第26話 結社
「え〜!本当に一晩で考えちゃったの!」
思わず上げた声が、早朝の廊下に響いた。
ルッシェリーナは制服こそ隙なく着こなしていたものの、普段より少しだけ目元が重そうに見える。腕に抱えた書類の束には何枚もの紙片が挟まれ、夜遅くまで調べ物をしていた事が伝わってきた。
「ええ。考え始めたら止まらなくなってしまいました。立ち話で済む内容ではありませんので、カレフィーネも呼んでいただけますか」
「わ、わかった。とりあえず入って待っていて」
ルッシェリーナを部屋へ通し、私は寝間着の上から上着を羽織って隣室の扉を叩いた。
しばらくして扉から顔を出したカレフィーネは、事情を伝えると眠そうな目を何度か瞬かせた。それでもルッシェリーナが来たと聞くや、すぐに身支度を整えて私の部屋へやってくる。
3人で机を囲むには椅子が足りない。私とカレフィーネは寝台へ並んで腰かけ、ルッシェリーナには机の椅子を勧めた。
机の上には、昨夜持ち帰った『風渡りの行商人』の原稿が置かれている。
ルッシェリーナはその隣へ書類を置き、一番上の紙を私達へ向けた。そこには大きな文字で、3つの条件が書かれていた。
秘密の共有。
利益と権利の確保。
新聞社と対等に交渉できる組織。
「最初に結論を申し上げます。わたくしは、この計画に協力したいと考えています。ただし、利益と権利を守るため、わたくし達で法人を設立する事が条件です」
法学の講義で『法人』という言葉を習った。商会など、法の上で人と同じように契約ができる組織だったはずだ。
けれど、物語を新聞へ載せる事と、法人の必要性がすぐには結びつかなかった。
「新聞社に原稿を持っていくのに、どうして法人が必要なの?」
「持ち込むだけなら個人でもできます。しかし、売れた後の事を考えてください。新聞社と掲載の契約をするのは誰ですか。原稿料を受け取るのは誰ですか。別の新聞社から掲載を求められた時、作者に代わって交渉するのは誰ですか」
次々に問いかけられ、私は口を閉じた。
作者の素性を隠したい以上、作者本人を契約相手にはできない。そうなると、原稿を持ち込んだ私が作者の代理人だと名乗る事になる。
「今のままでは、新聞社との契約も、作品を守るための知産登録も、全てミリアナの個人名義になります。新聞社に渡した原稿が勝手に書き換えられた時も、他人に写されて売られた時も、あなた一人で抗議しなければなりません。それに、作者から任された登録や契約、そこから得られる利益と、あなた個人の財産を区別する仕組みもありません」
「お金は……原稿用紙や墨液代を引いて、残りは神殿へ寄付しようかなって思っていたけど」
自分が作った物語ではないのだから、私が原稿料を受け取るのは何となく違う気がしていた。作者へ直接お金を渡す方法もないし、異世界の作者にとって皇国のお金など価値はない。受け取りを拒否できないならば、寄付してしまうのが一番良いと思っていたのだ。
すると、ルッシェリーナは眉間を押さえた。
「あなたらしい考えではありますが、それでは作品を守れません。あなたや作者にとって不要だとしても、印刷にも交渉にもお金はかかりますし、作品を広めるために、お金が必要になる事はいくらでもあります。ですから、得られる利益を手放す事はせず、作者のために、登録によって生じる権利と一緒に管理するべきです」
隣で聞いていたカレフィーネも、うんうんと頷いた。
「それに、個人のミリアナが新聞社と話すより、きちんと事業として届け出た組織の方が信用してもらえるしねぇ。役割を分ければ、ミリアナが人前へ出なくても済むよ」
「その通りです。ミリアナが作者から作品管理を任されているのであれば、作者から法人へ作品の登録資格を譲渡してもらい、その法人を新聞社との契約相手にし、作品の公開後に法人名義で知産登録を行えば、対外的な交渉をわたくし達が引き受けられます。登録によって生じた権利も、得られた利益も、組織として守る事ができます」
私には難しい手続きや交渉を二人が引き受けてくれる。その上、作者の作品と利益をきちんと守る仕組みになるのなら、断る理由はなかった。
「うん、わかった。作者さんのためになるなら、法人を作ろう」
私が答えると、ルッシェリーナは背筋を正し胸に手をあてた。
「わかりました。それではわたくしも、ミリアナの夢の実現に向けて共に歩む事を誓います」
「うんうん、これで私達は運命共同体だね」
カレフィーネが私の肩へ自分の肩を軽くぶつける。
私も姿勢を正し、二人の顔を順に見た。
「ありがとう、ルッシェリーナ、カレフィーネ。二人と一緒なら、本当に夢を叶えられる気がする」
この世界では私一人だけで始めたはずの計画に、いつの間にか二人も仲間が増えていた。
ルッシェリーナはわずかに笑みを浮かべたが、すぐに表情を引き締めると、書類の束から別の紙を抜き出した。
「では、ここからは協力者として、計画を進めるための問題点をお話しします」
その紙には、新聞の紙面を縦に分けた細長い枠と、枠の脇へ細かな数字がいくつも書き込まれていた。
「まず、ミリアナが考えていた日刊連載は、現実的ではありません」
いきなり冷水を浴びせられ、浮き立っていた気持ちがしぼむ。
「毎日、少しずつ載せれば、読者が続きを楽しみにしてくれると思ったんだけど……」
