第50話 物語の景色
翌日の放課後、ルッシェリーナは新聞社との契約を終えると、その足で私の部屋へやってきた。私は隣の部屋からカレフィーネも呼び、一緒に話を聞く。
「予定通り、まずは半年間の独占掲載について契約を結びました。連載の延長と書籍化については、引き続き協議する事になっています」
ルッシェリーナは鞄から契約書を取り出し、私達に差し出した。その口元には、わずかに笑みが浮かんでいる。
「編集部にも原稿を確認していただき、校正と事前検閲にも問題はないと判断されました。数回の試験掲載から始めるべきだという意見もありましたが、文化部長が、第一部は完成しており、短期間では一般家庭の購読者を増やせるか判断できないと強く説得し、半年間の契約を通してくださいました」
一番慎重だった人が、今度は一番の味方になってくれたらしい。
鞄から取り出されたのは契約書だけではない。何枚もの参考画が、間に薄紙を挟んで重ねられていた。新聞社が候補として選んだ、複数の絵師による作品見本だという。
机の勉強道具を片側へ寄せ、私とカレフィーネも一緒になって絵を並べていく。大人や子どもの肖像、卓上の花瓶と果物、街角の建物、馬や鳥。参考画という事で一般的な題材だが、線の太さも、影の付け方も、人物や動物の表情も一枚ずつ全く違っていた。
「新聞社でも、従来の購読者だけでなく、女性や若い読者にも物語へ関心を持ってもらうには、どのような絵師が合うのか決めかねているそうです。そこで、継続して絵を提供でき、初回分の制作にもすぐ取り掛かれる方を数人まで絞り、この中からわたくし達に選んでほしいとの事でした」
「うわぁ。これはまた、絵師さんの個性が出ているね」
「うーん。どれも素敵だけど、物語の印象って、かなり絵に引っ張られる気がするよねぇ」
カレフィーネが、繊細な線で描かれた旅人の絵と、力強い陰影の風景画を交互に持ち上げる。私も隣の絵へ目を移すが、どれか一つを選ぼうとすると、別の絵の良さが気になってしまう。
「えっと、いつまでに答えれば良いのかな?」
「本紙での連載は7月からですが、それに先立ち、6月中に第1話から第3話までを、毎週1話ずつ、日曜版の別紙付録として先行掲載する事になりました。初回は来週の日曜日です。挿絵の制作期間を考えると、遅くとも週明けには返事が欲しいそうです」
「わかった。作者さんにも相談してみるよ」
その夜、寮内が静まり、廊下から人の声が聞こえなくなった頃、私は参考画をもう一度机へ並べた。
顔を近づけて一枚ずつ見直してみても、どの絵師が良いのか決め手を見つけられない。私はエリに助言を求めた。
「エリ、これが新聞連載の挿絵の候補なんだけど、どう決めれば良いと思う?」
『新聞連載は、読書へ割ける時間が短く、印刷の品位も低い傾向。判別しやすく、場面の理解を助ける絵が適合。産業日報社は女性や若年層への訴求を期待。ミリアナが物語の描写に望む絵師を選ぶのが適切』
「おっ、まともな意見をありがとう。でも、結局は私が好きな絵を選べって事だよね……」
選ぶためには、自分が何を描いてほしいのか決めなくてはならない。
私は目を閉じ、『風渡りの行商人』の一場面を思い浮かべる。
主人公が旅をする風景。風に揺れる草原と、遠くまで続く街道。隣を歩く愛犬と愛馬。道中で出会った人々の笑顔や、危機を乗り越えた時の張り詰めた表情。声で聴き、文章へ書き直してきた景色を、今度は一枚の絵として形にしていく。
すると、頭に浮かんだ主人公の外套が翻る様子も、足元の草も、遠くに連なる山の影も、なぜか見覚えのある描かれ方をしていた。
――あれっ。この絵は?
