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石と悪魔と平凡な私 〜世界を越えてカタチを変えて少女は〈物語〉を届ける〜  作者: 銀天儀
第2章

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第24話 翻案

 異世界の物語をこの世界に広める。


 その決意を胸に原稿作りを始めてから、1か月ほどがたった。


「うーん、どうしようかな……」


 私は机に肘をつき、書きかけの原稿を前にして息を吐いた。


 開け放した窓の外では細い雨が途切れる事なく降り続いている。湿気を含んだ空気は重く、机に重ねた原稿用紙までわずかに波打っていた。


 エリによると、皇都一帯には〈停滞前線〉というものがかかっており、しばらくは同じような天候が続くらしい。こうした長雨は毎年の事だが、今年は例年よりも少し早いようだ。


――お天気も原稿もすっきりしないな。


 当初の目標にしていた『風渡りの行商人』第一部、約10万字の文字起こしはすでに終わっている。


 直訳した原稿は全て、普段とは異なる『作者用の筆跡』で書いた。身体魔術で腕や指の筋肉の動かし方を変えながら書くのは、最初こそ手が攣(つ)りそうになったものの、今ではすっかり慣れたものだ。


 現在進めているのは、その直訳原稿を皇国の読者向けに整える作業である。


 皇国人が読めば不自然に感じる言い回しや行動を探し、物語の筋を変えない範囲で書き直す。そうして編集を終えた原稿は、自分の普段の筆跡で清書する事にしていた。


 念を入れて、作者用の原稿と清書では、使う鉛筆と原稿用紙も別の種類にしている。筆跡だけ変えても、紙質や鉛筆の線まで同じでは、同じ人間が書き分けたのではないかと疑われるかもしれないからだ。


 もし直訳原稿を誰かに見られても、作者が外国人で、皇国の言葉や文化に不慣れだから不自然な箇所が残っているのだと説明できる。私は作者から原稿を預かり、皇国向けに翻訳の補助をしているだけの人というわけだ。


 問題は、目の前の一節だった。


 物語の終盤、主人公を庇(かば)って深い傷を負った愛犬が、数日後に傷を化膿させ生死をさまよう場面である。



 この世界には魔力同調という技術がある。


 お互いに触れて意思を合わせる事で、複数人の魔力を同調させる技術だ。


 この魔力同調を使えば、異世界の物語でまれに出てくる、大勢で力を合わせて行う〈儀式魔法〉のような真似も一応はできる。

 でもやっぱり、もの凄(すご)く超弱(ショボ)い。


 同調した状態で魔術の効果を増幅させるには、全員の意思を揃えなければならない。訓練を重ねても精度を上げるのは難しく、そもそも一人一人が使う魔術の作用が弱いため、人数を増やしたところで大した威力にはならない。


 しかも、同調する者同士は全員が直(・)接(・)触れ合っている必要がある。


 2人なら手を握れば良い。3人でも輪になれば済む。だが、それ以上になると、全員が他の全員へ触れようとして、絡み合った人間知恵の輪(パズル)か、人間団子のような怪しい集団になってしまう。


 派手な魔術を放つための技術としては成立し得ないのだ。


――でも、医療用の感知魔術となると話が全く変わってくるんだよね。


 魔力そのものを遮(さえぎ)る物質は存在しない。それでも、通常は他人の体内へ魔術を作用させる事はできない。


 人の体にはその人自身の魔力が満ちている。その魔力が外から及ぼされる魔術を妨げるため、感知魔術を使っても身体の内部を詳しく読み取る事はできないのだ。


 ところが、魔力同調をするとその妨げがなくなる。


 同調した相手には、感知魔術を体内まで及ぼせる。大量に増えた細菌なら、専門家でなくても傷口に広がる微細な異物として感じ取れる。訓練を積んだ医術者なら、感染初期の細菌の分布に加え、血流や臓器、傷の状態まで詳しく確かめられる。


