第27話 防壁
作者名の問題が片づいたと喜びかけていた私は、上げかけた両手を膝へ戻した。
「作者の素性を隠すには、少なくとも二段の構えが必要です」
「二段?」
「世間一般からミリアナを隠す対策と、専門家による組織的な調査への対策です」
ルッシェリーナは新しい紙の真ん中へ線を引き、上下に分けた。
「1段目では法人を壁にします。新聞社との交渉や読者からの問い合わせは、全て法人が受ける。作者との連絡を担当する者について尋ねられても、法人として回答を断れば良い。対外的なやり取りから、ミリアナ個人を完全に隠します」
紙の上側に、法人、新聞社、読者という3つの言葉が並ぶ。私の名前は、法人の内側に小さく囲われた。
「けれど、これは一般の人や通常の取材には有効でも、本気で調べる組織を止められるものではありません。法人の設立時には構成員を届け出なければなりませんし、原稿がどこから届くか見張られれば、いずれミリアナへたどり着くでしょう」
隠せないと言われ、喉の奥がひやりとした。
「だから2段目として、たどり着かれた後に信じてもらうための説明を用意します。わたくしなりに、ミリアナがこの物語をどのように入手しているのか想像してみました。先に断っておきますが、これは仮の推理です。正解を言う必要はありませんよ」
念を押してから、ルッシェリーナは紙の下側へ最初の仮説を書き込んだ。
「一番あり得そうなのは、何らかの事情を抱えた海外出身の作者と、ミリアナが秘密の手段で連絡しているというものです。ただし、これは作者が実在すると聞き、筆跡の違う原稿を見たからこそ思いつく筋書きです」
胸の鼓動が一つ大きく跳ねた。
海外ではなく異世界で、連絡手段は賢者の石。驚くほど真相に近い。
ルッシェリーナは、私の顔色を読むように一瞬だけ目を細めた。しかし約束どおり答えは求めず、次の仮説を書き始めた。
「2つ目は、外部の人間が最も想像しやすい筋書きです。ミリアナが帝国時代の古書を隠し持っており、それを現代の皇国向けに書き直している」
戦や焚書で失われた物語は多い。古書貸本屋へ通い、人形劇の脚本も書いた私なら、素性を隠した作者とのつながりより、古書を見つけたと考えられる方が自然だろう。
「もっとも、その筋書きを用意する前に、ミリアナ自身が作者だと疑われないようにする必要があります。わたくし自身も、ミリアナが自分で書いたにもかかわらず、作者は別にいると思い込んでいるという可能性を、まだ捨て切れていませんけれどね」
ルッシェリーナがいたずらっぽく笑う。
「そ、それはないよ!」
「恋愛上手なミリアナが、心の内にもう一人潜んでいる……なぁんて事が、あったらいいね」
「カレフィーネまで!」
真剣な話の最中なのに、二人は揃って楽しそうだ。
私が頬を膨らませると、ルッシェリーナは小さく笑ってから紙へ視線を戻した。
「2段目の構えとは、この2つ目の『隠された古書』という筋書きに、真実味を持たせる事です」
――ルッシェリーナって凄いなぁ。一晩でここまで考えちゃったんだ。作者の事情も大筋は当たっているし……。
同時に、隠し事の難しさを思い知らされる。
味方であるルッシェリーナでさえ、わずかな情報から真相の近くまで見抜いた。作者を本気で探す者が現れれば、黙って身を潜めるだけでは守り切れないだろう。
「真実味を持たせるために、2つの作戦を考えました。一つは、作品を発表する前に、ミリアナに古い物語が隠されていそうな場所を巡ってもらう事です。わたくしが思いついたのは、ミリアナが里帰りをして、故郷の神殿を訪ねてくるというものです」
神官じいちゃんは読書家で、神殿の書庫には古い聖典や寄進された本が残っている。私が里帰りして本を探す筋書きには説得力があった。
「もう一つは、セルヴィンさんを活動へ引き込む事です。そして彼には、この筋書きが真実だと思ってもらいます」
「うん?それはセルヴィン先輩を騙すって事かな?」
カレフィーネの疑問に対して、ルッシェリーナは軽く微笑んだ。
「いいえ、嘘は言いません。ただ、ミリアナが作者と連絡できる事を伏せ、作者自身が書いた原稿も見せないだけです」
「原稿も?」
「渡すのはミリアナが清書した原稿だけ。わたくし達も入手方法は知りませんし、ミリアナが古書を探していれば、彼は自分でそう推測するでしょう」
「でも、もし直接聞かれたら?」
「作者の秘密だから話せないと、正直に答えれば良いのです。法人の責任者が作者の実在を確信していなければ、調査を受けた時にも古書という筋書きが真実味を持ちます。それに――」
ルッシェリーナはそこで言葉を切り、私とカレフィーネを順に見た。
「ミリアナを守るために必要だと伝えれば、彼は黙って引き受けてくださるのではありませんか?」
「たしかに、ミリアナを守るためって言えば、深くは聞かずに協力してくれそうだね」
――うーん、商印章の貸しはまだ有効みたいだから、手伝ってくれるかな?
