第42話 託した原稿
結局、食べ切れなかった料理は、店の人に箱へ詰めてもらって持ち帰った。
寮へ戻ると、膨れたお腹をさすりながら翻案の仕上げを進める。窓から差し込む光が赤みを帯びる頃、ようやく最後の一枚まで確認し終えた。
「できたぁ……」
鉛筆を置き、椅子の背へ身体を預ける。『風渡りの行商人』の第一部を、皇国の読者が違和感なく読める形へ整えた最初の完成原稿だ。
達成感に浸りながら耳当て式受話器を外そうとしたところで、扉を叩く音が響いた。
慌てて賢者の石を首飾りへ嵌め、耳当て式受話器だけを引き出しへしまってから扉を開ける。廊下に立っていたカレフィーネは、手にした封筒を高く掲げた。
「ほら見て。私も推薦状をもらえたよ」
「おお、おめでとう!」
部屋へ招き入れると、カレフィーネは封筒から推薦状を取り出し、署名と商印章のある箇所を見せてくれた。
「面談はどうだったの?」
「うんとねぇ、食事をしながら雑談をしたくらいかなぁ。私がどんな人か確かめたかったみたい」
人柄を確かめるなら、堅苦しく質問を並べるより、一緒に食事をする方が良いのかもしれない。
「でもねぇ、お嬢さんの趣味について、どう声を掛ければ喜ぶのかとか、奥さんへの贈り物は何が良いかとか、いろいろ相談されて困ったよ」
「それ、面談じゃなくて相談会になってない?」
どうやらカレフィーネにとって、多少の試練ではあったらしい。
「これで残るのは2人だね」
「そうねぇ。あの2人については心配していないけどね」
セルヴィンは実家から推薦を受ける事が決まっている。ルッシェリーナも、新聞社の支部長から内諾を得ているはずだ。
カレフィーネは推薦状を封筒へ戻そうとして、机の端へ揃えて置いた原稿に気づいた。
「もしかして、完成した?」
「うん。たった今、第一部を仕上げたところだよ」
「それなら、ルッシェリーナの所へ行こう。この時間ならきっと部屋にいるよ」
カレフィーネは私の返事を待たず、原稿を丁寧に封筒へ収めると、空いた手で私の腕を取った。
「ちょっと待って。せめて机を片付けさせて!」
机を片付けながら、持ち帰った料理の箱へ目をやった。私一人では、夕食にしてもまだ余りそうだ。
「そうだ。これも持っていって良いかな。お昼の料理を分けてもらったんだけど、食べ切れなくて。2人にも手伝ってほしいんだ」
「もちろん。どんな料理か楽しみだねぇ」
原稿はカレフィーネに任せ、私は料理の箱を抱えた。
こうして私は、完成の余韻へ浸る間もなく、カレフィーネに引かれて貴族寮へ向かう事になった。
カレフィーネの予想どおり、ルッシェリーナは部屋にいた。
「カレフィーネ、推薦状をいただけたのですね。おめでとうございます。ミリアナも、原稿の準備お疲れ様でした」
部屋へ招かれ、以前も原稿を読んでもらった書斎へ移る。私が封筒から原稿を取り出すと、ルッシェリーナは揃えられた筆跡を眺めた。
「今日は、作者の原稿はお持ちでないのですか?」
以前は、作者用の筆跡で書いた文字起こし原稿も一緒に見せていた。今回は私が書いたものしかないため、すぐに気づいたのだろう。
私は、この2人には話せる事をできる限り隠さないと決めている。
「うん。実は、作者さんの原稿をそのまま見せると、隠そうとしている素性につながる部分があるんだ。だから必要なところを私が書き直しているの。もちろん、変更箇所は作者さんに確認して、承認してもらっているよ」
「……なるほど」
ルッシェリーナは少し考えると、私の目を真っ直ぐに見つめた。
「では今後、ミリアナの作業が完了したら、作者の原稿は焼却した方が良いでしょうね」
「焼いちゃうの?」