目を開け、並べた参考画の中から一枚を引き寄せる。
どうやら、この絵師の描いた風景は、見比べているうちに脳裏へ刻み込まれていたらしい。もう一度目を閉じても、物語の場面は同じ筆遣いの絵として浮かんできた。
「うん、決めた!この絵師さんにする」
たった今まで迷っていたのが嘘のようだった。一度決めてしまうと、力強く流れる線も、風の動きまで感じられる陰影も、『風渡りの行商人』に一番似合っていると思えてくる。
私は選んだ参考画を指し示した。
「そうだ、エリ。作者さんは、こちらの世界の絵を見る事はできるの?」
『画像を〈電子メール〉に添付して作者へ送付可能』
「どんな手段かよくわからないけど……。届けられるのなら、私が選んだ絵を作者さんにも見てもらえるね」
作者さんへ送る前に、エリ自身の評価も聞いておこう。
「この絵師さんが良いと思うけど、エリはどう思う?」
すぐに返るはずの答えが、ほんの少しだけ遅れた。
『……絵師としての技量は卓越。ただし、描く対象へのこだわりが強く、過去に問題多数』
「えっ。どんな問題を起こしたの?」
『描く対象の解釈を巡り依頼者と衝突。書籍の挿絵の依頼で編集者の説明に納得せず、作者本人との直接交渉を要求』
「そ、それはちょっと……嫌かも」
作者本人との直接交渉など、受け入れられるはずがない。作者さんが異世界にいる事を隠すために継譚商会を作ったのに、絵師を相手に全てを台無しにはできなかった。
別の候補を選んだ方が安全だと、頭ではわかっている。
けれど、机へ並べた他の絵へ視線を移しても、もう物語の場面として見る事ができない。私の頭の中では、『風渡りの行商人』の景色も登場人物も、すっかりこの絵師の線で描かれるようになっていた。
――うーん、どうしよう!
エリを通して、作者さんにも参考画の感想を聞いてみた。けれど、〈電子メール〉で返ってきたのは「〈おk〉」の一言だけ。了解、問題ない、といった意味らしい。どうやら作者さんは大変に忙しいようだ。
「やっぱり、ミリアナもこの絵師さんを選んだんだ。私もこの絵が一番印象に残ってたんだよねぇ」
翌朝、朝食に誘いに来たカレフィーネからも駄目押しされ、私は結局、最初に選んだ絵師へ依頼する事に決めた。
朝食の席には、先に来ていたルッシェリーナもいた。
賢者の石から聞いた絵師の問題を、そのままルッシェリーナへ話すわけにはいかない。それでも、同じ問題が起きた場合の対応は確かめておく必要がある。私は一般論として、それとなく尋ねてみた。
「もし、担当の絵師さんが作者に会わせてほしいと言い出したら、どうする?」
ルッシェリーナは一度だけ瞬きをすると、迷いなく答えた。
「新聞社との契約では、新聞社が管理する関係者が、わたくしを介さずに継譚商会へ接触する事を禁じています。絵師も新聞社の管理下にありますから、そのような要望が出ても、新聞社の責任でお断りします」
「それでも、絵師さんが納得してくれなかったら?」
「その場合は、新聞社の担当としてわたくしが対応します。依頼が決まり次第、一度お会いして契約条件を説明し、どのような方なのかも確認しておきましょう」
「ありがとう!それなら安心だよ」
新聞社が責任を持ち、ルッシェリーナが対応してくれる。そこまで決まっているなら、きっと大丈夫だ。
絵師が問題の多い人物だと教えられない事に、ほんの少しだけ良心が痛む。感謝の気持ちを込めて、心の中で彼女に向かってこぶしを胸にあてた。
――申し訳ないけど、ルッシェリーナ。あとは頼んだ!
悪魔: 原作は〈オンライン小説〉。〈文庫〉〈漫画〉〈アニメ〉では、媒体ごとに別の絵師が担当。原作者も、ミリアナ達が自由に絵師を選ぶ事を希望。
悪魔の眷属: 作者は評価や本栞、共感に深く感謝しています。今後も応援をよろしくお願いします。