作者に連絡できる事を秘密にするのも、作者用の筆跡で書いた原稿を見せないのも、こちらから嘘を教えるわけではない。セルヴィンが勝手に勘違いする事を期待するだけだ。直接聞かれても「秘密だから話せない」と正直に答えるのだから、私は何も悪くない。
それに、セルヴィンが何も知らなければ、誰かに追及されても堂々と「知らない」と答えられる。あの何でも顔と態度に出る熱血男に、事情を知った上で上手にごまかせと要求する方が、よほど無茶な話だ。
――よし、何も問題ない。あの妙に目立つ人柄は、囮には最適だし……。
「うん、わかった。ルッシェリーナの提案どおりにするよ」
こうしてもう一人、セルヴィンを私の計画に誘う事が決まったのだった。
◇ ◇ ◇
昼休みになると、私達は学生食堂でセルヴィンを見つけ、講義後にカレフィーネが借りた小会議室へ一人で来てほしいと伝えた。
女子学生3人から話があると呼び出されたセルヴィンを見て、同じ卓にいた男子学生達はにわかにざわめいた。あとでエリに彼らの反応を尋ねると「セルヴィン、お前いったい何をやらかしたんだ」と、かなり心配されていたらしい。
――女子学生3人に突然呼び出されたうえ、一人で来るよう念を押されたら、いろいろと誤解されても仕方がないかもね……。
その日の講義が全て終わると、カレフィーネが借りてくれた学生向けの小会議室へ集まった。
長机を囲んで座ると、ルッシェリーナが計画を説明した。
セルヴィンは途中で口を挟まず、机の上で両手を組んで聞いていた。説明が終わると、私の方をちらりと見る。
「つまり、物語の出版と権利を管理する法人を作る手伝いをする。そして作品の入手方法について一切追及しない。まとめると依頼内容はこの2つかな?」
「はい。ただし、法人の設立を手伝うのではなく、あなた自身に責任者となっていただきたいのです」
セルヴィンは腕を組んで考えたあと、こちらへ顔を戻した。
「いいよ。ちょうど卒業後の進路を考える中で、俺には官僚より商売の方が向いていると思っていたところなんだ。自分達で新しい法人を立ち上げるなんて、こんな面白そうな話に乗らない手はないね。是非、俺もその計画に参加させてほしい」
セルヴィンはいつものように歯を見せ、迷いのない笑顔で言い切った。
ルッシェリーナとカレフィーネは、予想どおりといった顔をしている。けれど、私はあまりの即答にかえって心配になった。
「本当に良いの?作品の入手方法は話せないんだよ」
「何も問題はないさ。あの人形劇を見た時から、あれほど観客を沸かせた話を1度きりで終わらせるのはもったいないと思っていたんだ。ミリアナさんが用意する物語なら、きっと世間にも受け入れられる。商売としても十分に可能性があるよ。どうやって作品を手に入れているかは、俺が知らなくても困らないさ」
セルヴィンにはまだ『風渡りの行商人』の原稿を見せていない。それでも、あの人形劇だけで、私が用意する物語を信じてくれているらしい。
どうやら私が想像していた以上に、セルヴィンはこの話に乗り気のようだ。
「ただ、法人の形を決める前に、一つ確認しておきたい。この組織で目指すのは、その作品を新聞へ載せる事だけなのかな?」
思いがけない問いに、私は首を横へ振った。
「ううん。一つの作品を載せて終わりにはしたくない。大人が一人で夢中になれる長い物語がたくさんあって、いつでも好きなだけ楽しめる。そんな世の中にしたいんだよ」
セルヴィンは驚いたように目を見開いたあと、楽しそうに笑った。
