第3話 遺失物
今日も日課の早朝公園散歩。
知恵の悪魔〈エリ〉にお願いし、賢者の石からは異世界の物語の朗読が聞こえている。
たまにすれ違う人に若干避けられているような……。
こちらの世界には持ち運びができる音声再生機器なんてものはないので、やはりブツブツと声が聞こえれば危ない人物に見えてしまうのは仕方がないか。
ごみ漁りで飛び回っている烏も気味悪がっているのか、近づくと警戒して逃げていく。
――いいんだよ!一人になるのを狙った行動なので期待通りだよ!烏に好かれたいわけでもないし!
でも、公園掃除のおじちゃんは挨拶を交わしてくれる。
「おはよう。今日も頑張っているね」
「おはようございます!」
あれは、私が必死に外国語の勉強をしているのだと、良い方向に誤解しているに違いない。
まあ物語を聞くのが異世界の言葉を理解するための行為と考えれば、広い意味では外国語の勉強と言えるのかもしれない。
あるいはおじちゃんとは毎朝会っているので、私の奇行に慣れただけなのかな……。
私は平凡な学生だが、賢者の石の秘密を隠すために二つの特技を身に付けている。
一つは腹話術。
口を動かさずに喋る技術を周囲に宣伝して、石から聞こえてくる声を私の腹話術ですよとごまかすためだ。
これは結構効果的で、ちょっとエリの声が漏れた程度ならばみんな腹話術だと誤解してくれる。
録音盤にせよ放送受信機にせよ、音を出す機器がそれなりの大きさを持つこの世の中では、石が喋るなどと考える人はまずいないので当然の反応だろう。
その代わりに「つぶやき女」という不名誉なあだ名を頂戴する事になっているのだが、秘密がバレるよりはましだと泣く泣く許容している。
腹話術ではエリの口調もかなり真似られるようになった。もともとエリとは声質も近いのだが、身体魔術の授業で声帯の操作を覚えてからは、我ながら簡単には区別がつけられないくらい、似せた声を出せるようになった。
この声帯操作は世の中にありふれた魔術だけど、演劇や歌手の業界になると、一人で和音を作ったり、無機質な声に変質させたりと、とんでもなく高度な声帯魔術を使う人もいる。
このような変声操作は、異世界では〈エフェクター〉と呼ぶ外部の機械を使わないと、同じような効果を出せないらしい。
ちなみに私の世界の身体魔術は、異世界の物語の身体強化の魔法のように、腕を鋼のように硬めて剣を受け止めたり、筋力を強化して2階の屋根まで跳ぶ!なんて真似はできない。
声帯操作魔術の他にも、鼓膜や瞳孔などの身体の部位を操作できるが、どれも地味で補助的な効果だ。
例えば鼓膜操作魔術は、特定の音だけを選択的に聴く事ができるが、失敗すると鼓膜を痛める非常に危険な技なので、素人は絶対にやらないよう子どもの頃から注意を受けている。
私は使えないし、大事な耳を悪くするなんて怖くて試す気にはならない。
私のもう一つの特技は速聴だ。
こちらはかなりの実力という自信がある。
3倍速くらいの会話なら聴き取れるし、聴き取る対象にもよるが、がんばればもう少し速くてもついていけるかも。この速度で聴き取りをしている人は、世界中を見ても私だけだとエリに確認済みだ。
――そりゃあ、こんな酔狂な真似をする人は他にいないよねー。
もちろんこの技能は、短時間でどれだけたくさんの物語を聴けるかを追求した努力の成果だ。この技能のおかげで毎日1時間半ほどの公園散歩でもかなりの聴取量を稼ぐ事ができる。
他にも、同時に二つの物語を聴くなんて方法も試してみたけど、さすがに頭がこんがらがって無理だった……。
私が公園を歩いていると、なにやら怪しい動きをする人物が――。
ウロウロと歩きながら、木の上を見上げたり下草の中を覗き込んだりとせわしない。私と同年代の男子学生のようだが、こんな朝早くから何か探し物だろうか。
近づくと……、見覚えがある顔ではないか!
