第46話 三つの肩書き
ルッシェリーナが産業日報社の学園支部へ着くと、見慣れた扉の前に、普段はない立て看板が置かれていた。
『銀行襲撃報道本部』
学園支部という名ではあるが、ここが受け持つのは学園内の話題だけではない。皇都東部一帯で起きた出来事を集め、本社へ送るための取材拠点でもある。最寄りの商業街を揺るがした大事件なのだから、報道の中心となるのは当然だった。
入口の扉を開けると、紙と人で埋め尽くされたような光景が広がっていた。
普段の倍を超える記者や事務員が狭い室内を行き交い、外套を脱ぐ暇すらなかった者が、立ったまま取材帳へ文字を走らせている。会議卓の前には自立式白板が運び込まれ、銀行周辺の地図や犯人達の逃走経路、取材先を書いた紙片が隙間なく貼られていた。
「事前通報者の素性について、何か追加情報はないのか?」
「若い女性らしいとしかわかっていない。郵便局へ取材を申し込んでいるが、返事はまだだ!」
「誘拐されていた内通者の息子は東病院だろう。誰か向かっているのか?」
「病院から連絡があった。状態は安定していて、今日中に退院できる見込みらしい。記者を一人回している!」
誰かが声を張り上げるたび、別の机から新しい紙片が白板へ運ばれていく。卓上の電話は応答が終わるより先に別の一台が鳴り、取材から戻った記者と、これから飛び出していく記者が入口ですれ違っていた。
その喧騒の中心で指示を出していた支部長が、ルッシェリーナを見つけて片手を上げた。
「おう、お嬢!もうすぐ文化部長が推薦状を持って来るはずだ。悪いが、この状況じゃ俺は同席できそうにない。直接話を進めてくれ!」
「わかりました。こちらはお気になさらず」
今日は産業日報社から推薦状を受け取るだけでなく、継譚商会との兼業に関する条件を最終確認する予定だった。本来なら支部長も立ち会うはずだったが、今は一人の記者も遊ばせておけないのだろう。
ルッシェリーナも学業の合間に働く学生特約の記者であり、正規の社員ではない。この騒ぎの中で、自分にできる事があるかと尋ねる方が、かえって支部長の手を止めてしまう。
後ろ髪を引かれる思いはあったが、空いていた記者机の椅子へ腰を下ろした。邪魔にならないよう壁際へ寄り、紙片に書き込まれる情報と、記者達の動きを目で追いながら待つ。
しばらくして現れた文化部長は、白髪の交じった髪をきっちりと分けた、細身の男性だった。
年齢は支部長と同年代に見える。痩せた頬と銀縁の眼鏡がやや神経質な印象を与える一方、口元には穏やかな笑みが浮かんでいた。
「会議卓は全て埋まっているようだね。この机を借りても良いかな?」
「ええ。ここなら皆さんの邪魔にもならないでしょう」
向かい合って座り、簡単な挨拶と自己紹介を交わす。
文化部長は手提げ鞄を床へ置くと、走り回る記者達を見渡して苦笑した。
「このような最中に、わざわざ支部までお越しいただき、申し訳ありません」
「いや、支部でまとめた記事と写真を本社へ持ち帰る役目も頼まれていてね。ちょうど都合が良かったんだよ。文化部は大事件となると、どこへ行っても雑用係になるものさ」
そう自嘲する声に不満はなく、慌ただしい室内の空気を和らげようとしているように聞こえた。
――この方が、わたくしの兼業に難色を示していたのですか。想像とはずいぶん違いますね。
女性や学生を下に見る、頭の固い人物かもしれない。あるいは斎家から何か働きかけを受け、記者を諦めさせようとしているのではないか。実際に会うまでは、そのような可能性も考えていた。
けれど産業界との結び付きが強い産業日報社は、制度改革に好意的な新聞社だ。古い価値観を重んじる貴族家との関係は薄く、斎家の頼みを受け入れる理由も見当たらない。
何より、目の前の男性から悪意は感じられなかった。
――つまらない駆け引きをするより、直接尋ねた方が早そうですね。
「部長は、わたくしが継譚商会と兼業しながら契約記者を続ける事に、反対していたと伺いました。差し支えなければ、その理由をお聞かせいただけますか?」
文化部長は一瞬目を丸くした後、楽しそうに笑った。
「ははは。随分と真っ直ぐに尋ねるね。支部長から聞いていた通りの人らしい」
手提げ鞄から封筒を取り出し、机の上へ置く。表には産業日報社の名があり、封蝋には社印が押されていた。
「先に言っておくと、この中には押印済みの推薦状が入っている。君の働きについては支部から十分な報告を受けているし、この場で渡すつもりだ。推薦を取り消すために来たわけではないよ」
文化部長は封筒から手を離し、机の上で指を組んだ。
「ただ、渡す前にもう一度、君の考えを確かめておきたくてね」
推薦状を交渉の道具にするつもりはないらしい。その態度に、ルッシェリーナもわずかに肩の力を抜いた。
「私が反対した理由は2つ――いや、3つかな。1つ目は利益相反だ。もっとも、これについては秘密保持契約を結び、記者として知った非公開情報を商会へ持ち込まないという条件で納得している。君から提示された線引きで問題ない」
「ご理解いただき、ありがとうございます」
文化部長は指を一本立てた。
「2つ目は時間だ」
「時間、ですか?」
「継譚商会が始まれば、君は学生、記者、商会員の3つを兼ねる事になる。その全てを続けられるだけの時間を、本当に確保できるのかい。若いからといって、睡眠を削って無理をするつもりではないだろうね?」
眼鏡の奥から向けられる目は、能力を疑っているというより、純粋に身体を案じているものだった。
「記者としても商会員としても、わたくしの責務は限られています。学業を優先した上で、引き受ける業務の量は自分で調整できますから、ご心配いただくような事にはならないと思います」
「もちろん、君自身はそのつもりだろう」
文化部長は少し離れた場所で記者と打ち合わせをしている支部長を顎で示した。
「だが、あいつは君をかなり高く買っている。学生や女性という立場でなければ難しい取材も多いので、正規の記者と同じくらいの成果を期待しているよ。口には出さないが、貴族家のつながりも勘定へ入れているだろうね。それに、君が来る日は皆の仕事ぶりまで良くなると言っていた」
こちらの会話が聞こえていたのか、支部長が書類から顔を上げた。
「余計な事まで教えるな!」
文化部長は愉快そうに片手を上げる。支部長は何か言い返したそうな顔をしたが、すぐに別の記者へ呼ばれて向こうを向いた。
「期待していただけるのは光栄です。ただ、どれほど頼まれても、時間を確保できない仕事を引き受けるつもりはありません。学業や商会の業務へ支障が出る前に、きちんとお断りします」
「そうだね。学生特約の記者には仕事を断る権利がある。何より、君なら支部長が相手でも遠慮なく断れそうだ」
文化部長の苦笑へ、ルッシェリーナは薄く微笑んで頷いた。
悪魔: 学生特約記者は、社名を名乗って取材できるが、学業優先で試験期間は休業。
悪魔の眷属: 作者は評価や本栞、共感に深く感謝しています。今後も応援をよろしくお願いします。




