第37話 監視者
臆病な私は、賢者の石を捜している組織の目が自分へ向いていないか、いつも気にしている。
道ですれ違った人に長く見られただけでも、正体を知られたのではないかと不安になる。でも、そんな事をずっと気にしていては身が持たないので、私は定期的に、自分を調査している者がいないかエリへ尋ねる事にしていた。
ただし、役所や学園で記録を照会された程度の調査まで含めると切りがない。尋ねるのは、直接の監視や尾行が行われているか、あるいはそれらが具体的に計画されているかどうかだ。
「この1週間に、私を直接見張ったり、あとをつけたりした人はいる?それか、これからそうする計画を立てている人は?」
だいたい、いつもこんな聞き方をしている。
これまで、この質問に肯定の返事が返ってきた事は一度もなかった。今回も何もないだろうと思いながら、制服の下に隠した石へ触れたのだが――
『依頼を受けた私立探偵がミリアナの調査を開始』
指先がぴたりと止まった。
とうとう、私は誰かの調査対象になってしまったらしい。
けれど、胸が冷たくなったのは一瞬だけだった。今回は、調査を頼みそうな相手に心当たりがある。
「その依頼主は、『東浩木業商社』だよね?」
『商社名義で依頼が出されているわけではないが、依頼主は東浩木業商社の関係者』
『東浩木業商社』は、セルヴィンの実家が営む商会だ。数年前、事業の拡大に合わせて、『東浩木業商会』から今の名前へ変更したらしい。
その時には、もう木材だけを扱う商いではないのだから、木業の部分も変えるべきだという意見が出たそうだ。それでも、セルヴィンの父親が祖業に由来する商号へこだわり、今の名前が残ったのだと聞いている。
息子が一緒に仕事をしようとしている学生の素性を確かめたいのだろう。今回は、賢者の石を狙う者に目を付けられたわけではなさそうだ。
「やっぱり、そうか。どんな調査を依頼されているのか教えて?」
『ミリアナの一般的な素行調査と写真撮影。数日間の行動を監視し、結果をまとめて報告する予定』
セルヴィンから聞いていたのは、共同設立者について、身元や借金の有無を確かめる程度の調査だったはずだ。数日間もあとをつけて、わざわざ写真まで撮るというのは、私が想像していたよりずいぶんと念入りだった。
もしかすると、ほかの二人も同じように調べられているのかもしれない。ちゃんとした商会ともなると、身内の関わる事にはそれだけ慎重なのだろうか。
まあでも、私が写真に撮られたとしても、賢者の石を使っているところさえ見せなければ、写るのは平凡な学生の姿だけだ。後ろ暗い行動をしているつもりはないので、その程度なら困らない。
ただ、誰かの目があるとわかった以上、しばらく外で賢者の石を使うのは控えた方が良さそうだ。
「調査を担当する探偵さんは普通の人だよね。『凄腕さん』みたいな技能の持ち主はいないよね?」
『調査は複数人が交代で行う。特殊な魔術技能を持つ者は含まれていない』
「それなら、寮の中まで調べられる事はなさそうだね」
部屋の中を捜索される光景まで想像していた私は、ようやく肩の力を抜いた。
気を付けるに越した事はないが、必要以上に怯えて不自然な行動を取れば、かえって怪しまれてしまう。私はいつも通りを心掛けながら、講義へ向かう準備を始めた。
◇ ◇ ◇
金曜日の昼前、最後の講義が終わると、一緒に受講していたカレフィーネが声を掛けてきた。
「ミリアナ、これからセルヴィンさんと銀行に行く予定なんだ。お昼も銀行の近くで済ませるつもりなんだけど、できれば一緒に来てくれない?」
「うん、いいよ。付き合うよ」
ちょうど午後の講義が休講になり、時間が空いていた。
なんとなく、カレフィーネは私の予定を確かめた上で、セルヴィンと銀行へ行く約束をしたような気がする。カレフィーネなりの思惑がありそうだけれど、まあ、あまり深く考えないでおこう。
待ち合わせていたセルヴィンと合流し、学園のある丘を下る。都電が走る大通りまで出ると、軒を連ねる商店や飲食店から客を呼び込む声と料理の匂いが流れてきた。前にも同じ3人で訪れた列島通商銀行の皇都東支店も、その一角にある。
まずは立ち食いの麺処へ入り、昼食を手早く済ませる事にした。
長雨の合間にのぞいた青空のおかげで、今日は温かな汁物を食べても汗ばまない程度の過ごしやすさだった。私は甘辛く煮た魚肉団子を載せた太麺を頼み、湯気と一緒に立つ香辛料の匂いを楽しみながら食べ終えた。
銀行へ入ると、相変わらず中は混雑していた。昼休みを利用して用事を済ませに来た人が多いらしく、長椅子はほとんど埋まり、番号を呼ぶ職員の声が高い天井へ響いている。私達と同じように、学園から足を運んできたらしい制服姿も目立った。
しばらく待った後、カレフィーネとセルヴィンの番号が呼ばれた。
窓口の前は狭く、手続きに直接関わらない私までついていくと邪魔になりそうだったので、2人へ任せて待合に残る事にした。
説明や確認する書類が多く、それなりに時間が掛かるという。私は空いた長椅子の端へ座り、ぼんやりと人の流れを眺めていた。
――そういえば、この人混みの中に私を調査する探偵さんもいるのかな?