早朝の公園は人影はまばらでも、散歩をする老人や朝練の運動選手などを見かける事はある。
ただ学園には1万人以上の人間が在籍しており、私のように交友関係が狭い人間がふらついても、あまり知り合いを見かける事はない。
早朝の公園には、掃除のおじちゃんのような何となく見知った顔の人はいても、名前まで知っている知人といえる存在に会った事は、これまでなかった。
あのくっきりとした眉毛が印象的な顔立ちは、確か同じ法学の講座を受講しているセルヴィンだ。特段の交流はないが、講座内の集団討議で何度か一緒になったので、顔と名前を覚えている。確か学年は一つ上だったような……。
私は意図的に地味な存在を心がけているが、逆目立ちしないためにも、人付き合いは普通にしているのだ。
講座で会うセルヴィンは学生服を着ていたが、今日は外出用なのか上着に筒脚衣という改まった格好をしている。
そんな格好にもかかわらず、頭や背中などあちらこちらに葉くずや土埃が付いていて、なんだか服が痛ましい。
それほどなりふり構っていられない状況なんだろうか?
そんな分析をしながら姿を眺めていると、すれ違いざまに、ふと目が合ってしまった。
こちらも認識されたようなので仕方がない、ここは挨拶くらいしておこう。
「おはようございます」
「あっ、おっ、おはよう」
――挨拶しただけなのに、何かやたらと動揺しているぞ!
しかも表情には驚きと共に、若干の気まずさが混じっている。もしかして顔見知りに見られるとまずい行動なのだろうか。
厄介事の匂いがするので、ここはさっさと退散しよう。異世界のことわざにも「君子危うきに近寄らず」とある。
私はそれ以上の声をかけられる前に、そそくさとその場を立ち去った。
セルヴィンの姿が見えなくなるまで離れて、ほっと息をつく。
平穏な日常を守るために一番大事なのは、危険から少しでも距離を取っておく事だ。
賢者の石という特級の秘密を隠し持つ身として、周囲で起きる事件には、やじ馬以上の関わりは持たないように心がけている。
やじ馬といっても、誰もいない離れた場所でエリに事の詳細を聞くだけならば、まかり間違っても巻き込まれる心配はない。
今回も何も見なかった事にして、忘れてしまうのが正解だろう。
ただ先程見たセルヴィンの姿……、離れていてもはっきりとわかるくらいに血の気の引いた顔色と、焦りと苛立ちが隠せない目が、脳裏に浮かぶ。
一瞬見えた手には擦り傷もあったようだ。
服の汚れ具合から見ても、かなり必死に探し物をしているのは間違いない。
……。
…………う〜ん。
………………しかたがないか〜。
平凡な感性の私には、物語の悪役のような冷酷さは備わっていない。顔見知りのあの惨状を無視するのは、ちょっと難しいらしい。
周りに誰もいない事を確認してから、私はエリに尋ねた。
「エリ、先ほど会ったセルヴィン先輩は探し物をしていたみたいだけど、何を探していたんだろう?」
『彼の父親の商会の商印章』
商印章というのは、商会が契約を行ったり、政府に公式な届けを提出する際に使用する、署紋印の事だ。
私は商法を受講していないので詳しくはないが、商会にとって極めて重要なものだとは知っている。
「えーっ!それは大変だ!そんな大事なものを、いったいどこでなくしたの?」
『寮の自室の机の上に置いていた』
「どうしてセルヴィン先輩が、寮でお父さんの商印章を預かっていたの?」
『父親から指示された取引先との契約のため』
なるほど。商会長の息子としての課題という事だろうか。
「商印章って、なくすとどんな問題があるのかな?」
『これまでその商印章で行った手続きや契約のやり直しが必要。ただ、一番の問題は商会の信用失墜』