「発想は面白いと思います。ただし、新聞の紙面は日によって空きが変わります。大きな事件が起きれば記事が増え、連載に使える幅が狭くなる。毎日同じ分量を確保できるとは限りません」
ルッシェリーナは紙面の枠を指でなぞった。
「毎日決まった枠を確保してもらう事はできるかもしれませんが、その場合は物語の文字数を、必ずその枠内に収めて区切る必要があります。単純に区切るだけでなく、毎日読者を引き込むため、次話への期待を含めるような改変も求められると思います」
「うぅ、たしかにそれは大変だし、話を書き換えるのは嫌だね」
「さらに日刊では、校正と検閲へ回す時間がほとんど取れません」
「検閲って、新聞社が毎日受けているんじゃないの?」
「新聞記事の多くは発行後に検閲されます。後で問題がみつかれば訂正や回収が行われるだけでなく、事情聴取や再発防止として調査が入る可能性が高いのです」
一度でも問題になれば、作者の素性を探られる切っ掛けになる。毎日、締切に追われながらその危険を抱えるのは、確かに怖い。
「そうか……このお話を新聞に載せるのは難しいのか……」
「いいえ、そうではありません。わたくしが指摘したのは掲載の形態についてです。これほど素晴らしい紙面素材を、新聞社が簡単に断るとは思えません」
ルッシェリーナは、細長い枠の横へ大きな四角を描いた。
「日刊紙の週刊付録として、週に一度まとめて掲載するのです。これなら紙面を広く確保でき、物語の区切りに合わせて各回の文字数にもある程度の幅を持たせられます。掲載までに余裕を設け、原稿を事前検閲へ出す事もできます」
「なるほど!さすがルッシェリーナ」
「たしかに、週刊連載で紙面を大きく使えるなら、ちょうど1話分くらいで良さそうだねぇ」
カレフィーネが原稿をめくり、文字数を測りながら言った。
毎日少しずつではなく、週に一度、読み応えのある分量を届ける。そう考えると、場面の途中で細切れにされるよりも物語へ入り込みやすそうだ。
「新聞社へ持ち込む時は、最初の何回分かをまとめて用意しましょう。毎週きちんと続きが届くと示せなければ、未知の形式に貴重な紙面を割いてもらえませんから」
私は原稿の束を見下ろした。
第一部の文字起こしは終わっているものの、皇国向けの修正と清書はまだ途中だ。やらなければならない仕事の量に一瞬だけ目眩がしたが、どこまで仕上げれば交渉を始められるのか、初めて具体的に見えた気がした。
ルッシェリーナが次に取り出した紙には、私が決めた作者名が大きく書かれていた。
『星乃トドキ』
その文字を見た瞬間、嫌な予感がして胸が重くなる。
「新聞掲載にあたり、わたくしが一番問題だと考えているのは、作者の名前です」
「やっぱり、だめかな……」
「貴族名を連想させるこの名前は、検閲で指摘されるだけでなく、当局による作者の素性確認を招く恐れがあります」
「でも、作者の名前は絶対に変えられないよ。自分の物語を違う名前で公開されるなんて、私なら嫌だ。筆名なんだから、貴族とは関係ないよ」
作者の名前で公開する。それは、この計画を始める時に私が自分へ課した約束の一つだ。作品を広めるためだとしても、そこだけは譲りたくない。
「あなたはご存じないかもしれませんが、遠い過去には『星』という貴族家も存在しました。現在は断絶していますが、この『星乃トドキ』という名は、過去の貴族家の末裔を主張しているように受け取られる可能性が高いのです」
「でも……」
名前を守れば作者が疑われる。疑われない名前へ変えれば自分で決めた約束を破る。
どちらも選びたくなかった。
膝の上で握った手へ力が入る。原稿の表紙にこの名前を書いた時は、何とかなると自分へ言い聞かせた。けれど、実際に新聞社で働くルッシェリーナから危険を指摘されてしまえば、気の持ちようでは済まされない。
「じゃあ、もっと筆名らしく、名前っぽくなくしたらどうかな?」
カレフィーネが、机の端に置かれていた鉛筆を手に取った。
「つまりね、トドキの部分を名前文字ではなく、皇国文字で書くの」
紙へ身を屈め、『星乃トドキ』の隣へ新しい表記を書き加える。
『星乃とどき』
「作者さんの名前の音は何も変わっていないでしょう?でも、名前文字を使わなければ、貴族家の名乗りには見えにくくなると思うよ」
ルッシェリーナは2つの表記を見比べ、感心したように頷いた。
「なるほど、それは良い考えですね。名前ではなく、作品のために付けた呼び名だと一目でわかれば、検閲で指摘を受ける危険はかなり減ります」
「うん!それなら大丈夫。きっと作者さんも気に入ってくれると思う!」
異世界で作者が使っている表記については、「とどき」が表音文字だとしか聞いていない。作者へ確認する必要はあるけれど、きっと受け入れてもらえるはずだ。
一度は沈みかけた気持ちが、勢いよく浮かび上がった。
「ですが、作者名の表記を変えるだけで安心はできません」
でも、どうやら安心して喜ぶには、まだまだ早かったらしい。
悪魔: 『名前文字』にカタカナを、『皇国文字』にひらがなを適用するのは翻訳上の都合で、実際には全く別の文字。
悪魔: 西暦2026年9月5日、皇国の『知産登録』制度の厳密な定義に基づき、ルッシェリーナの説明を微修正。