「一つの物語を売るだけでなく、大人が長い物語を楽しむ文化まで育てようというのか。これはまた大きな夢だな」
「自分でも、少し欲張りすぎだとは思うけどね」
「いいじゃないか。小さな組織だからといって、目的まで小さくする必要はないさ」
セルヴィンは指を折りながら、話を整理していく。
「では、設立目的は『物語を世の中に広め、物語文化を育てる』。当面の事業は、物語の収集と編集、発行、それに作品の権利管理だな」
「はい。最初から手を広げすぎるのではなく、まずは『風渡りの行商人』の新聞掲載を実現しましょう」
ルッシェリーナの言葉に、私も大きく頷いた。
私が同意したのを確かめると、セルヴィンは話を先へ進めた。
「法人にも種類があるけど、新聞社と取引するのなら商会として登録するのがいいだろう。ちょうど良い制度があるんだ。学生新興商会制度といって、学生の身分のまま商会を興し、学園から後援を受けられる制度だ。事業を半年以上継続できれば、単位も認められる」
「学生だけで商会を作れる制度があるの?」
「ああ。普通は信用も資金もない学生だけで商会を設立するのは難しい。だが、この制度なら学園が後ろ盾になり、設立に必要な資金の一部も貸し付けてくれる」
何とも都合の良い制度に聞こえる。だが、ルッシェリーナは慎重な顔を崩さなかった。
「事業の損失を学園が補填する代わりに、事業失敗と判定されれば、商会員全員が落第、つまり退学となる制度ですね。わたくしは、この事業が失敗するとは少しも思っていませんが……一人でも途中で退学する商会員が出れば、その時点で商会は解散になるのではありませんでしたか?」
「その通りだ。ただし、脱落者が出た時の解散は、学業をおろそかにして事業へ没頭させないための規則だ。他の商会員まで退学になるわけではない。それに、事業失敗と判定される条件も、事業計画を守って活動していれば、そこまで厳しくはないよ」
退学と聞いて、思わず身構えた。
「失敗したら退学って、けっこう危ない制度なんじゃ……」
「学園の資金と信用を借りる以上、遊び半分では認められないという事だな。設立前に事業計画の審査があり、活動中も学業成績と帳簿を確認される。無謀な計画なら、始める前に止められるよ」
「途中で誰かが抜けたくなった場合は、どうなるの?」
カレフィーネが尋ねる。
「事情があれば、後任を立てて脱退できる場合もある。ただし、設立直後は認められないから、全員が半年は続ける覚悟が必要だな」
「うーん、そうねぇ。私は良いと思うよ。途中で投げ出すつもりもないし、学業と両立できるように予定も立てる」
「わたくしも制度の利用に賛成します。ただし、失敗の判定条件と、学園がどこまで損失を補填するのかは、申請前に規則を確認しましょう」
2人の視線が私へ向いた。
制度については、正直なところまだ十分に理解できていない。それでも、協力してくれる3人が揃ってこの制度を勧めるのなら、私だけが尻込みしているわけにはいかない。
「うん、わかった。私も、良いと思う」
そう答えると、セルヴィンが満足そうに頷いた。
「よし、決まりだな。まず俺が制度の規則を確認して申請書を揃えておくよ」
私達3人が頷き、話し合いは終わった。
椅子を戻して解散しようとしたところで、セルヴィンが何かを思い出したように手を打つ。
「そういえば、申請には商会の名前が要るんだった。『ミリアナ商会』で良いかな?」
「だめに決まっているじゃん!」
私の悲鳴が小会議室へ響き渡った。
悪魔: 振り仮名は「読み仮名」と「訳義」が混在しており要注意。




