第35話 店長面談
翌日の昼休み、私はカレフィーネ、ルッシェリーナと3人で、学生食堂の空席を探していた。
料理を載せた盆を手に人の間を縫っていると、友人達と卓を囲むセルヴィンの姿が目に入る。ちょうど隣の卓が空いていたので、私達はそこへ腰を下ろし、声を掛けた。
「セルヴィンさん、お帰りなさい。ご実家との話はどうでした?」
「ああ、聞いてくれ」
セルヴィンは食べかけの皿を脇へ寄せ、椅子ごと体をこちらへ向けた。
セルヴィンと卓を囲んでいた友人達は、チラチラこちらの方を見ながら「あの子が……」「土曜の朝、門で……」などと小声で話し合っている。
当のセルヴィンは、しきりに瞬きをして眠気を追い払っていた。港都から夜行列車で戻り、そのまま朝の講義へ出たそうで、友人達の様子に気づいている気配もない。
――どうせ、寝不足じゃなくても気にしないんだろうけどね。
私は人目のある場所では、おとなしく控えめに振る舞う。目立つ事を極力避けるために身に付けた習慣だ。
私がセルヴィンの友人達からの視線を無視していると、隣に座ったカレフィーネが友人達へ顔を向け、にっこりといつもの柔らかな微笑みを浮かべる。それだけで彼らは恥ずかしげに目を逸らした。
――カレフィーネの笑顔だけで引き下がってくれる人達で良かったよ。
もし、セルヴィンを肘でつつきながら「俺にも紹介してくれよ」などと話に割り込んでくる人達だったら、どう受け流せば良いのか悩むところだった。
もっとも、彼らがそんな振る舞いをする人達ではない事は、前から知っている。
臆病な私は、普段から顔を合わせる相手が、危害を加えてくるような人物ではないか、折に触れてエリへ尋ねていた。セルヴィンといつも一緒にいる彼らについても、以前に確認した事がある。それぞれ性格は違うものの、みな気の良い、純朴な学生らしい。
彼らに対するエリの分析は、『ミリアナが露骨に挑発しない限り、危害を加える可能性は低いと推測』だった。
――露骨な挑発って、何を想定しているのやら。まあ、そんな事をするつもりはないけどね。
セルヴィンの報告によれば、商会長である父親から、学生新興商会制度を使った商会設立への賛同を得られたらしい。推薦状も、実家の商会名義で出してもらえる事になったという。
「ただ、商会内の稟議を通してから郵送するので、届くまで1週間ほど掛かりそうだ。それと、ミリアナさんには列車で話したけれど、俺以外の共同設立者について簡単な信用調査を行う事になった。申し訳ないが、了承してほしい」
「わたくしは構いません」
「うん、私も大丈夫だよ」
2人が答え、私も頷いた。
身元や借金の有無を確かめる程度だと、セルヴィンからは聞いている。私達には――少なくとも表向きには――調べられて困るような事はない。
これでセルヴィンの推薦状は、到着を待つだけだ。私達は今後の予定を簡単に確認し、それぞれの昼食へ戻る事にした。
セルヴィンが椅子を元の位置へ戻しかけて、ふと思い出したように私を見る。
「ミリアナさんは、今日、推薦状の結果を聞きに行くんだろう?うまくいく事を祈っているよ」
その言葉で、夕方には店長との面談が待っている事を思い出した。昨夜から胸の隅に居座っていた重苦しさが、また少し大きくなる。
「もしかしたら、駄目かも……。ほかにも当てはあるから、あまり期待せずに行ってくるよ」
先週までは推薦してもらえるつもりでいた私が急に弱気になったためか、セルヴィンは不思議そうに眉を上げた。
「まあ、その場になれば、きっと情熱に火が灯るさ。ミリアナさんなら、最後は勢いで何とかできるよ」
励ましてくれているのはわかる。けれど、なぜか全く安心できない。