作者本人が書いたものではなく、エリの声を聞きながら私が書き写した原稿だ。それでも、異世界の物語を初めて形にした大切な原稿である。火の中で灰になっていく様子を想像すると、すぐには頷けなかった。
「2つの筆跡が残っていれば、そこから作者の素性を探ろうとする者が現れるかもしれません。原稿が存在する限り、盗難や紛失の危険もなくならないでしょう」
ルッシェリーナは私の表情を見て、声を和らげた。
「今すぐにとは言いません。大切なものだという事はわかりますから、考えておいてください」
「……うん」
横を見ると、カレフィーネは既に原稿を読み始めていた。ルッシェリーナは小さく笑い、読み終わった一枚を受け取る。
やがて、紙をめくる音だけが静かな部屋へ響き始めた。
――もったいないし、凄く残念だけど……秘密を守るためには仕方がないのかな。
ルッシェリーナは私と作者の秘密を守る方法を考え、面倒な新聞社との交渉まで引き受けてくれている。彼女の助言を無視して、大切な原稿を危険へさらすわけにはいかない。
原稿の内容は、仕上げた方へ全て残っている。物語そのものまで消えるわけではないのだ。
2人が読み終える頃には、出版の見通しが立ったら作者用の原稿を焼こうと、決心を固めていた。
私の用意した原稿は、2人を十分に満足させられたようだ。
「もう、最高に面白かったよ!ねぇ、これは続きがあるのよねぇ?」
「もちろん。まだ第一部だから、物語は始まったばかりだよ」
「続きも早く読ませてね。絶対だよ?」
カレフィーネが私の両手を握って念を押す。その勢いに押されながらも、好きな物語を友人にも気に入ってもらえた事が嬉しくて、頬が緩んだ。
少し遅れて読み終えたルッシェリーナも、最後の一枚を揃え、満足そうに頷いた。
「ひとまとまりの物語として、十分な完成度に仕上がっています。ミリアナ、この原稿をしばらく預けてもらえないでしょうか?」
「良いけど、どうするの?」
「わたくしの兼業条件について、新聞社と協議する場で提示させてもらいたいのです。学園支部の皆さんは味方ですが、本社の上層部に難色を示している人がいて、少し揉めています」
ルッシェリーナは原稿へ手を置き、挑戦的な笑みを浮かべた。
「この分量があれば、週刊連載で少なくとも半年は読者を引き付けられます」
「それだけ長く人気を保てるなら、新聞社にとっても大きいよねぇ」
「ええ。それだけの作品を、わたくしが持ち込めると知れば、無視はできないでしょう。この原稿の冒頭へ少し目を通してもらい、興味を示したところで引き上げて、ほかの新聞社へ持ち込む可能性をほのめかせば十分です」
――うん。ルッシェリーナが、新聞社の偉い人達を笑顔でやり込めている情景が目に浮かぶよ。
原稿を新聞社へ売り込むのは、もともと彼女へお願いしていた役目だ。反対する理由はない。
「わかった。原稿はルッシェリーナに預けるよ」
「ありがとうございます。もちろん、新聞社へ見せる事は、事前にセルヴィンさんの了解も取ります」
ルッシェリーナは原稿を引き出しへしまうと、料理の箱へ目を向けた。
「では、こちらも皆で片付けてしまいましょうか」
「うん。でも、お昼に食べすぎたから、私は少しだけにしておくよ」
そう言っていたのに、物語の好きな場面を語り合いながら食べていると、つい箸が進んだ。
箱が空になる頃には、私はまた膨れたお腹をさすっていた。
「ミリアナの『少し』って、結構たくさんなんだねぇ」
「……私も、今知ったよ」
悪魔: ミリアナの「少し」の基準がずれているのは以前から。物語を「少し聴く」で徹夜など。
悪魔の眷属: 作者は評価や本栞、共感に深く感謝しています。今後も応援をよろしくお願いします。




