぜなら、総合成績で平均を下回ると来期から奨学金が受け取れなくなるし、優秀者は名前が掲示されて目立つためである。
ちょうど良い目標得点をエリに提示してもらい、学習の理解度をエリに確認してもらい、わからない問題をエリに噛み砕いて説明してもらい……。うん、完全にエリの能力に依存しきっているね。
――記憶力が特別良いわけでも、計算が速いわけでもない私は、この学園に残るためには手段を選んでいられないのだ!
自分が非常に恵まれた条件で勉強をしていると自覚しているので、カレフィーネのように、純粋に自分の力だけで良い成績をとっている人達は本当にすごいと思う。
異世界の物語の中に、知的枠の人物としてカレフィーネを登場させても、全然違和感がないんじゃないだろうか。
そんなふうに尊敬の眼差しを向けていると、彼女は不意に悪戯っぽい微笑みを浮かべ、話題を変えてきた。
「そういえばぁ、ミリアナの事を尋ねている人がいるみたいよ」
私は箸を止めた。まさか!賢者の石を探す組織が?
「なにっ、治安局!?それとも私立探偵!?」
「いやいや、ミリアナなにをしたのよ。そうじゃなく学生。一つ上のセルヴィン先輩って知ってる?」
「……」
私は半眼で遠くを見て固まり――机に突っ伏した……。
「ふぅん、その反応は何か思い当たるのねぇ」
「……そっか、ばれてしまったか」
カレフィーネは忙しい身のはずだが、いろいろな情報をどこからか入手して、私に教えてくれる。
外交官を志望していると聞けば、納得できる交友関係の広さだ。
「もしかして、つきまといとか?」
「いやいやいや、そういうのじゃないから!」
私は、あわてて顔を上げ、両手をぱたぱた振った。
「そっかー。ついにミリアナにも春が来たんだねぇ」
「来てない来てない!私にそういう話はこないって」
「どうしてそう思うのぉ?」
「どうしてって、地味だし、壁に馴染むし……」
「ミリアナは地味っていうけどねぇ、そういうおとなしそうな娘が好きな人もいるよ」
カレフィーネは首を傾け、私の顔をまじまじと見た。
「それにね、特徴が薄い人って印象を変えやすいよ。ちょっと化粧して、気弱なふりをやめて素を見せたら、最初の印象との落差で心を奪われたりしそうだけどねぇ」
私は学園に入るまで同年代の友人との付き合いがなかった事もあり、この手の話題はちょっと苦手だ。
物語の中の恋愛話をドキドキしながら聴くのは大好きなのに、自分の身に関してはちっとも現実味を感じられないのだ。
カレフィーネの興味が妙な方に向かわないように、話を戻そう。
「匿名のつもりでやった善行が、ばれちゃったのかなって」
「もしかして、落とし物を内緒で届けてあげたとか?ミリアナは目立つの嫌うからねぇ」
「そうそう。誰がしたのか気になっただけだと思うので、大丈夫だよ」
「そっか。それなら良いんだけどね」
烏名義の脅迫状とか――ちょっとだけ暴走したけど、きっと怒らせたりはしていないと思うよ。
朝食を終えた私達は、学生事務棟へ向かった。
事務棟からは成績表受け取りの列が外にまで続いており、外の掲示板の前にも人だかりができている。掲示板には、講座ごとの優秀者と落第者が名前で提示されているのだ。
掲示板の前で学生達が一喜一憂する姿は、見慣れた光景だ。
「成績表はまだ時間がかかりそうだね。とりあえず、掲示板を見に行こうか」
「うーん、そうねぇ」
結果を事前に聞いていても、ちょっとドキドキしながら掲示板に目を通す。
――よしっ、どこにも私の名前は書かれていない!
外国語講座の優秀者欄にはカレフィーネの名前がある。
彼女は語学系講座の優秀者欄の常連で、今回も良い成績を獲得したらしい。
「カレフィーネ、さすがだね!また外国語講座に名前が……」
そう言いながら隣のカレフィーネを見ると、目を見開いて立ち竦んでいる。
「……嘘」
かすれた声で呟くカレフィーネの目線を追うと、算術講座の落第者欄に「カレフィーネ」の名前が記されていた。
――まさか!
確かにカレフィーネは他の講座に比べて算術は苦手だが、それでも落第するような点を取るとは思えない。
何が起きたのかエリに確認を――いや、まずはともかくカレフィーネを落ち着かせなければ!
「きっと何かの間違いだよ!冷静になって、もう一度確認しよう。ねっ!」
「……」
カレフィーネからは反応がない。
手を引くと抵抗せずついてくるので、寮の部屋で休ませるため、彼女を連れて人混みから抜け出した。
「ちょっといいかな?ミリアナさん――」
「ごめん!今ちょっと、それどころじゃない!!」
途中で誰かに声を掛けられたが、振り返る余裕もなく、カレフィーネを連れた私は無視して通り過ぎたのだった。
悪魔: 塾や家庭教師に頼り切りでも結果が出せるなら十分に優秀。




