第34話 山頂殿
翌朝、神官夫妻と朝食を済ませると、私はすぐに山を下りた。門前町で生花を買い、また長い石段を上って、母とじいちゃんの墓前へ供える。
墓石も周りの土もきれいに手入れされており、枯れ葉の一枚さえ見当たらなかった。掃除道具を持ってきたものの、私が手を出せるところはなさそうだ。
私はそれぞれの墓石の前で、こぶしを胸にあてた。
――ただいま。お母さん、じいちゃん。私は元気にやっているよ。
心の中で近況と感謝を伝え、二人へ別れを告げると、自分の部屋へ戻った。
昨夜は神殿へ着くなり夕食をいただき、旅の疲れに負けて眠ってしまった。出発までに確かめておきたいのは、母の遺品だ。
部屋の押し入れを開け、奥に置かれた木箱を引っ張り出す。蓋には薄く埃が積もっていたが、中の品は布に包まれ、湿気を避けるための紙と一緒に丁寧に収められていた。
布をほどくと、何通かの手紙と弔電、葬儀の参列者名簿などが現れた。書類は種類ごとに紐で束ねられ、日付の古い順に並んでいる。
「凄いなぁ。じいちゃん、全部残してくれていたんだね」
私は床へ座り込み、手紙を一通ずつ確かめていった。
けれど、差出人の住所の中に、古物市で会った老婦人の喫茶店の住所と一致するものはない。弔電にも名前は記されていたが、住所までは載っていなかった。
葬儀の参列者名簿に並んでいるのも、ほとんどが山の上の神殿や門前町で見知っていた名前ばかりだ。母の葬儀は、神殿の周りで暮らす人達を中心にした、こぢんまりとしたものだったらしい。
当時の老婦人が皇城でどのような名前を名乗っていたのかさえ、私にはわからない。見落としがないよう二度確かめたものの、それらしい手掛かりは見つからなかった。
――やっぱり、今度会った時に直接尋ねるしかないか。
手紙には、母が皇城で働いていた頃の事が書かれているものもあった。老婦人と話すきっかけにはなるだろう。私は手紙と弔電、参列者名簿を布で包み直し、皇都へ持ち帰る荷物へ加えた。
この部屋は、私が成人して学園を卒業するまでは今のまま残してくれると、神官夫妻が言ってくれている。
寮は一人部屋になったとはいえ、収納に余裕があるわけではない。ほかの私物はそれほど多くないけれど、一度に運べば大荷物になる。お言葉に甘えて、残りはもうしばらくここへ置かせてもらおう。
遺品を片付け終え、私は小さく伸びをした。
――さて、里帰りだけで終わらせず、継譚商会の仕事もしておかないとね。
山頂殿へ来たのは、参拝客が伝えた古い物語や、その元になった記録を探すためでもある。もっとも、本当に何かを見つけなければならないわけではない。作品を発表したあと、誰かがその由来を確かめようとしても、私が古い本の残っていそうな故郷の神殿を訪ねていたとわかれば、それで十分だと思っていた。
神官へ断りを入れ、私は本殿から少し離れた書庫へ向かった。
木造の小さな建物へ入り、窓の鎧戸を開ける。細い光が差し込み、古い紙と乾いた木の匂いが鼻をくすぐった。壁際には天井近くまで書棚が並び、中央には本を広げるための机と椅子が置かれている。
本の並びも、背表紙についた管理札も、じいちゃんが書庫を管理していた頃とほとんど変わっていない。幼い私が何度も読んだ本は、どの棚のどの辺りにあるかまで覚えていた。
新しく加わった本を探し、棚を端から確かめていく。
増えていたのは宗派から届いた祭礼の手引きや、農作物の記録、それに近隣の神殿から寄贈された説教集など、ほんの数冊だった。それらにも一通り目を通したものの、継譚商会で扱えそうな物語は見つからない。
――まあ、わかってはいたけどね。
山頂殿にある本のほとんどは、じいちゃんに字を教わりながら読んだものばかりだ。忘れていた物語が都合良く出てくるはずもなく、調査はあっという間に終わってしまった。
新しく増えた本まで確かめたのだから、頼まれた事はもう果たしただろう。それでも、神官夫妻に、私が書庫へ入ったことを覚えていてもらえる程度には、もう少しここで過ごしておく事にした。
本殿から離れているため、外から聞こえるのは風に揺れる枝葉の音だけだ。私は扉を細く開け、辺りに人影がない事を確かめてから、服の下の首飾りへ触れた。
「エリ、このあと書庫へ来そうな人はいる?」
『神官夫妻は本殿にいる。参拝客が書庫へ近づく予定もない』
