幕間 財務局調査室
財務局調査室の窓から差し込む昼下がりの光は、積み上げられた書類の一部だけを白く照らしていた。
フェルディオは自分の机に向かい、広げた資料の一枚に目を落としている。机上には帳簿の写しや収支報告などが、互いに端を重ねるように並んでいた。
調査室は、政府各部署の金の流れを調べ、不正の有無を精査する部署だ。賄賂や談合の疑いがあれば、官民を問わず、あらゆる組織の帳簿や会計記録に対して強制調査権を行使できる。そのため、皇国内の財務担当者から恐れられている。
その部屋の奥から、同僚の女性が茶器を二つ手にして歩いてきた。紙束の山を器用に避け、フェルディオの机の横で足を止める。
「はい、珈琲どうぞ」
「ありがとうございます」
フェルディオが礼を言って茶器を受け取ると、彼女は机の上に視線を落とした。
「それで『鎮』の家からの裏金の流れは何か掴めた?――って、全然関係ない資料ばかりじゃない。今度は何を見つけたの?神殿の財務資料なんて引っ張り出して珍しいわね」
その声には呆れが混じっていたが、目はすでに資料の分類を追っている。彼女も調査室の人間だ。机上の資料に目を通せば、本来の調査とは無関係なものを追っている事などすぐに察しがつく。
「いや、気になる女性がいてね」
フェルディオが何気なく言うと、女性の空気が変わった。茶器を口元へ運びかけていた手が止まり、目だけがすっと細くなる。
「女性って……横領でも見つけたの、それとも……」
「そうじゃなくて、妹の友人なんだけど……」
言い終わるより早く、女性はフェルディオの手元から書類をひったくった。
「ちょっと!いったい誰が気になっているのか洗いざらい話しなさい!妹さんの友人という事は学園の生徒よね」
「ひどいな。別に僕が個人的に誰に興味を持とうが問題ないだろう?」
「い・い・え!これまで知られていなかった妹さんが突然現れたせいで、私がどれだけ大変だったのか、知らないからそんな呑気な台詞を吐けるのよ。あなたが二人きりで食事をしていたあの女性は何者だって、会う人みんなに聞かれて仕事にならなかったんだからね。もう本気で妹さんについて調査報告書にまとめて、各部署に回覧しようかと思ったくらいなんだから。私にはあなたが興味を持った女性について、全てを知る権利があるわ!」
「ははは、大袈裟だな」
「大袈裟じゃない!!」
調査室の何人かが書類の陰からちらりとこちらを見たが、すぐに視線は帳面へ戻っていく。この部署では口論など珍しい事ではない。
フェルディオは椅子に背を預け、困ったように頭をかいた。
「実は手紙で妹との仲を取り持ってくれた恩人なんだけどね、なぜか初対面の時からあからさまに僕との接触を避けようとするんだよ。別に全ての女性に好かれるとか自惚れているわけではないけど、いきなりああも拒絶されるというのはちょっと衝撃でね」
「あら、確かにそれは珍しいわね。フェルディオの場合、外見や匂いで嫌われたという線はなさそうだし……。極端な恥ずかしがり屋さんだとか?」
「妹は人見知りだというけれど、他の人への接し方を見るとそうでもなさそうなんだよね。同席したディアネリス教授と同じような避けられ方なんだよ」
女性は目を丸くし、まじまじとフェルディオを見つめた。
「あの妖怪ばあさんと一緒の扱いを受けるとは相当ね」
「ははは……いまの台詞は聞かなかった事にさせてもらうよ」
フェルディオは苦笑しながら、机の上の資料を指先で示した。
「気づかないうちに何か彼女の禁忌に触れてしまったのかと思って、少し調べさせてもらったんだけどね。ちょっと興味深い経歴だったんだ。田舎の山の上の神殿で育ち、初等教育を行う学校に通っていなかったのに、皇都に出てきてすぐ学園の入試に合格している」
「へえ、それはなかなかの快挙といえるわね。優秀な家庭教師でもついていたのかしら」
「彼女は母子家庭で幼い時に母親も亡くしていて、育ての親は神殿の神官だったらしい。で、その神官がちょっと興味深い人物でね――」
フェルディオは資料の中から数枚を抜き出し、神官の名とその経歴を説明した。
「大陸出身で元中央神殿副宮長か、大陸派の重鎮ね。でも、なんでそんな大物が田舎の神殿にいたの?」
「耳を痛めて中央神殿の職を退き、地方へ移ったらしい。中央神殿では皇国の祭事に大陸派を食い込ませるため、かなり積極的に根回し活動をしていたようなので、そこで聴覚に使っていた身体魔術の影響が出たんじゃないかな」
フェルディオは一度茶器に口をつける。
「引退した後は大陸に戻る話もあったようだけど、中央神殿の後任達が相談できる近場にいてほしいと頼み込んだらしいよ。それに田舎の神殿と言っても、東の山嶺神殿といえば宗教的には重要で、参拝客も多い施設だという話だ」
そこでフェルディオは、机の上に広げた神殿の財務資料の一箇所を指し示す。
「気になったのは、この年のその神殿への祭祀補助金の流れさ。妹の友人、ミリアナさんが母親と一緒に神殿に引き取られた年の補助金になるんだけど、例年とは異なる予算科目があってね……」
「……ああ、なるほど。例の特別裁量費ね」
女性は机の上に自分の茶器を置き、その書類を手にしてざっと眺めると、肩をすくめた。
「まあ、息抜き程度の調査ならいいんじゃない。でも――」
彼女は書類を机に戻し、フェルディオへ指を突きつけた。
「その子との絡みで、なにか誤解を受けそうな行動をするなら、必ず事前に私に報告しておきなさいよ。必ずよ!」
念を押す声は、有無を言わさぬものだった。
フェルディオが返事をする前に、女性は自分の茶器を持ち上げ、踵を返して去っていく。
手に残された珈琲の香りを嗅ぎながら、フェルディオはもう一度机の上の資料へ目を落とした。
「先代女皇陛下の機密費、か……。慎重に進めるとしよう。ミリアナさんに下手な事をして、カレフィーネに嫌われたくはないからね」
悪魔: 閑話のため、今話は少し短め。