 最近は、脈拍や血圧くらいなら体の外から測れる機械もある。だが、魔力同調した状態で行う感知魔術と比べれば、得られる情報の細かさはまるで及ばない。


 魔力を同調させるのは互いの身を裸でさらすような行為なので、よほど親しい間柄でもなければ、日常で行うようなものではない。


 それでも生死に関わる治療の場では、その行為が命綱となる。


 ただし、魔力同調ができるのは患者に意識がある間だけだ。意識の有無が手術の成否を大きく左右するため、大掛かりな手術であっても魔力同調を妨げる全身麻酔が使われる事はほとんどない。


 そして、この魔力同調は人間同士に限った技術ではないのだ。


 深く心を通わせた相手なら、犬や馬などの動物とも同調できる事があるらしい。


 だからこそ、私は原稿を前に立ち止まっていた。


『風渡りの行商人』では、愛犬を治療する場面に魔力同調の記述が一切ない。異世界では当然の事だが、皇国の読者ならば、主人公と愛犬は同調できているのかが気になるはずだ。


 作者さんへ確認したところ、エリが読み上げた作者からの伝言(メッセージ)は信頼に満ちた言葉だった。


『ミリアナさんが違和感のないように修正してください。内容がおかしいと思えばエリさんを通じてお伝えしますので、まずは思うように書いてくださって良いですよ』


――信頼してもらえるのは嬉しい。嬉しいんだけど、余計に緊張(プレッシャー)がぁ……。


 主人公と愛犬の絆(きずな)ならば魔力同調できないわけがない。でも魔力同調できるならば、傷口の奥で細菌が増え、周囲へ広がっていくのを感じ取るはずだ。そうすると、その後の主人公の行動がいろいろと変わらなければおかしくなる。


