第40話 値踏み
昨晩は、母の事を考えているうちに眠ってしまったらしい。
目を覚ました時、机の上には母宛ての手紙や弔電が、昨夜と同じように重ねられていた。
母がどんな思いで私を産み、どれほど成長を見守りたがっていたのか。それを知ったからといって、すぐに何かが変わるわけではない。それでも一晩眠った今は、胸の奥に沈んでいた母の過去が少しずつ自分の中へなじみ、不思議と気持ちが整っていた。
朝食を終えて部屋へ戻ると、母の遺品を大切に引き出しへ収める。
「よし、やるぞ!」
両手で頬を軽く叩き、翻案作業を始めるため机へ向かった。
翻案作業へ没頭しているうちに時間は過ぎ、窓から昼食へ向かう学生の声が聞こえてくると、扉を叩く音が響いた。
筆を置いて扉を開けると、廊下には寮母さんが立っていた。
「ミリアナさん、面会人です」
「はい?私に面会ですか?」
「お上品な御婦人ですよ。ちゃんと着替えてからいらっしゃいな」
寮母さんは私の部屋着を見下ろして念を押すと、そのまま階段の方へ戻っていった。
――まさか、ネマリエさんが何か忘れ物を届けに来たの?いや、でも何も忘れていないし……。
ほかに心当たりはない。考えていても相手を待たせるだけなので、一番無難な学園の制服へ着替え、急いで寮の玄関へ向かった。
玄関脇の面会室で待っていたのは、見知らぬ中年の女性だった。
艶のある黒髪を後ろで結い上げ、深緑色の長衣には草木の模様が刺繍されている。派手な装飾品は身に着けていないものの、襟元を飾る真珠も、手にした革鞄も、一目で上質な品だとわかった。
私が部屋へ入ると、女性は長椅子から立ち上がった。背筋を真っ直ぐに伸ばした立ち姿は、厳格な教師に近い雰囲気がある。
「あなたがミリアナさんね」
静かな声だったが、疑問を差し挟ませない強さがあった。
差し出された薄い木片を受け取ると、『東浩木業商社』の名と、役員を示す肩書に続いて、アルゼインという名前が印字されていた。
セルヴィンの実家の商会だ。
「今から、お食事をご一緒していただけないかしら?もちろん、代金はこちらで支払います」
穏やかな申し出の形ではあるけれど、断っても良いとは思えない。
――もしかして、「不審な隠密行動」のせいで直接聴き取りになっちゃったのかな。それにしたって、役員が自ら面談なんて、ちょっと大袈裟すぎないですかねぇ?
私は警戒を表へ出さないように気を付けながら、誘いを受ける事にした。
女性に先導されて着いたのは、学園の近くにある料亭だった。案内された個室には、庭に面した窓のそばへ低い卓が置かれている。互いに向かい合って腰を下ろすと、女性があらためて名乗った。
「突然訪ねてしまって申し訳ないわね。東浩木業商社で人事役員を務めている、アルゼインよ」
「はじめまして、ミリアナです」
軽く会釈して挨拶すると、アルゼインは私の仕草を確かめるように見つめた後、わずかに顎を引いた。
「急な訪問になってしまったけれど、どうしても一度、あなたと話をしておきたくて」
「はい。セルヴィン先輩に関するお話ですよね?」
私が先回りして答えると、アルゼインさんはにっこりと笑った。
けれど、細められた目の奥から鋭さは消えていない。顔に出した覚えのない秘密まで見通されているようで、膝の上に重ねた手へ力が入る。
「まずは率直に聞くけれど、ミリアナさんはセルヴィンと、どういった関係なの?」
「えっと、学園の先輩後輩で……継譚商会という商会の同僚と言えば良いでしょうか。まだ正式に商籍登録された商会ではありませんが」
アルゼインさんは頷きながら、手元の茶器へ指を添えた。
「その継譚商会だけれど、学生だけで立ち上げるのだと聞いたわ。いったい誰が主導して始めた計画なの?」
「商会の立ち上げは、セルヴィン先輩が主導しています」
「あら、そうなの?」
「あっ、でも、きっかけは私です。友人達と物語を出版する事になって、権利を管理する組織をどうすれば良いか、セルヴィン先輩に相談したんです。そうしたら、学園には学生だけで商会を作れる制度があるから、それを利用しようと提案してくれました」
「どうして、セルヴィンに相談したのかしら?」
「商家の出身で、商売の事にも詳しそうでしたので……」
答えるたびに、質問が一段ずつ私自身へ近づいてくる。
「では、それ以前から付き合いがあったという事ね。いつ頃から親しくしているの?」
「えっと……」
最初にまともな会話をした時の事を思い出す。
――たしか、商印章の件はお父さんにしか話さないと言っていたはずだから……。
「もともと同じ講義を受けていて、面識はありました。私が先輩の財布を拾って届けたのが、きっかけでしょうか」
「財布を?」
「はい」
アルゼインさんは茶器を持ち上げたまま、私の顔をじっと見つめた。
――あれ、何か怪しまれている?財布を拾ったという話は、まずかったのかな?
けれど、商印章を烏に奪われた件について、私から明かすわけにはいかない。
私が何も付け加えずにいると、アルゼインさんは茶を一口飲み、静かに茶器を戻した。
「まあ、良いわ。それでは、あなたはセルヴィンをどう思っているの?」
「えっ?どう、というのは……」
思いがけない聞き方に、すぐには答えが浮かばなかった。
――もしかして、セルヴィンの外部評価も兼ねているのかな?
商会が推薦状を出す前に、セルヴィンが周囲からどう見られているのかを確認しようとしている。そうであれば、継譚商会の代表として頼りになるところを伝えておくべきだろう。
「商籍登録に必要な手続きも、あっという間に進めてくれました。経理や商売についての知識も豊富で、とても頼もしいです。官僚より商売の方が向いていると言っていただけの事はあると思います」
実際にはフェルディオの助けも借りているけれど、今はわざわざ口にする必要はない。
「それに、ディアネリス教授のような有名な方にも、臆さずに話ができるのは凄いと思います。私にはとても真似できません。先輩の積極性は、大きな長所です」
勢いが付きすぎると周りが見えなくなるのも、言い方を変えれば迷わず前へ進めるという事だ。
アルゼインさんは黙って聞いていたが、その表情から反応を読み取る事はできない。
「そう。では、商会長の息子という立場は気にならないのかしら?」
「先輩は、ご実家の商売をとても大切に思っているようです」
あれほどぼろぼろになりながら商印章を捜していたのだから、それは間違いない。
「ただ、跡継ぎだからという理由だけで認めてもらうのではなく、自分の実力で評価されたいという気持ちもあるのだと思います。だから今回の商会立ち上げにも、自分の力を示す機会として積極的なのではないでしょうか」
本人から直接聞いたわけではないので、あくまでも私の想像だ。
けれど、昨日母の話を聞いたばかりだからだろうか。親に成長した自分を見てほしいという気持ちは、以前よりも身近に感じられた。
「なるほど。セルヴィンの事を、よく見てくれているのね」
先ほどまで私を値踏みするようだった目がわずかに和らぐ。
――おっ。これは、なかなか良い評価を伝えられたんじゃないかな?
セルヴィンの推薦にひと役買えた気がして、私はひそかに誇らしい気持ちになった。
悪魔: 皇国の商売人は薄い木片に氏名や肩書を記して渡すのが一般的。つまり名刺の一種。
悪魔の眷属: 次話は土曜で、以降は毎日投稿に変更します。作者は評価や本栞、共感に深く感謝しています。今後も応援をよろしくお願いします。




