第47話 読ませる力
銀行襲撃の報道で慌ただしい産業日報社の学園支部で、文化部長は向かいに座るルッシェリーナへ言葉を継いだ。
「ただ、私が本当に心配しているのは、商会の業務の方なんだ。新聞社へ原稿を届けるのも、君の役目だろう?」
「はい。継譚商会で原稿を確認し、わたくしが産業日報社へ納めます」
「つまり、紙面の作成や検閲に間に合うよう、商会として必ず原稿を納める責務を負う事になる」
「それに、何か懸念があるのでしょうか?」
「それが3つ目の理由だ。これは君の兼業というより、継譚商会の事業そのものに対する懸念なのだけどね」
文化部長は組んでいた指をほどき、眼鏡の位置を直した。その表情から、先ほどまでの柔らかさが薄れる。
「以前、文化面で物語を連載した時は、原稿の遅れが常態化した。何度も作者の仕事場へ通った担当者は身体を壊し、最後は作者が続きを書けず、途中で打ち切りになった」
文化部長は苦い表情で机へ視線を落とした。
「そんな事があっても、物語の連載を諦めきれなくてね。うちは商会や工場への販売には強いが、一般家庭の購読者数では他紙に負けている。家族にも新聞を開いてもらうため、暮らしや演芸、読み物を増やしているんだ。連載物語は、その切り札になり得るからね。だから期待する一方で、同じ失敗が怖い。作者との仲立ちをする君達の商会が、途中で身動きできなくならないか心配なんだよ」
その言葉にも表情にも、ルッシェリーナを遠ざけようとする悪意はなかった。過去の失敗を繰り返したくないという警戒と、若い学生達を潰したくないという心配が、そのまま表れている。
――演技ではないと、信用しても良さそうですね。
相手の仕草や表情から考えや感情を読み取る術は、貴族家の社交で使うために身に付けてきたものだ。それが、このような場でも役に立つのは少し皮肉だった。けれど、身に付けた技能は自分のものだ。斎家への反感だけで、それを手放すつもりはない。
ルッシェリーナは足元の鞄を持ち上げ、鍵を外した。中から取り出したのは、ミリアナから預かった原稿の封筒である。
「でしたら、こちらをご覧ください」
ルッシェリーナは、題名と作者名を記した表紙を封筒へ残したまま、本文の紙束だけを抜き出して文化部長の前へ置いた。
「既に、これだけの原稿が完成しています。ご心配いただいているような問題は起きません」
文化部長は紙束の厚みに目を見張った後、原稿の冒頭を手に取った。
初めは行数や余白を確認していた文化部長も、1枚目をめくる頃には、物語だけを目で追っていた。
ルッシェリーナは声を掛けずに待った。すぐ側で電話が鳴り、取材から戻った記者が新しい紙片を白板へ貼り付けても、文化部長は顔を上げない。何枚も紙をめくり、冒頭の場面がひと区切りするところで、ようやく原稿から目を離した。
「……これは、続きを読ませる力があるね」
「お気に召したのであれば何よりです。続けて、原稿全体の状態もご確認いただけますか?」
「ああ。危うく仕事を忘れるところだったよ」
文化部長は紙束の途中を数か所開き、それぞれ数行ずつ目を通した。文章が冒頭と同じ水準で整えられ、書きかけの箇所もない事を確かめていく。
「新聞社の表記規則と面割に合わせた微修正は必要だが、すぐ掲載の準備へ入れそうだ。その束が全て、同じところまで仕上がっているのかい?」
「はい。このまま書籍化の準備を始められる段階です。続きの原稿も、既に作者の手元にあります」
文化部長の目が再び輝く。ルッシェリーナは、その視線に気づかないふりをして原稿を封筒へ戻した。
「なるほど。これだけ準備してあるのなら、私の心配は的外れだったようだ」
文化部長は机の上に置いていた封筒を差し出した。
「まずは、約束のものを渡しておこう。支部長と私の連名で、君が継譚商会の広報と渉外を担うにふさわしいと記してある」
「ありがとうございます」
ルッシェリーナは内容と商印章を確かめ、封筒を鞄へ収めた。
これで推薦状を得るという目的は果たしたが、文化部長の視線はまだ原稿をしまった鞄から離れていなかった。
「それから、ぜひ今の物語を、うちで掲載する方向で話を進めさせてほしい。原稿料は産業日報社の規定額で良いのだろうか?」
「はい。紙面掲載に関する条件は、先にお渡しした契約案の通りです。特別な条件は一つだけ。産業日報社が管理する関係者から継譚商会への連絡は全てわたくしを通し、原稿を受け取る新聞社側の担当も、わたくしに限定していただきます」
継譚商会を作者と外部の間に置いても、新聞社の誰もが商会員へ接触できるのでは、どこから原稿が届くのか探られかねない。作者との連絡担当を明かさず、問い合わせを商会で止める。その防壁を新聞社自身にも守らせるための条件だった。
文化部長は鞄から契約案を取り出し、今度は鉛筆で印を付けながら読み返した。
「独占掲載は半年間、書籍化は別契約か。系列出版社との優先交渉や、挿絵の追加も検討できないかな」
「条件を加えるのであれば、継譚商会でも改めて検討いたします」
「もちろんだとも。私一人で契約は決められないが、今日中に編集会議へかけ、私からも強く推してみよう。ところで、冒頭だけでも持ち帰る事は――」
「原稿は契約の成立後にお渡しします」
即答すると、文化部長は残念そうに口をつぐんだ。
「ならば、次の打ち合わせには担当者もこの支部へ連れてこよう。ここで読むだけなら構わないね?」
「はい。わたくしが立ち会うのであれば」
ミリアナが用意してくれた原稿は、文化部長の懸念を払拭するのに十分だった。
――ただ、少し効果が高すぎましたね。これは、かえって契約が面倒になりそうです……。
悪魔: 読み始めたら、自力での中断は至難の業。それがこの物語。
悪魔の眷属: 作者は評価や本栞、共感に深く感謝しています。今後も応援をよろしくお願いします。