そう考えた途端、何気なく見ていた人々が急に怪しく思えてきた。
新聞を広げている人。何度も時計を確認する人。窓口ではなく、待合の方へ顔を向けている人。
一人ずつ疑っていたら、全員が探偵に見えてしまいそうだ。
きょろきょろして挙動不審に見えないよう、正面を向いたまま視線だけを巡らせる。すると、壁際に立つ一人の男が目に留まった。
屋内だというのに帽子を深く被り、つばの陰で顔がよく見えない。手に書類を持っておらず、番号札を気にする様子もない。銀行へ用事があって来た客にしては、その立ち振る舞いに違和感があった。
――あの人かな?
私は窓口の上に掲げられた案内を読むふりをして、男の様子をうかがった。
けれど、男は私を注視していない。こちらへ視線を向ける事さえなく、見ているのは窓口の内側を行き来する職員達のようだった。職員が奥の扉へ入るたび、帽子の下の顔がそちらを追っている。
やがて男は、何の手続きもせず、おもむろに銀行を出ていった。扉が閉じる寸前まで、その後ろ姿を目で追う。
――もしかすると、私じゃなくてカレフィーネを調査している探偵さんかな?
そんな事を考えているうちに、カレフィーネ達が手続きを終えて戻ってきた。
「待たせてごめんねぇ、ようやく手続きが終わったよ」
「ううん、手続きお疲れさま。口座開設に問題はなさそうかな?」
「ああ、商会の登録が間に合えば、早くて来週中には口座が利用できるようになるそうだ」
セルヴィンは、受け取ったばかりの書類が入った封筒を満足そうに掲げた。
私達の商会は一歩ずつ形になっている。そう思うと、帽子の男への違和感も大した事ではないように感じられた。
調査されるのもきっとあと数日だ。あまり気にしすぎないようにしよう。
私はそう納得し、その時はそれ以上考えるのをやめた。
◇ ◇ ◇
夕方、私はいつもより早めに寮の部屋へ戻っていた。
明日は母と一緒に働いていた老婦人の店を訪ねる。手ぶらで会いに行くわけにもいかないので、日が落ちる前に手土産を買っておこうと思ったのだ。
昼にも行った商業街まで、また往復する事になる。それでも、山の上の神殿から麓の町まで歩いて往復したのと比べれば、楽なものだ。
財布を鞄へ入れ、鏡の前で髪を整える。その途中で、昼間に見かけた帽子の男をふと思い出した。
あの男が私を調べている探偵だったなら、これから出掛ければまた尾行されるかもしれない。念のため確かめておこうと、私は服の上から賢者の石を押さえた。
「エリ、昼間、銀行の中で帽子を被っていた男の人がいたでしょう?あの人は探偵さんかな。私かカレフィーネを調査していたの?」
『あの人物は探偵ではない。銀行強盗の下見で銀行内部を観察していた』
「そっか、探偵さんじゃ……ちょっと待って!銀行強盗なの!」
思わず大声を上げ、慌てて口を押さえる。幸い、廊下から誰かが近づいてくる気配はなかった。
銀行強盗の下見をしていたという事は、あの男はこれから襲うつもりで職員の動きを調べていたのだ。
さっきまで手土産の事を考えていた頭が、一気に冷えた。私は鞄を机へ置き、椅子に腰を下ろしてから、改めて石を握り直した。
「銀行強盗って、いつ、どこを襲うつもりなの?」
『あの人物が所属する組織が、次の月曜日の朝、窓口の営業開始直後に、列島通商銀行の皇都東支店への襲撃を計画』
「組織って、あの人は何者なのよ?」
質問を重ねるたび、エリは短く正確な答えを返した。私はまず、誰が何のために銀行を襲うのかを、一つずつ確かめていった。
銀行へ乗り込むのは、17年前に軍事政変を企て、反逆罪で収監された元軍人達だった。一昨年、刑期を終えて出所した後も、旧貴族勢力がかつての力を失い、民選院の発言力が増した現在の政治に強い不満を抱き続けているという。
