第44話 残された人質
襲撃に協力した行員は、まだ若い女性だった。夫とは数年前に死別し、4歳になる息子を一人で育てている。
4日前の木曜日、その息子が自宅近くから連れ去られ、その日のうちに、女性へ脅迫が届いた。誰にも知らせず、決められた時刻に銀行裏手の非常口の封鎖を解いておけば無事に返す。そう脅され、指示に従ったのだという。
――もっと、襲撃の計画を詳しく聞いていれば……。
銀行で見かけたあの男は、窓口の内側を行き来する職員達を目で追っていた。あれは、脅した行員の様子も確かめていたのかもしれない。
日時と場所、犯人と武器さえわかれば、あとは治安局へ任せれば良い。そう決めつけて、あの男が何を確かめようとしていたのかまで、エリに尋ねようとはしなかった。そのせいで、私はこの親子の事を何も知らずにいた。
もし私が同じ立場だったとして、犯人達からの要求を拒めただろうか。
顔すら覚えていない母の事を思う。母が生きていて、幼い私を人質に取られていたなら、きっとどんな罪を犯しても助けようとしたはずだ。そう考えると、その行員を責める気にはなれなかった。
息子は今も、皇都内にある犯人達の拠点の一つに監禁されている。
「エリ、犯人達はその子をどうするつもりなの?」
『現在閉じ込めている地下室へ放置する予定』
「放置って……どうして?!行員さんは、ちゃんと指示どおりに協力したんでしょう?」
『想定を超える治安局の警備を、行員による事前通報が原因と判断。報復として解放を中止』
背筋が冷たくなった。
「うそ……。治安局へ知らせたのは私だよ。じゃあ、私が通報したせいで、その子は返してもらえなくなったの?」
『当初の計画でも、人質の解放時期および方法は未定』
最初から、約束を守るつもりなどなかったのかもしれない。
それでも、今は見捨てられる事が決まってしまった。原因を作ったのが私ではなかったとしても、居場所を知りながら何もしなければ、同じ事だ。
――あとは全て治安局に任せるつもりだったけど、その子だけは絶対に助けなくちゃ。
「今、その子はどんな状態なの?」
『現在は睡眠中。最後の食事から13時間が経過し、水分不足による脱水症状の進行が懸念』
「怪我は?水や食事は置かれていないの?」
『無傷。室内に飲食可能なものはない』
怪我がないと聞いて少しだけ息をつけたものの、安心している場合ではない。4歳の子が、水も食事も与えられずに、一人きりなのだ。早く保護しなければ危険だろう。
「治安局に居場所を伝えれば、すぐ保護してもらえるよね?」
『監禁拠点は人質を除き無人。扉の強制解錠が可能な治安局ならば、保護は容易』
「でも、治安局へ電話したら、私が掛けた事がばれるかな?」
『治安局への通話は、電話局が常時逆探知に備えている。寮の電話から発信した場合、通話中に特定される危険性大』
居場所を治安局へ知らせる必要はある。でも、私が直接知らせる事はできない。
「エリ、その行員さんと話す方法はある?」
『行員は自宅の借家に滞在。隣接する大家宅に電話があり、大家を介した呼び出しが可能』
「行員さんへ子どもの居場所を伝えたら、私が連絡したとわかるかな?」
『一般家庭への通話が逆探知される可能性は極小』
「でも、電話局の交換手はどこから掛けたかわかるよね?行員さんが治安局へ知らせたら、調べられない?」
『通常の通話は記録されておらず、切断後の発信元確認は不能。逆探知では通話回線の確認準備のため、事前に電話局への協力依頼が必要』
「じゃあ名前を名乗らず、居場所だけ伝えるなら大丈夫そう?」
『危険性は僅少』
壁の時計を見上げる。時刻は20時を少し過ぎたところだった。21時までは、寮の管理室にある電話を借りる事ができる。
皇都内の通話なら、料金の計算に必要なのは通話時間だけで、相手の番号や名前を寮母さんへ申告する必要はない。行員さんを呼び出してもらう大家宅も皇都内にある。
ただし、あの電話のすぐ近くには寮母さんがいる。他の寮生も電話を使う。会話を聞かれれば、何をしているのか問い詰められるかもしれない。
――でも、今日は銀行襲撃があったばかりだし、「誘拐」とか「監禁」とか、怪しまれそうな言葉を避ければ、家族に安否を知らせているように聞こえるはず。
そう自分へ言い聞かせ、私は耳当て式受話器を外した。賢者の石を首飾りへ戻して服の下へ隠し、部屋を出る。
管理室の前まで来ると、5人ほどの寮生が列を作っていた。皆、家族へ無事を知らせるために電話を待っているらしい。
「うちの親、何が起きたのか知っているかな?」
「事件は電波放送で報道されているから、きっと心配しているよ」
そんな会話を聞きながら、私は列の最後へ並んだ。普段なら私用の電話に厳しい寮母さんも、今日ばかりは大目に見ているようだ。
待ちながら、扉の内側を何度も確かめる。
電話機は管理室へ入ってすぐの棚に置かれていた。寮母さんの机は部屋の奥にある。小声なら、話の細部までは聞き取れないはずだ。次の寮生は扉の外で待つ決まりなので、そこも心配ない。
――大丈夫。住所を伝えて、治安局へ連絡するよう頼むだけ。すぐ終わるよ。
ところが、順番が近づくほど胸の鼓動は速くなった。
名前を尋ねられたら、どう答えよう。行員が私の言葉を信じなかったら。取り乱して大声を上げたら。寮母さんが聞きつけて、受話器を取り上げたら。
考えるほど悪い想像ばかりが浮かぶ。私は服の上から賢者の石へ触れ、浅くなっていた息をゆっくり吐いた。
悪魔: 都内通話は時間だけで料金算出。遠距離は通話後に交換手から料金を聞き取る方式。
悪魔の眷属: 作者は評価や本栞、共感に深く感謝しています。今後も応援をよろしくお願いします。




