第55話 四つの画枠
ネマリエさんの喫茶店から帰った夜、窓の外ではまだ雨が降り続いていた。
雨粒の打ちつける音を聞きながら、私は寮の部屋で机に向かう。白紙と鉛筆を用意し、耳当て式受話器をかけると、左側の穴へ指を差し入れた。
今日、産業日報社から頼まれた企画について検討するためだ。
「毎日の新聞に載せられる、新しい紙面素材を期待しているんだって。せっかくなら、『風渡りの行商人』の宣伝にもなるような企画が良いと思わない?」
『読者数の増加を狙う作戦として妥当』
産業日報新聞の購読者は、商会や工場などの仕事場で紙面を開く人が大半だ。平日は毎日読んでいても、日曜版には目を通さない人も多い。
せっかく新聞を購読してもらっているのに、物語の存在さえ知られぬまま、掲載紙が捨てられてしまう。それはあまりにもったいない。
「平日の紙面で『風渡りの行商人』を知ってもらえれば、日曜版の物語も読んでみようと考える人が増えるよね?」
『その可能性は高い』
方向は決まった。しかし、ここでエリに「企画を考えて」と丸投げしても、新聞社が求めるものとかけ離れた提案が返ってくる可能性がある。
――それなら、異世界で実際に上手くいっている方法を聞いた方が早いよね。
「エリ達の世界では、一つの物語をより多くの人に届けるために、どんな方法が使われているの?実際に成功している企画の例を教えてくれる?」
『物語を広めるなら、〈メディアミックス〉が常套手段』
「聞き慣れない言葉だけど、〈メディアミックス〉ってなあに?」
『一つの物語を本として売るだけでなく、〈漫画〉、〈アニメ〉、〈映画〉、演劇など、異なる形で同時に展開。それぞれの媒体を通じて作品を知る人を増やし、互いの読者や観客を引き込む手法』
「なるほど。新聞で連載しながら、劇場でも同じ物語を公演すれば、知名度は凄く上がりそうだね」
〈アニメ〉や〈映画〉は、異世界の動く絵と映像の物語だ。この世界にも動画技術は存在するものの、記録や軍事の限られた用途で使われ始めたばかりである。庶民向けの娯楽として活用するには、技術も設備も足りない。
演劇なら実現できるかもしれないが、毎日の新聞へ載せる企画を考えるという今日の目的からは外れてしまう。
「じゃあ、〈漫画〉はどうかな。絵で物語を表した本だったよね?私達の世界にある絵本とは、何が違うの?」
『絵本は文章を絵で補う形式が主流。〈漫画〉では、文章ではなく絵が物語を進める。一つの場面を〈コマ〉と呼ぶ小さな絵に分け、順番に配置。登場人物の台詞も、絵の中に〈吹き出し〉と呼ぶ囲みで描画』
説明を聞いても、その完成した姿がどうにも思い浮かばない。文章が少ない絵本のようなものだろうか。それとも、挿絵をたくさん並べたものなのか。
「うーん。言葉だけじゃ難しいね。私達の世界に、似た表現はないの?」
『新聞の風刺画が最も近い。こちらの世界の〈漫画〉も、新聞や雑誌に掲載された風刺画から発展』
「えっ、そうなの?それなら、新聞社に提案するのにちょうど良さそうな気がするね」
新聞の風刺画なら、私も見た事がある。政治家や世の中の出来事を、大げさな姿や滑稽な構図の一枚絵にして批評するものだ。絵の中に説明文や台詞が書き込まれる事もある。
そこから、四苦八苦しながら、〈漫画〉がどのようなものかを、少しずつエリから聞き出した。
私が理解した内容を紙の上に描き、指し示しながら修正していく。
なんども書き直し、失敗用紙が何枚もごみ箱に放り込まれた。
「つまり……こんな風に、人物から雲のような枠を湧き出すように浮かべて、そこに台詞を書けば良いの?」
『〈漫画〉における〈吹き出し〉の基本形として概ね妥当。〈吹き出し〉の形を変える事で、大声や内心なども表現可能』
「なるほど、こうやって感情を伝える事もできるんだ。でも、これだけじゃあ、ちょっと変わった風刺画というだけだよね。新聞社が喜びそうな新鮮な提案にするなら、どんな形が良いのかな?」
『新聞掲載を想定するならば〈4コマ漫画〉を提案。縦に同じ大きさの〈コマ〉を4つ並べて、起・承・転・結で短編の物語を提示』
「あれ?でも、〈コマ〉の大きさや配置で、物語の流れや場面の重要度を表現するんじゃなかったっけ?」
『〈4コマ漫画〉は〈コマ〉の大きさと配置をあえて固定し、新聞の限られた紙面に収めやすくした形態。読む順序に迷いにくく、一つ、また一つと読み進める〈リズム〉を生む。その流れの中で読者の予想を裏切れば、最後の意外性が際立つ』
「なるほど。新聞紙面に適合させた表現手法って事だね」
言われたとおりに、紙の上に枠を描き、枠の横に「起」「承」「転」「結」の文字を書く。
「書いたよ。それでこの起承転結ってなあに?」
『「起」で状況を提示、「承」で続きを描写、「転」で変化や意外な出来事を挿入、「結」でその結果、つまり「落ち」を提示』
「うーん、うっすらとは想像できるけど、やっぱり具体的な例がないと、理解できそうにないね……。私に絵心はないから、何か適当な例を言葉で説明してみてよ?」
『では、私がマスターに代わって、簡単な事例を紹介しましょう』
面倒になったのか、エリは説明をエーアイさんに任せたようだ。
『「起」は、背景が台所で、女の子と猫がいます。そして――』
私は、説明された内容を絵ではなく、脚本形式で〈コマ〉の右に書いていく。
――おっ、この形式で書いておくとわかりやすいね。
続く説明も、同じように書き留めていく。
2つ目の〈コマ〉では、台所を出ていく女の子の背後で、猫が焼き菓子へ前足を伸ばしている。
3つ目では、戻ってきた女の子が、空になった皿を見て「あれ?」と首を傾げる。その隣で、猫は何食わぬ顔で毛繕いをしている。
『そして最後の〈コマ〉では、女の子が猫をじっと見ています。猫は顔に菓子の欠片を付けたまま、「……にゃあ?」と鳴くのです』
「こんな感じで合っている?」
『はい、ミリアナさんが書いた図――〈コマ割りネーム〉などと呼びますが――で問題ありません』
エーアイさんが例にあげたのは、猫が顔に食べ滓を付けたまま、お菓子を食べた事をごまかすという話だった。
「確かに、この表現手法は新鮮で面白いね!新聞社の人にも受け入れて貰える気がするよ」
試しに説明に従って、枠内に簡単な絵も描き加えた。
――あれっ?!おかしいな、絵がなくて、説明だけの方がわかりやすかったような……?
翻案だけで手一杯なので、もともと自分で制作するつもりはなかったが、話作りも任せられて、ちゃんと絵も描ける作家を見つけてもらおうと、心に決めた。
悪魔: 面倒が理由ではない。説明能力を考慮してエーアイを指名。
悪魔の眷属: そんなに謙遜しなくても、ミリアナさん同様、マスターにも画伯の才能がありますよ。