狙いは、反政府活動を続けるための資金だ。銀行を襲って奪った金を、組織の活動へ充てるつもりらしい。その裏では、彼らを密かに支援する貴族家も動いているようだった。
「その人達は、襲撃にどんな武器を使うの?」
元軍人達は、かつての軍事政変に備えて山中へ隠した武器を回収している。旧式とはいえ、複数の手弩を含む、十分な殺傷力を備えた武装だ。
ただの金目当ての強盗ではない。人を傷付ける訓練を受けた者達が、最初から武器を用意して銀行を襲おうとしている。
聞き出せた範囲だけでも、襲撃の危険性は十分にわかった。治安局へ知らせるには、これだけの情報があれば足りるはずだ。
――どうしよう。私の手にはあまる状況だけど、誰にも相談はできないし……。
机の上で握った両手に、じっとりと汗がにじむ。
私の安全だけを考えるなら、何も知らなかったふりをするのが一番良い。襲撃が起きる時間に銀行へ近づかなければ、私は巻き込まれずに済む。
けれど、列島通商銀行の皇都東支店は学園から最も近い銀行だ。学生も職員も大勢利用している。今日だって、制服姿を何人も見かけたし、カレフィーネやセルヴィンが、追加の手続きでまた足を運ぶ可能性もある。
知っていながら黙っていて、誰かが傷付いたら、きっと私は一生後悔するだろう。
襲撃の事だけを密告し、その後は治安局と銀行へ任せるしかない。
問題は、今日は金曜日で、襲撃が3日後の月曜日だという事だ。
本来なら、匿名の手紙を治安局へ直接届けるのが一番確実だろう。けれど、治安局員に姿を見られる危険を冒してまで、投函しに行く勇気はない。銀行の郵便受けへ入れる方法もあるが、次に確認されるのは月曜日の朝になるかもしれず、それでは対応が間に合わない可能性がある。
郵便で送るにしても、今からでは週末を挟んでしまう。担当者の手へ届き、内容を確かめてもらう頃には、襲撃が始まっているかもしれなかった。
だからといって、電話口で詳しく説明するのは考えられない。声や話し方を覚えられるかもしれないし、どこから情報を得たのか尋ねられても答えられない。賢者の石の存在へつながる痕跡は、少しでも残したくなかった。
「エリ、私の存在を隠したまま銀行強盗を通報するなら、電報が一番かなぁ?」
『消去法で、最も見つかる危険が低く、確実に通報できる手段は電報』
「でも、匿名で通報しても、いたずらとして無視されちゃわないかな?」
『無視される危険性あり。文面の工夫により改善可能』
せっかく危険を冒して知らせても、いたずらだと思われて捨てられては意味がない。
「どんな文章を送れば良いの?」
『犯人しか知り得ない具体的な事実を含めるのが最善』
「今回だと、手弩を持っている事とか?」
『都電を脱線させ注意を惹きつける作戦の暴露が効果的』
銀行を襲うだけではなく、都電まで脱線させるつもりなのか。
思わず息をのみ、昼間に歩いた大通りを思い浮かべる。ひっきりなしに行き交っていた都電には、学生も買い物客も乗っていた。もし乗客のいる車両を脱線させるつもりなら、銀行の中だけで済む話ではない。
「それは絶対に書かないと駄目だね……」
私は便箋を取り出し、伝えるべき事を箇条書きにしていった。
限られた文字数で、治安局に信じてもらえるだけの具体性を持たせる。けれど、私が何者かにつながる情報は含められない。
普段なら、どうすれば物語の場面が伝わりやすくなるかを考える時間は楽しい。けれど今は、誰かの命が掛かっている。
私は何度も言葉を書いては消し、物語ではなく、襲撃を止めるための文章を必死に考え続けた。
悪魔: 手弩は片手で発射可能な携帯型の武器。両手での装填が必要なため、連射は困難。
悪魔: 作者は評価、本栞、共感に深く感謝。今後も応援を切望。




