第45話 名乗れない電話
電話を終えた子が管理室から出てきた。入れ替わりに中へ入り、電話機の前に座ると、寮母さんから注意を受けた。
「まだ待っている人がいますから、話は短めにしなさいな」
「はい。すぐに済ませます」
寮母さんへ頷き、受話器を取る。耳へ当てると、かすかな雑音の向こうから交換手の声がした。
エリに教えられた番号を告げる。間を置いて呼び出し音が鳴り始めると、受話器を握る手に汗がにじんだ。
やがて、しわがれた男の声が聞こえた。大家と思われる相手へ行員の名前を告げ、急ぎの用件があるので呼んでほしいと頼む。
「隣から呼んでくるので、ちょっと待ってな」
受話器が硬い台へ置かれる音に続き、遠ざかる足音が聞こえた。
背後で紙をめくる音がするたび、寮母さんがこちらを見ている気がして肩が強張った。
やがて、慌ただしい足音が近づいてきた。
「はい、代わりました。私が――」
自分の名前を告げる若い女性の声は、緊張で震えていた。
「――そちらは、どなたでしょうか?」
素性を確認する言葉に私は答えず、声帯操作魔術を使った。喉へ意識を集中し、先日電報を打った時と同じように、普段より低い声を作る。
「あなたの息子さんは無事です」
息をのむ音がした。
私は監禁に関する話の内容が、寮母さんに聞こえないよう、声を落とした。
「ただし、長い間、水も食事も与えられていません。できるだけ早く迎えに行く必要があります」
「どこにいるの!お願い、教えて!」
女性の声が一気に大きくなり、私は反射的に管理室の奥を振り返った。寮母さんは机へ向かったままだった。
「落ち着いて、声を抑えてください。今から住所を言います。書き留められますか?」
「えっ……ちょっと待って。紙、紙を貸してください!」
受話器の向こうで、大家へ頼む声と何かを探す物音が重なった。
「お待たせしました。大丈夫です。お願いします」
「では、場所を伝えます」
エリから教えられた住所をゆっくり告げ、女性に復唱してもらう。
「その建物の地下にいます。扉は外から施錠されていますが、お子さんに怪我はありません」
「……本当に?本当に、そこにあの子がいるんですか?」
「はい」
「あなたは誰なんですか。どうして息子の居場所を……」
詳しく話せば、もっと安心させる事ができるだろう。けれど、私の素性へつながる事は何一つ話せない。
「遅くなって申し訳ありません。早急な保護には、治安局への連絡が必要です。一人では行かないでください」
「待って!まだ聞きたい事が――」
私は返事をせず、受話器を置いた。
張り詰めていた息が、喉から細く漏れる。手のひらには、受話器の持ち手の跡がくっきりと残っていた。
「もうよろしいの?」
すぐ後ろから声を掛けられ、心臓が跳ね上がる。
振り返ると、寮母さんが書類を抱えて立っていた。
「は、はい。大丈夫です」
「そう。では、次の人と代わってあげてくださいな」
どうにか平静を装い、電話の前から離れる。足早に管理室を出て、次の寮生へ順番を譲った。
――びっくりした。心臓が口から飛び出るかと思ったよ……。
廊下を曲がって管理室が見えなくなってから、ようやく肩の力を抜いた。会話の全ては聞かれてはいないと思う。もし一部が耳に入っていたとしても、怪しまれるような内容には聞こえなかったはずだ。
部屋へ戻る間、今の電話が子どもの救出につながるよう祈り続けた。
子どもを人質に取り、親へ襲撃の手引きをさせる。この事件は、私が嫌いな有名な劇を思い出させる。
物語の主人公は、覇皇を原型にした若い王子だ。
悪魔の石に魅入られた王が国を乱し、城の者は皆、石の力に操られている。ただ一人、王子への恋によって正気を取り戻した王女が彼を城へ招き入れる。2人は力を合わせて宝物庫へ忍び込み、悪魔の石を打ち砕く。呪縛から解放された人々は王子を救国の英雄としてたたえ、王女と結ばれた彼が国へ平和をもたらす。
典型的な英雄譚だ。けれど、元になった史実は全く美しくない。
賢者の石の所持を公言していた王国へ、まだ皇子だった覇皇が工作員を送り込んだ。王城へ侵入させるために利用したのは、そこで働く侍女だった。
覇皇の配下は侍女の幼い子どもを誘拐し、命が惜しければ城の通用口を開けるよう脅した。王子への恋で扉を開いた王女など、どこにもいなかったのだ。
王国を征服した後、覇皇は自分に都合良く話を作り替え、劇として広めた。公式の帝国史にも、賢者の石は人々を惑わす危険な呪具であり、覇皇が自ら破壊したと記されている。
その後の覇業を知る者で、その記録を額面どおりに信じている人は少ない。それでも劇は英雄物語として親しまれ、侍女の名は残っていない。
――本当の話を知るまでは、私もこのお話を好きだったんだよね。だから余計に腹が立つ。
エリから聞いた実際の歴史では、襲撃へ協力させられた侍女も、その子どもも、後になって密かに口を封じられていた。
今回の事件まで、同じ結末にしてはいけない。
部屋へ戻ると、すぐに扉を閉めた。賢者の石を首飾りから外して耳当て式受話器へ嵌め、声を潜めて尋ねる。
「エリ、あの行員さんは電話の後、どうした?」
『大家宅の電話から治安局へ連絡中。息子の誘拐を通報し、保護を要請。銀行襲撃への関与についても供述』
「ちゃんと信じてくれたんだね」
胸につかえていたものが軽くなった。
罪を隠して一人で子どもを捜しに行く事を恐れていたが、全てを話して治安局へ助けを求めたのだ。それなら、きっと救出は間に合う。
私は椅子へ腰を下ろし、大きく息を吐いた。
「良かった……。これで子どもも無事に保護されるよね」
『現状では、その可能性大』
後は治安局へ任せて大丈夫だろう。そう思った途端、今度は自分のした事が気になり始める。
「さっきの電話、寮母さんに聞かれちゃったかな?」
『電話中の寮母の位置では、会話内容の明確な識別は困難』
「良かった。じゃあ、私の通話を不審には思っていないよね?」
『……保護者への連絡で、声音を変える奇抜な娘と見られた可能性大』
「あっ……」
悪魔: 覇皇は、感魔石を賢者の石と偽り、観衆の目前で破壊を実演。この手の演出には抜かりがない。
悪魔の眷属: 作者は評価や本栞、共感に深く感謝しています。今後も応援をよろしくお願いします。