――セルヴィンの頭の中にある私の人物像、ちょっと心配かも……。
◇ ◇ ◇
講義を終えた私は、約束の時刻に古書貸本屋を訪れた。
3階へ上がり、いつもの買取窓口へ近づくと、おっちゃんが私を見つけて片手を上げる。
「おう、来たか。応接室で店長が少し話をしたいそうだ。ついてきてくれ」
やはり面談は避けられなかったらしい。
おっちゃんは窓口を別の店員へ任せ、私を関係者用の扉へ案内した。その先の廊下には、客のいる売り場とは違う静けさがある。歩くたびに床板の軋む音が聞こえ、自然と背筋が伸びた。
「店長は学生新興商会制度について知っていたからな。俺から、立ち上げる商会の概要と、嬢ちゃんが担当する仕事、それに本の目利きについては話してある。好感触だったと思うぞ」
エリから聞いていた通り、おっちゃんは既に必要な説明を済ませてくれていた。
廊下の突き当たりにある扉の前で、おっちゃんが足を止める。
「これからの面談は、店長の興味本位の雑談みたいなもんだ。そんなに緊張せず、いつも通りに答えていれば良いさ」
「はい。ありがとうございます」
いつも通りに話して良いのなら、少しは気が楽になる。
おっちゃんは扉を軽く3回叩き、返事を待ってから開いた。
「店長、連れてきたぞ」
応接室には、低い卓を挟んで向かい合わせに長椅子が置かれていた。壁際の棚には帳簿や見本らしい本が整然と並び、窓から差し込む夕方の光が、磨かれた卓の表面を照らしている。
勧められた長椅子へ腰掛けると、店長が向かいに座り、その隣へおっちゃんが収まった。
卓の上には、封筒へ戻された人形劇の脚本と、まだ印のない推薦状が並んでいる。
店長は、おっちゃんと同じくらいか、少し若く見える細身の男性だった。仕立ての良い服には皺一つなく、銀縁の眼鏡を掛けている。きっちり分けられた髪と姿勢の良さも相まって、いかにも商会を預かる経営者といった雰囲気だ。
簡潔な自己紹介を交わすと、店長は穏やかな口調で話し始めた。
「私の店は書店ですから、良い書籍を出版する商会が増えるのなら、もちろん設立を歓迎します。今の皇国は本の種類が偏っており、出版業もまだ成長の途中にある。若い人が新しい分野を開拓し、市場を広げてくれるのであれば、ぜひ後押ししたい」
そう言って、店長は隣のおっちゃんへ片手を向けた。
「彼も、ずいぶんとあなたを信頼しているようです。皇立高等学園の生徒であれば、能力についても過度な心配はいらないでしょう。ただ、推薦状をお渡しする前に、いくつか教えていただきたい事があります」
膝の上で重ねた手へ、少しだけ力が入る。
どうやら、ここからが本題らしい。
「まず、私の店があなたの推薦者になる事で、ほかの書店より何か利益を得られますか?」
予想していなかった質問に、私は一度言葉を選んだ。
「申し訳ありませんが、こちらのお店だけへ便宜を図るお約束はできません。ただ、素敵な物語をお店の棚へ届けるため、全力を尽くす事はお約束します」
店長はゆっくりと頷いた。その表情に落胆の色はない。
推薦者へ特別な便宜を図れない事は、制度の説明にも明記されていた。初めから見返りを期待していたのではなく、規則を理解しているか確かめただけなのだろう。あるいは、推薦したという事実を私へ印象づけておく狙いもあるのかもしれない。
「では、設立する商会でどのような本を扱うかは、もう決まっていますか?」
「はい。大人でも楽しめる、長編の物語を予定しています」
「それは興味深い」
店長が身を乗り出す。銀縁の眼鏡の奥で、目が期待に輝いた。
「では、覇皇の物語はありますか?」
――やっぱり聞かれちゃうのかぁ!
