第53話 雨の喫茶店
6月最後の休日の午後、私達継譚商会の4人は、傘を並べて皇都の住宅街を歩いていた。
朝から空を覆っていた雲は、昼を過ぎて低く垂れ込めている。雨粒は時間とともに大きくなり、石畳に無数の輪を描いていた。
今日の目的は、産業日報新聞の日曜版別紙へ先行掲載された『風渡りの行商人』の第3話を祝い、互いの苦労をねぎらう事だ。私の母と昔一緒に働いていたネマリエさんの喫茶店を紹介したところ、皆も乗り気になってくれた。
軒先へ滑り込んで傘を畳み、扉を開ける。澄んだ鈴の音に迎えられた店内には、ほかの客の姿はなかった。
「まあ、ミリアナちゃん。いらっしゃい。雨の中、大変だったでしょう」
奥から出てきたネマリエさんが、いつものふんわりとした笑顔で迎えてくれる。入口に用意された傘立てへ皆で傘を収めていると、窓の外が一瞬白く光った。
少し遅れて低い雷鳴が響く。私達が白い卓布の掛かった卓へ着く頃には、大粒の雨が窓硝子を叩き始めていた。
「本降りになる前にお店に入れて幸運でしたね」
「あらあら。きっと、この雨ではほかのお客さんはいらっしゃらないわね。どうかゆっくりしていってちょうだい」
「ありがとうございます。とても素敵なお店ですねぇ」
「ええ。花柄の茶器も、窓辺のお花も、よく合っています」
カレフィーネとルッシェリーナは飾り棚の茶器や窓辺の花を眺め、清楚で落ち着いた店の雰囲気を気に入ってくれたようだ。
――雨の中をわざわざ来てもらった甲斐があったね。
注文を済ませ、卓の上へ今日の別紙を広げた。見慣れた表題の下には、第3話の活字と挿絵が収められている。
「これで先行掲載の3話が全て出たわけか」
セルヴィンは別紙を片手で高く掲げると、空いた手のひらで紙面をバンバンと叩いた。薄い紙が大きく揺れるたび、その顔に浮かぶ興奮も増していく。
「しかし創業直後から新聞掲載だなんて、改めて考えても凄い事だよ!最初のうちは資金繰りで苦労するだろうと覚悟していたから、先行掲載分の原稿料を先払いしてもらえたのは本当に助かったよ」
「そうだねぇ。契約も滞りなく登録できたし、作品の知産登録の申請も無事に開示までされて、あとは登録を待つだけだし、ここまでは順調すぎて怖いくらいだよ」
継譚商会が正式に動き始めてからひと月近く、商会の経営は驚くほどうまくいっている。資金繰りも安定しており、新聞社との連絡や権利関係の手続きも順調だった。
「産業日報社も、わたくし達の提供する物語が契約者数の増加に寄与していると確信しています。一般家庭からの新規契約はまだ多くありませんが、これから大きく伸びるという手応えを持っているようです」
ルッシェリーナの説明を聞きながら、私は事前にエリへ尋ねておいた販売状況を思い返した。
もともと産業日報新聞は、一般家庭より商会や工場などの法人契約が多い。別紙を付け始めてからは、その法人向けの部数が想定以上に伸びているらしい。
特に反響が大きいのは、食堂や喫茶店、病院の待合室のように、1部の新聞を何人もの客が手に取る場所だ。噂を聞き付け、うちでも置きたいと新たに契約する店が増えているという。
まだ物語を追い始めた読者は多くない。それでも毎週続きを待ち望む人が、皇国のどこかで確実に増えている。
――ふふん。第3話まで読めば、大抵の人は先が気になって仕方なくなるからね。
ただ商会の仕事は順調でも、私自身が引き受けた『風渡りの行商人』第二部の翻案は、かなり難航している。文字起こしまでは終わったものの、第一部よりも皇国へそのまま持ち込むと違和感の生じる場面が多いのだ。
「ルッシェリーナ、ごめん。私の宿題になっている第二部の提供時期だけど、まだ少し見通せないんだ」
「大丈夫です。焦って無理な予定を示すのではなく、確度の高い計画として教えていただきたいのです」
「うん。頑張るから、もう少しだけ待って」
ルッシェリーナは責める様子もなく頷いた。それから膝の上で指を組み直し、私達3人の顔を順に見渡す。
「それより、新聞社から継譚商会へ新しい依頼をいただいています。皆さんに対応を相談させてください」
「えっ、新しい依頼?」
「はい。日曜版の連載とは別に、毎日の新聞へ掲載する紙面素材を、何か提供できないかというものです」
私が声を上げるより先に、カレフィーネが困ったように眉を下げた。
「うーん。でもミリアナは、もう手一杯だと思うよ。これ以上、新しい物語まで用意するのは難しいんじゃないかなぁ」
「はい。それは承知しています。紙面素材は物語でなくても構わないそうです」
他の新聞社と発行部数競争を続ける産業日報社は、自分達とは違う視点を持つ継譚商会なら、日々の紙面へ新しい風を入れられるかもしれないと期待しているらしい。
「まだ具体的な企画があるわけではありません。良い提案があれば聞かせてほしい、という程度ですから、返答を急ぐ必要もありません」
「そうか。無理をする必要はないけど、安定した売上がもう少し増えるなら、商会の経営としては助かるかな」
セルヴィンは一つ咳払いをすると、真面目な顔を作って私へ向けた。
「でも、第二部を遅らせてまで引き受ける話ではないよ」
「わかってるよ」
ただでさえ作業に余裕がない。新しい仕事なんて無理だと、最初は断るつもりで聞いていた。
けれど、私が新たな原稿を書く必要のない企画なら話は別だ。提案するだけで商会の安定した売上につながるなら、考えてみる価値はある。
「急がないなら、私も考えてみるよ」
――自分じゃ良い案は思いつきそうにないけど、悪魔の知恵を借りれば、一つくらいは見つかるかもしれないよね!
悪魔: 自分の成長のため、賢者の石への過度の依存は回避を推奨。
悪魔の眷属: マスターも〈AI〉への過度の依存はやめましょう。
悪魔の眷属: お読みいただき、ありがとうございます。このお話から第3章となります。引き続き応援をよろしくお願いします。