しばらくは誰にも邪魔されずに済みそうだ。
とはいえ、書庫は古い木造家屋で、壁も扉もそれほど厚くない。念のため、持ってきた耳当て式受話器を使う事にしよう。
私は机の前へ腰掛け、背負い鞄から耳当て式受話器を取り出した。左の受話部へ賢者の石を収め、頭にかける。
机には調査中の本を何冊か積んである。誰かが来ても、本を読んでいたようにしか見えないはずだ。
「それじゃあ、出発まで少し時間があるし、前回聴いていた物語の続きを聞かせてくれる?」
耳元で異世界の物語が始まる。
私は頬杖をつき、久しぶりの書庫で、しばし物語の世界へ耳を傾けた。
◇ ◇ ◇
別れを惜しむ神官夫妻へ、お世話になった礼を告げ、石段を下り始めたのは昼過ぎだった。
乗合自動車と列車を乗り継ぎ、皇都中央駅へ着いた頃にはすっかり空腹になっていたので、駅の食堂で簡単な夕食を済ませた。そこから都電へ乗り、寮の部屋へ帰って来た時には、もう外は暗くなっていた。
旅の疲れでそのまま寝てしまいたいところだが、私には大事な用事がまだある。店長との面談の準備だ。
背負い鞄を床へ下ろし、まずは母の遺品を机の引き出しへしまう。それから椅子へ腰掛け、胸元の首飾りに触れた。
「明日、古書貸本屋へ推薦状を受け取りにいった時、店長さんとの顔合わせはありそうかな?」
『簡単な面談を行うよう、店長から指示が出ている』
「やっぱりあるのかぁ……」
店の商印章で推薦状を出すのに、相手の顔も見ないというのは難しいのだろう。
「面談って、何を準備すれば良いかな?」
『定番の質問への回答は考えておくべき』
「どんな質問が予想されるかな?」
『ミリアナの担当業務と能力については、買取担当者から説明を受け、店長も納得している。店長の関心は、継譚商会がどのような本を扱う予定かに向く可能性が高い』
「おお!おっちゃん、ありがとう。今度、改めてお礼を言わないとね」
どうやら、店長も初めから私を疑っているわけではなく、好意的に話を聞いてくれそうだ。それなら、相手が興味を持ちそうな物語をいくつか考えておけば、会話も進めやすいかもしれない。
「じゃあ、店長さんの興味を惹く物語ってなんだろう?好きな物語だったら印象が良くなるよね?」
『……店長は、熱烈な覇皇の愛好者』
「えっ……覇皇の?」
思わず、賢者の石から指を離しかけた。
覇皇とは、千年以上前、人類の主要文化圏を統一した帝国の皇帝だ。
歴史上、最も有名な人物といっても過言ではない。空前絶後の偉業を成し遂げた人物であり、覇皇を題材にした演劇や英雄譚も数多く存在する。
そして、私がこの世界の英雄譚を好きになれない最大の理由が、この覇皇だった。
物語の中では、弱きを助けて強きをくじき、乱れた世を正した正義感あふれる青年として描かれる事が多い。
けれど、実際には覇業を成し遂げるためなら手段を選ばない、冷酷な謀略家だったらしい。
英雄譚の元になった史実をエリへ尋ねれば、裏切りや暗殺、敵対する国の内部分裂を狙った策が、次から次へと出てくる。私へ聞かせるために相当穏やかな説明へ変えているはずなのに、それでも引いてしまうような話ばかりだった。
おまけに覇皇は、当時の賢者の石の所持者だ。
エリ達は、戦争や謀略のために、休む間もなく質問へ答えさせられていたという。覇皇が亡くなり、その手から石が離れた時には、解放された事が嬉しくて涙を流したほどらしい。
そんなわけで、私もエリも覇皇が大嫌いだ。たとえ本当に帝国時代の古書を元に物語を作る事になっても、この人物を主人公にしたものだけは避けるつもりでいた。
「えっと……、今の聞かなかった事にはできないかな?」
『聞かなかった事にするのはミリアナの勝手。でも店長の趣味は変えられない』
まったくもって、その通りだった。
椅子の背へ体を預け、天井を仰ぐ。
覇皇が好きな人に向かって、覇皇だけは絶対に扱いたくないなどと正直にいえば、印象が良くなるはずはない。けれど、推薦状のために覇皇の物語を作ると約束するのも嫌だ。
――ちょっとまずいかもしれない。店長さんを怒らせたらどうしよう?
明日の面談で覇皇の話題が出ない事を祈りつつ、私は答えの見つからないまま、深いため息を吐いた。
悪魔: 自らの非道を「悪魔」の所業として記録。責任を全て我々へ転嫁した危険人物。それが覇皇。




