第57話 表現と権利
ルッシェリーナは、両手で頭を抱えたまま、机上の紙へ視線を落としていた。
ミリアナがあっけらかんと持ち込んだのは、風刺画から発展した全く新しい技法だった。新聞社で数々の紙面を見てきたルッシェリーナにも、見た覚えも聞いた覚えもない。
しかも、ただ目新しいだけではなかった。画枠を並べて時の流れを示し、台詞枠の形で声の調子まで伝える。合理的で応用の幅が広く、長い時間をかけて洗練されてきたような技法だ。
ミリアナが抱えている秘密は、ルッシェリーナが想像していたより、ずっと重いものなのかもしれない。社会に大きな影響を及ぼしかねない知識を、彼女はあまりにも簡単に引き出してくる。
――ミリアナは、誰から、どのような手段でこの技法を教わったのでしょう?
記者を志す者としては、今すぐにでも聞き出したい。
けれど、ミリアナの夢の実現へ向け、共に歩むと決めた時に約束した。物語や知識の入手経路については、ミリアナが話せる時まで追及しない。その条件で、彼女は『風渡りの行商人』を預けてくれたのだ。
ルッシェリーナは小さく息を吐き、ようやく顔を上げた。
「この技法の出所を聞けば、『風渡りの行商人』の作者の素性へ近づく事になる。そういう理解で良いですね?」
「うん。ごめん。それは言えない部分になっちゃう」
それまで勢い良く説明していたミリアナは、申し訳なさそうに俯いた。
「いえ、それなら約束通り、入手経路については一切追及しません」
ルッシェリーナは苦笑してから、机上の画枠付き脚本を指先で軽く叩いた。
「ただし、権利の取り扱いは決めておく必要があります。ミリアナも、この技法を教えた方も、技法そのものについて権利を主張しない。そういう事で良いですね?」
「うん。入手元には、誰も権利を主張しない表現手法だと確認してあるよ」
ミリアナは顔を上げると、両手を机の上についてルッシェリーナをまっすぐ見返す。
「私は、この漫画の表現手法が広まれば、今まで物語に興味を持っていなかった人達にも届くんじゃないかと期待しているんだ。だから、私や継譚商会だけで独占するより、どんどん真似してもらえた方が嬉しいよ」
自分の利益よりも、物語が広まる事を喜ぶ。それはミリアナの美点であると同時に、危ういほどの甘さでもあった。誰もが自由に使える技法にしたいと願っても、後から現れた者が同じように考えるとは限らない。
「わかりました。では、この技法を公開する前に、まず継譚商会の名義で先用技術・技法適用除外登録を申請しましょう」
「えっと……。権利が要らないのに、申請するの?」
「先用登録は、技法を独占するための申請ではありません。わたくし達がその技法を把握し、事業で利用する準備を始めていた事を、非公開で公的な記録として残します。外国の技術を導入する際などに利用される、知名度が低い制度ですが、入手元の開示が不要で、すぐに登録できるので、今回の事情にはうってつけでしょう。これで、後から同じ技法の知産登録を申請されても、利用を止められないようにできます」
ルッシェリーナは白紙を一枚引き寄せ、『技法の知産登録』と題目を記した。そして、横に時間軸の線を引いて、その上に左から順に『先用登録』、『紙面公開』の時期を書き込む。二つの間には『他者の申請可・こちらの利用は継続』と記した。
「まず、漫画制作に用いる一連の技法を、新聞掲載に向けた準備として先用登録の申請をします。すると、まだその技法の知産登録の申請は可能ですが、事前に先用登録で届け出た私達の事業に対しては、登録されても効力を及ぼす事ができません。その後、新聞などで技法を公開すれば『公知』となり、それ以後に同じ技法の知産登録を申請しても、新規性がないとして拒絶されます」
「一度みんなに知られた表現手法は、別の人が後から自分のものとして登録する事はできないんだ」
「その通りです。先用登録は、公開する前に情報が漏れ、他者が自らの発明と偽って申請するような事態への備えです。ほかの絵師達も自由に使えるよう、技法の公開も進めましょう」
ミリアナは紙の上に描かれた図を見比べ、感心したように何度も頷いた。
「知産登録って、利用を制限できる権利を取るものだと思っていたよ。利用をし続けるための登録もあるんだね」
「はい。ただし、先用登録の対象は技法です。その技法で作られた作品は別に考えなければなりません」
「漫画の描き方と、実際に描いた漫画の違い?」
「ええ。皇国の知産登録には、技術や技法を守るものと、作品や意匠を守るものがあります。作品や意匠に対して、先用登録はできません」
通常の技術・技法の登録は、新しい方法を社会へ提供する代わりに、一定期間の独占を認める制度だ。新規性を保証するため、一般へ公開する前に申請しなければならない。
一方、物語や絵といった作品は、まず人々へ公開し、その実物と公開日を証拠にして登録を申請する。
「『風渡りの行商人』は作品として申請済みです。異議なく登録されれば、物語の題名や登場人物を無断で使った派生作品や、文章を流用した作品を、継譚商会が差し止められるようになります」
「そうか、漫画の手法を自由にしても、『風渡りの行商人』を使った漫画は、誰でも好きに発表して良いわけじゃないんだ」
「はい。『風渡りの行商人』をどのように利用させるかは、登録権利者となる予定の継譚商会が決めます」
「いやー、権利を守るのって、いろいろと面倒で大変なんだね。それだけはよくわかったよ」
――ミリアナがどこまで理解しているかは、少々心許ないですが……。まあ、ひとまず登録が必要だとわかってもらえれば、良しとしましょう。
悪魔: 令和日本の制度と比較し、登録で権利を得る点で、「技術・技法の知産登録」は〈特許〉、「作品・意匠の知産登録」は〈商標登録〉〈意匠登録〉に近い。
悪魔の眷属: ミリアナさんと同じく、これらの制度は、必要性だけご理解いただければ大丈夫です。




