第28話 推薦状
セルヴィンに商会の責任者をお願いしてから、1週間が過ぎた。
その間、セルヴィンからは、先日の話し合いで決めた目的を具体的な事業計画へ落とし込むため、何度か問い合わせを受けた。用意する原稿の量や作業時間については私も答えたけれど、収支の見通しや権利の管理といった難しい話は、ほとんどルッシェリーナへ丸投げだ。
二人の間で話がどんどん進み、私のところへ回ってきた書類も、自分の名前に間違いがない事を確かめたくらいだ。簡単な説明は受けたけれど、正直なところ申請内容の半分も理解できている自信はない。
――まあ、こういう難しい事は、得意な人に任せるのが一番だよね!
後で聞いたところ、『ミリアナ商会』はセルヴィンの冗談だったらしい。そもそも商会の正式名称に使えるのは帝国文字だけで、今の申請段階ではまだ決める必要もなかった。
私だけが本気で慌てたのは少し悔しいけれど、ひとまず名付けの問題は先送りになった。
講義を終えた私達は、セルヴィンに呼び出され、皇立学園専門研究所の商務学部が使う専門棟へ向かっていた。
専門棟は普段の講義棟よりも出入りする者達の年齢が高く、廊下ですれ違う研究員の腕には帳簿や分厚い資料が抱えられている。
「学生新興商会制度について、申し込みに必要となる準備はほぼ終わっているよ。今日は顧問をお願いしている先生との面談だ」
先頭を歩くセルヴィンが、歩調を緩めて振り返った。
商会を登録するには、成人した代表者を立てなければならない。けれど、学生だけで利用するこの制度では、顧問となる指導教諭が名目上の代表を務めるのだそうだ。
つまり、顧問が決まらなければ、私達の商会は設立に向けた最初の段階から先へ進めない。
「それで、どなたに顧問をお願いしたのですか?」
ルッシェリーナが尋ねると、セルヴィンは待っていましたとばかりに人差し指を立てた。
「お願いしたのは、ディアネリス教授だ」
自信満々に告げられた名前を聞き、私の足が止まりかけた。
「そうだね、せっかく面識があるのに頼らない手はないよねぇ。なんといっても商務学部の頂点に立つ方だし」
「引き受けていただけるのであれば、心強いですね。新聞社と交渉する際も、教授の名前があれば、学生相手だからと軽んじられる事を避けられそうです」
カレフィーネもルッシェリーナも好意的な反応を見せている。
けれど私は、その名前を聞いただけで胃の辺りがきりきりと痛む気がした。できる事なら、もっと地味な教諭にお願いしたい。
「そんなに有名な方を顧問にしたら、作った商会まで目立っちゃうんじゃないかな?」
なるべくさりげなく別の人を勧めようとした私に、ルッシェリーナは静かに首を振った。
「いいですか、ミリアナ。大切な物を隠すなら、闇の中より、強い光を放つもののそばの方が見つかりにくいものです。わたくしは、ディアネリス教授の陰こそ、あなたが隠れる場所として最適だと思います」
「ディアネリス先生は、既に20社以上の学生新興商会で顧問をしているそうだ。俺達の顧問を引き受けても、それだけで注目を集める事はないよ」
セルヴィンは抱えていた書類の束を軽く叩いた。
「それに、先生は事業の収益計画や財務報告をかなり厳しく確認する代わりに、問題が起きない限り、事業内容には一切口を出さないらしい。だから俺達の目的にも合っていると思う。既に事業計画の概要は提出して、仮承認までもらっているから、そちらが問題になる事もないはずだ」
「もう仮承認までいただいていたとは、失礼ながら驚きました」
ルッシェリーナが素直に感心すると、セルヴィンは照れたように頬をかいた。
「ははは……。実は、俺一人で進めたわけではないんだ。フェルディオさんに相談したら、必要な書類や手続きについていろいろと教えてくれてね」
なるほど。あれほど妹思いのフェルディオなら、妹が参加する活動のために協力は惜しむまい。
――きっと、全力で助力してくれたんだろうなぁ。
おかげで手続きが順調に進んだのはありがたい。ありがたいのだけれど、私を取り巻く有名人の輪が着実に狭まっている気もする。
「でも、本当に引き受けてもらえるのかな?面談では何を聞かれるの?」
「今日の名目は、商会へ参加する学生の意識確認だそうだ。フェルディオさんも詳しい内容までは教えてくれなかったけれど、少なくとも事業そのものに関する質問は出ないらしい」
カレフィーネの問いに答えたところで、セルヴィンが廊下の奥にある扉の前で足を止めた。
扉の脇に掲げられた名札には、見間違えようもなくディアネリス教授の名前が記されている。
――極力接触を避けるつもりだったフェルディオとディアネリス教授に、散々関わる事になっちゃったなぁ……。
けれど、もう今さらだ。