わずかに残っていた期待が、あっさり消え去った。
「残念ながら、覇皇が登場する物語を書く予定はありません」
店長の眉尻が見るからに下がる。
「それは……なぜですか?」
この質問へどう答えるべきか、昨晩はエリと話し合った。
適当な理由をつけて話題を避ける事も考えたけれど、商会を設立すれば、今後もこの店とは長い付き合いになるかもしれない。いずれ本心が伝わる可能性を考えれば、下手な嘘はつかない方が良い。それがエリの意見で、私も最後には納得した。
だから、正直に答える。
「私が、覇皇を嫌いだからです」
店長の目が大きく見開かれた。
「そ、それは、なぜでしょう?」
理由を一つだけ説明するつもりだった。
けれど、昨夜からずっと考えていたせいか、口を開くと止まらなくなった。
「考えてみてください。今ある劇では、覇皇はたいてい正義感あふれる好人物として描かれています。でも、そんな素直な人物が世界を統一できるはずがありません。きっと――いえ、間違いなく冷酷で、狡猾な人物だったはずです。劇のように、自ら危険な冒険へ飛び込んで活路を開くような事も、したのかどうか怪しいでしょう。安全な後方から人々を駒のように動かし、自分の野望のためなら、どれほど犠牲が出ても気にしない。私は、そういう人物だったと思っています」
言い切ったところで、部屋がしんと静まり返った。
店長は目を見開いたまま、私を見つめている。隣では、おっちゃんが「あちゃあ」と言いたげな顔で頭を掻いていた。
背中を冷たい汗が伝う。
――や、やらかしたかも……。
「何か、そのような記録を読んだのですか?」
「いいえ!ただの想像です!」
思わず勢いよく否定すると、二人は揃って呆気に取られたように私を見返した。
怒らせてしまったのかと身構えたが、店長はしばらく黙り込み、卓の上の脚本へ視線を落とす。
「冷酷……狡猾……」
店長が、噛み締めるようにつぶやく。
「悪逆の覇皇……それも、あり……だな」
けれど、その声には怒りも失望もなかった。
むしろ、少しずつ熱がこもっていく。
「面白い!その視点は持っていませんでした。なるほど、覇皇を主役として称えるだけでなく、悪役や黒幕に仕立てる事もできる。それならば、覇皇を扱う劇や物語の幅がもっと広がります」
店長は何度も頷き、先ほどまでより一層期待に満ちた目を私へ向けた。
どうやらこの人は、覇皇の愛好者というより、覇皇であればどのような描かれ方でも喜ぶ偏執狂だったらしい。
「斬新な切り口を示していただき、ありがとうございます。悪役でも黒幕でも構いません。いつか、覇皇を下敷きにした物語を作ってくださる事を期待していますよ」
「は、はあ……」
作るとは約束していない。けれど、ここでわざわざ念を押す勇気もなかった。
店長は卓の端から商印章を取り、推薦状の下へ台紙を敷いた。印章を押し当てると、紙の上に商会の印が浮かび上がる。
乾くのを待ってから、店長は推薦状を私へ差し出した。
私は両手で受け取り、胸の奥に詰めていた息をようやく吐く。
少し肩透かしではあったけれど、無事に推薦状は手に入った。
ただ、昼休みにセルヴィンから言われた言葉が、ふと頭をよぎる。
――その場になれば情熱に火が灯って、最後は勢いで何とかできる、だったっけ。
覇皇への不満をぶちまけ、その勢いで推薦状まで手に入れてしまった。セルヴィンの言った通り、情熱で押し切ったようなものだ。
――結果は良かったんだけど……。何だか釈然としないなぁ。
店長とおっちゃんへ礼を述べ、応接室を退出する。
出口まで案内してくれるおっちゃんの背を追って廊下を歩いていると、不意に深いため息が聞こえた。
「嬢ちゃん、やっちまったな」
「えっ?でも、推薦状はこうしてちゃんといただけましたけど」
封筒へ収めた推薦状を見せると、おっちゃんは足を止め、何ともいえない顔で私を振り返った。
「店長は、嬢ちゃんを覇皇の愛好者仲間だと認めちまったぞ。これから事あるごとに話を振ってくるから、気をつけろよ。特に酒が入ると、長いし、しつこいし、うざいぞ」
ぽん、と肩を叩かれる。
向けられた目は、同情と諦めの入り混じった、生温かいものだった。
――おっちゃんが心配していたのは、そっちなのぉ!
悪魔: 愛ゆえの偏愛と執念。推しの話題は尽きる事なし。