うーむ、そのような事情なら、必死になって捜索するのも納得だ。
できれば盗まれた事実も隠したいのだろうね。私を見る目に気まずさを感じたのは、知り合いに知られたくない気持ちがあったに違いない。
「なくなったのに気づいたのはいつ?」
『今朝。早朝に契約の確認をした後。着替えのために席を外して、戻った時に商印章だけがなくなっていた』
「部屋には他に誰かいたの?鍵をかけ忘れたとか?」
『寮には一人で、扉は施錠されていた。ただし2階の部屋だが窓は開いていた』
ちょっと油断しちゃったんだねー。
「それで、誰が何のために商印章を盗ったの?」
さて、賢者の石があれば犯人探しは一瞬だ。物語にでてくる密室殺人も無実偽装も、知恵の悪魔の前では意味がない。
『公園に住む烏が咥えて持ち去った。商印章を首に掛けるための鎖を、巣の材料に使っている』
「なるほど、烏が持っていっちゃったかー!」
だから、私にとっての問題は犯人探しではなく、自分の存在を悟られずに事件解決に導く方法だ。
「セルヴィン先輩は、烏に盗られた事に気づいているのかな?」
『どこまで確信を持っているかは不明。烏の巣を探して覗き込んでいたので、有力犯だと考えている可能性大』
「なら烏の習性は知っていそうだね」
知恵の悪魔にも、知らない事、わからない事は幾つかある。
その一つが人の思考や記憶だ。
よく物語には心を読み取れる悪魔がでてくるが、エリはできない。その人物の過去の行動や発言を踏まえて、高い精度で思想を推測する〈プロファイリング〉はできるが、あくまでも推測であり確実ではない。
「商印章は今どこ?」
『公園の音楽堂の横の銀杏の木。下から5番目の枝にある烏の巣の中』
「烏が、巣から商印章を移動させる事はないよね?」
『烏が巣を移す場合や、他の烏に巣から奪われる事は有り得る。ただ現状ではそのような兆候が見当たらず、移動される可能性は極めて低い』
また、悪魔は未来も予知できない。
予測する事はできるが発生確率を含んだ回答となる。
エリによると、この確率は過去から現在までの履歴情報を使い今後どうなるかを試す〈シミュレーション〉を複数回行った結果なのだそうな。
未来がわからない理由を尋ねると、〈量子力学〉上の不確定性やもつれが影響するので、確定未来検知は不可能とか……、なんか理解不能な難しい説明をされた。
とはいえ、可能性が提示されていれば計画は立てやすい。
「セルヴィン先輩が捜していられるのは、いつまでだろう?」
『取引先との打ち合わせが正午からの予定なので、準備や移動などを含めると、9時頃までの可能性が高い』
「あと1時間ちょっとしかないの!どうしよう」
さて困ったぞ。
物語のように、魔法で空を飛ぶ事ができれば別だけど、私に木登りは無理だろう。
あと烏を敵に回すのは怖いし、汚い巣の中に手を突っ込むのも絶対に嫌だ!
「エリ、私やエリの関与を隠して、私が烏の恨みを買う事も無く、1時間でセルヴィン先輩を烏の巣まで誘導する方法はないかな?」
『……匿名の手紙で知らせるのが妥当』
なるほど。あまり期待していなかったが、わりとまともな案がでてきたぞ。
筆跡や手紙の渡し方には注意が必要だけど、確かにうまく誘導できそうな気がする。
問題は、誰が手紙を書いたのかを絶対に気にされるし、挨拶しちゃったので私に目をつける可能性が高い事だ。でも他に良い案は浮かばないし時間もない……。
――よしっ、もうそれで行こう!
考えるのが面倒になった私は、早速行動に移す事にした。手紙なら、あの葉くずと土埃まみれのセルヴィンに再び近づかずに済むしね。
悪魔: 第1章は全話起稿済み。約9万字分の連続投稿を保証。