 でも、このような終幕佳境(クライマックス)の場面で、原作にはない行動を主人公にさせるなんて、自分には重すぎる判断だ。


 私は原稿に一文を書きかけては消し、また鉛筆を止めた。悩みすぎて、同じ段落を何度読み返したのかもわからない。



 窓の外では、軒から落ちる雨粒が一定の間隔で音を立てている。原稿用紙の上を行き来していた視線もいつしか止まり、私はただ、その音を聞いていた。


 その時、扉を叩く(ノック)音がした。


 私は反射的に耳当て式受話器(ヘッドホン)を外し、原稿用紙と一緒に机の引き出しへしまってから扉を開ける。


 廊下には、防水布の巾着袋を提げたカレフィーネが立っていた。いつもの柔らかな微笑みを浮かべ、もう片方の手には傘を持っている。


「ミリアナ、一緒にお風呂へ行こう」

「うーん、雨だし、今日はやめておこうかな」

「だめだめ。年頃の女の子が、身だしなみをおろそかにしてはだめだよ。さあ、待っていてあげるから用意して」


 笑顔のままなのに有無を言わせない。


 こうなったカレフィーネに反論しても勝てっこない事を、私はよく知っている。


「わかった。準備するから、ちょっと待っていて」


 いったん扉を閉め、首飾り(ペンダント)の台座に嵌(はま)っている偽装用(ダミー)の感魔石を賢者の石と入れ替える。着替えを防水布の巾着袋に詰め、傘を手に取った。


 石鹸や桶(おけ)は、安物で良ければ浴場に備え付けのものを使える。


 貴族寮から共同浴場までは屋根付きの通路があるが、庶民寮から向かうには外を歩かなければならない。どうせ足元は濡れるので、靴下は脱いで巾着袋へ押し込んだ。



 外へ出ると、雨粒が傘を細かく叩いた。


 道には浅い水溜まりがいくつもできている。靴の中へ水が入らないよう端を避けて歩いていると、隣のカレフィーネが傘越しにこちらを覗(のぞ)き込んだ。


「ミリアナは、何か作業しているようだけど、講義で報告書(レポート)の課題でも出たの?」

「えっ?」


 思わず足が止まりかけた。


 一人部屋に移ってから、原稿は人目につかないよう保管している。カレフィーネの前で作業した事もない。それなのに、何かをしていると見抜かれてしまったらしい。


「ミリアナは最近、食事の後もすぐ部屋へ戻るから、難しい課題に追われているのかと思ったよ」

「講義の課題じゃないんだけど……。少し、文章を書いているんだ」

「ふーん。それなら良いけど、あまり根を詰めすぎないようにね」


 カレフィーネは、怪しむように目を細めながらも、それ以上は追及しなかった。

 彼女はいつも、私が話したくない事を察して、それ以上は決して聞こうとしない。


――カレフィーネに、全てを相談できたらどれだけ楽だろう。


 魔力同調の扱いが読者にどう受け取られるか。原作を尊重しながら、皇国の文化へ合わせるにはどう直せば良いか。


 カレフィーネならきっと私とは違う角度から考えてくれる。外交官を目指している彼女は、人の考えを読み取るのが上手だ。


 けれど、相談するには物語の出所を説明しなければならない。


 作者がどこの誰なのか。なぜ私だけが作者とやり取りできるのか。どうやって連絡を取っているのか。

 1つ答えれば、次の疑問が生まれる。その先には、どうしても賢者の石がある。


 雨の道で、湯気の立ち込める浴場で、何度か言葉が喉(のど)まで上がってきた。

 それでも結局、私は何も言えなかった。



 湯上がりの脱衣所では、髪を乾かす温風乾燥機(ヘアドライヤー)の前に長い列ができていた。


 待つ気になれなかった私は、カレフィーネと別れて先に寮へ戻った。濡れた髪へ吸水布を巻きつけ、机の前に座る。


 湯で温まったはずなのに、気持ちはちっともほぐれていない。

 机の上には、悩んだままの原稿が残っている。


 魔力同調の扱いだけではない。物語を連載してもらうために新聞社へどう売り込むかも、まだ何一つ決まっていなかった。


――やっぱり、全部一人でやるのは無理だ。


 私は胸元の賢者の石へ触れて話しかけた。


「エリー、誰にも内緒で進めるのはもう限界だよ〜。この物語を翻訳して、この国に広める方法を、誰かに相談したいけど、どうすれば良いと思う?」

『……賢者の石の秘密と、作者の素性に関する秘密は同一ではない。作者の素性を聞かないと信用できる人物であれば、作者の「存在」開示は検討の余地あり』

「つまり、作者はいるけど、素性は聞かないでほしいってお願いできる相手かぁ」


 そんな都合の良い条件を受け入れてくれる人がいるだろうか。


 作者の名前は伝えられる。だが、どこで暮らし、どうやって作品を発表しているのかは話せない。連絡方法も明かせない。それでも作者が実在し、私が翻訳作業をしているのだと信じてもらわなければならない。


 真っ先に頭に浮かぶのは、いつも私を気遣ってくれるカレフィーネの顔だ。


 彼女は、私が話したがらない事について無理に踏み込まない。秘密を面白がって言いふらすような人でもない。


 それでももちろん怖い。


 作者の存在を知れば、今までよりも私の挙動が気になる事だろう。賢者の石の存在に気付かれてしまう可能性は高くなる。


 私は濡れた髪を包む吸水布を握りしめた。


 全てを打ち明ける必要はない。

 異世界の事も、賢者の石の事も話さない。ただ、素性を明かせない作者がいて、本人から許可を得て物語を翻訳している事だけを伝える。


 それでも信じて力を貸してくれるかは、カレフィーネが決める事だ。


――いや、大丈夫。カレフィーネなら、きっと力を貸してくれるはず。彼女を信じられないなら、いったい誰を信じれば良いというの?



 隣の部屋の扉が閉まる音が聞こえた。カレフィーネが共同浴場から戻ってきたのだろう。


 私は一度深く息を吸い、胸元の賢者の石から手を離した。


――よし。カレフィーネに話そう。


 私が秘密の一部を打ち明ける事を決めて扉を開けると、ちょうど防水袋を手に部屋から出てきたカレフィーネと目が合った。


「はい、忘れ物。考え事をしていても、乙女が大事な下着を置いてきちゃだめだよ」


悪魔(エリ): 悪魔は気温や気圧、風、湿度の測定も可能。雲画像と合わせて天気図を作成。

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