物語を広めると決意した時点で、この流れは避けられなかったのだろう。そう信じて、私はこっそりため息を吐いた。
秘書の女性が扉を叩き、私達の来訪を告げる。中から短い返事が聞こえると、扉を開けて入室を促した。
教授の執務室は、壁一面が書棚になっていた。隙間なく並ぶ本のほか、背表紙に番号の振られた帳簿や、紐で束ねられた書類がぎっしりと収められている。
部屋の奥には大きな執務机があり、その手前に打ち合わせ用の長机が置かれていた。私達4人は秘書に示された椅子へ腰を下ろし、長机を挟んでディアネリス教授と向かい合う。
教授は手元の申請書へ目を落としたまま、しばらく何も言わなかった。
紙をめくる乾いた音がするたび、背筋が勝手に伸びていく。
「ふむ。なるほど、この4人で商会を作るんだな」
ようやく顔を上げたディアネリス教授が、端に座るセルヴィンから順に私達を見つめた。
冷たく分析するような視線だ。隠している秘密まで見透かされそうで、まともに目を合わせていられない。
教授は私達4人の顔を確かめ終えると、椅子の背へ体を預けた。
「あたしが商会員に求める事は一つだ。全員がそれぞれ担当業務を持ち、責任をもって遂行する事。他のやつの成果に乗っかるだけの者を、制度へ参加させるつもりはない」
短い言葉だったが、異論を差し挟ませない重みがあった。
セルヴィンが真剣な表情で頷く。隣のルッシェリーナとカレフィーネも、姿勢を正して教授の言葉を聞いていた。
教授は執務机の端に置かれていた紙束をつかみ、私達の前へ滑らせた。紙は長机の上を広がりながら進み、ちょうど4人の前で止まる。
「だから、あたしが顧問を引き受ける条件は簡単だ。全員が、自分の担当業務について、この推薦状をもらってくる事」
セルヴィンが一番上の紙を取り、残りを順番に回した。
「推薦者として認めるのは、商会や商店などの法人だけだ。個人名での推薦は認めない。推薦状には、その法人が正式に用いる印章を押してもらう必要がある。この推薦によって金銭的な保証が発生する事はないが、新しく作る商会と、その商会員の後援者として公的に名前が登録される。気軽に引き受けてもらえると思うな」
手元へ届いた推薦状に目を落とす。
上部には推薦する法人の名称と所在地、下部には私達が作る商会の名称や所在地を書く欄が設けられていた。推薦する法人が正式に用いる印章を押すための大きな枠もある。
そして中央には、『この者を商会員として推薦する』という文言と共に、推薦される者の名前と担当業務を記入する欄が大きく取られていた。
添えられた説明を読む限り、これは単に知り合いが応援していると伝えるための紙ではない。
これから設立する商会の活動を支持し、名前を書かれた者が、その担当を任せるにふさわしい人物だと法人の信用をかけて認める。そういう意味を持つ推薦状だった。
つまり、私も自分の名前と担当業務を記した推薦状を、最低1枚は用意しなければならない。
――法人から、私の仕事について推薦してもらう?
どこへ頼めば良いのだろう。物語を用意する仕事をどう説明すれば良いかも、全く思い浮かばなかった。
隣を見ると、カレフィーネも紙面を見つめて考え込んでいた。ルッシェリーナは既に推薦者の条件を細かく読み始め、セルヴィンは顎へ手を添えている。
簡単な条件だと言われた割に、誰の顔にも余裕はなかった。
「念のため言っておくが、あたしはまだ顧問を引き受けると決めたわけじゃない。推薦を頼む時に、あたしの名前を出すのもやめておく事だ。後ろ盾が欲しければ、自分達の計画と働きで相手を納得させな」
教授は机上の申請書を揃えると、私達へ背を向けるように執務机へ置いた。
「期限は3週間。全員分の推薦状が集まったら、また来な」
それだけ告げると、教授は次の書類を開いた。
私達が座ったままでいると、視線だけをこちらへ向ける。
「わかったら面談はおしまいだ。さっさと行きな」
慌てて立ち上がった私達は、秘書に追い立てられるように執務室を出た。
背後で扉が閉まり、廊下へ戻ってから、ようやく詰めていた息を吐く。
手元には、それぞれ1枚ずつの推薦状が残されていた。
専門棟を出た後も、私は推薦状を両手で持ったまま、用紙に並んだ空欄を眺めていた。
どこに頼むのか。私の仕事をどう説明し信用してもらうのか。いくら考えても、まともな考えは一つも浮かんでこない。
――エリに競合他社の秘密を聞いて、それを提供する代わりに推薦状を書いてもらうとか……。
そこまで考えたところで、私ははっとして首を横に振った。
――いやいや。そんな危ない真似をして、賢者の石の秘密が漏れたら意味がないじゃないか。あとで落ち着いて考えよう……。
悪魔: 賢者の石の利用は、悪魔側世界の法律や倫理的制約の適用外。




