第23話 物語をつなぐ者
異世界の物語を皇国で公開していくにあたって、私がまず心に決めた約束事がある。それは「作者の作品である事を大事にする」という事だ。
法律だけを見れば、私が物語を文字に起こし皇国の新聞に載せても問題にはならない。
でも、そういう話ではない。
私が救われてきたのは、誰かが心を込めて作った物語だ。見知らぬ世界で、見知らぬ人が、時間と情熱を注いで編んだ物語だ。
それを「誰にも怒られないから」と勝手に奪うような形にはしたくなかった。
だから、私は3つの決まりを自分に課す事にした。
作者の名前で公開する事。
できる限り、元の作品から内容を変えない事。
公開にあたり作者の許可をもらう事。
この世界の物語として届けるには、文化や風習、魔術の扱いなどについて、どうしても調整が必要になる。
だから、公開の可否だけでなく、そうした最小限の内容変更についても作者に許可をもらう。
それがエリに依頼した「確認」の内容だ。
ただ、許可を待っている間にも、こちらで考えておく事は山ほどある。
まずは筆跡だ。
異世界の物語を文字に起こす時、私自身の筆跡で原稿を作るのは避けたほうがいい。
私が書いた原稿だと知られるのは困る。賢者の石の存在を隠すためにも、私はあくまで原稿をどこかから預かってきた人物に見えたほうが都合が良い。また、いつか私が自分で物語を創った時に「これが初めて」と言えなくなるのも嫌だった。
でもこの問題は、思っていたよりもあっさり解決した。
手掛かりになったのは、例の不正で筆跡偽装をしていた事務員の技だ。
他人の筆跡を正確に真似るような高度な事は、もちろん私にはできない。けれど、身体魔術で腕や指先の筋肉の動かし方を少し変えると、線の癖が勝手に変わる事に気づいた。
最初は字がよれよれになったり、手が攣ったりと散々な目にあった。けれど何度か練習しているうちに、普段の私の字とは違う筆跡として落ち着いてきた。
少なくとも、私が書いたものだと一目でわかる事はないはずだ。
次に悩ましかったのが、作者名である。
皇国では、貴族以外は家名を持たない。人名は全て『名前文字』で書く。貴族の家名は『帝国公用文字』1文字で示されるが、それは家名であり、庶民の名前とは扱いが全く違う。
ところが、異世界の作者名はこの法則に当てはまらない事がほとんどだ。
『名前文字』とは、正式には『帝国共通表音文字』と呼ばれる。表音文字とは、一つ一つの字で音を表し、それを並べて言葉の発音を書き示すものだ。帝国が全人類文化圏を統一した際、民族や言語の違いを越えて共通に用いる文字として制定され、行政や交易など、帝国全土で広く使われた。
皇国地域では、帝国統治下においても現在『皇国文字』と呼ばれる独自の表音文字が日常的に使われていたらしい。けれど、人名には帝国共通表音文字の使用が強制されたため、現在でも『名前文字』として人名に使う習慣が残っている。
一方『帝国公用文字』は、帝国の公文書や学術書で正式に用いられた帝国語の表意文字だ。表音文字と違い、一つ一つの字が音ではなく意味を表している。国ごとに読み方が違っても、同じ字から意味を読み取れるため、現在でも世界各国で共通に使用されていて、皇国では単に『帝国文字』と呼ばれる事が多い。
つまり、皇国の読者に違和感なく受け取ってもらいながら、作者名もなるべく尊重するなら、異世界の表意文字にあたる部分は帝国文字で、それ以外の表音文字は名前文字で表すのが一番近い。
私はそう決めて、作者の名前に対する違和感を、これは筆名だからと押し通す事にした。
今回選んだ物語『風渡りの行商人』の作者は『ホシノトドキ』さんで、向こうの世界の文字では、前半の『ホシノ』が〈漢字〉と呼ばれる表意文字で、後半の『トドキ』は表音文字らしい。そのまま皇国の人名表記に当てはめると『星乃トドキ』となる。
少し貴族名っぽく見えるのが気にはなる。だが、私が知る限り『星』家という貴族はいないし、『星乃』を家名と見ても、2文字の家名を持つ貴族は存在しないはずだ。それに、『トドキ』は3音節しかなく、通常の名前としては短すぎる。
――なんとかなるはず。……なんとかなってほしい。
そこまで考えをまとめたところで、私は耳当て式受話器の左側に指を入れ、賢者の石へそっと触れた。
「エリ、戻った?」
『今、ちょうど帰還したところ』
すぐに返事があった。
緊張で胸の鼓動が忙しくなるのを感じながら、確認の結果をエリに聞く。
「それで、お願いしていた確認の件だけど、皇国での公開について許可は取れたかな?」
『作者に面会して快諾を得た』
「えっ、手紙や電話じゃなくて直接会ってきたの!?」
思わず声が裏返った。
『この相談のため、作者の貴重な時間を頂戴した』
――このところエリの動きが不審だったのは、このためか〜。
なんと羨ましい。私は知っている、エリもこの作品の熱烈な愛好者だという事を。きっと私の依頼にかこつけて、面会の機会をもぎ取ったに違いない。
「いいな、いいな、私も会いたかったな……。それで、公開の可否と最小限の内容変更の両方、問題ないのかな?」
『その件について、作者からミリアナへの伝言を受領』
「うそっ!」
頭の中が真っ白になった。
作者が。
あの物語を書いた人が。
異世界にいる私へ、伝言を。
私は机の上に置いた原稿用紙を見下ろした。表紙に作者名を書き終えたばかりの指先が少し震えていた。
「……その伝言、聞かせてもらえるかな?」
私がそう言うと、賢者の石からエリとは異なる声が聞こえてきた。
やわらかいけれど、芯の通った印象の若い女性の声だった。おそらく作者本人の声をもとに、自動翻訳してくれているのだろう。
『はじめまして、ミリアナさん。
「風渡りの行商人」の作者です。
このたびは、私の作品をあなたの国で紹介したいと伺い、たいへん驚くと同時に、とても光栄に思いました。
自分の作った物語が、全く別の世界で読まれる形になるなど、これまで想像した事もありませんでした。不思議で、少し緊張もしていますが、それ以上に素敵なご縁だと感じています。
法的な義務がないにもかかわらず、わざわざ許可を求めてくださった事に、心から感謝いたします。
あなたの国での翻訳および公開について、私は喜んで許可いたします。
また、あなたの国で作品を守るために必要となる登録や契約、そこで認められる権利と得られる利益の管理についても、全てミリアナさんにお任せします。あなたが一番良いと思う形を選んでください。
文化や風習の違いに合わせた細かな調整についても、どうぞ必要に応じて行ってください。
ただし、物語の筋や世界観に大きく関わる変更が必要になった場合には、原作に込めた思いをできる限り残したまま、そちらの世界の読者に届く形を一緒に考えられれば嬉しく思います。
そのような相談がありましたら、エリさんを通じてお知らせください。
私にできる範囲で、できる限り協力いたします』
全身の震えが止まらなかった。
本当に、作者が私に語りかけている。
それだけでも信じられないのに、協力してくれると言っている。
私は声を出せなかった。
ただ、賢者の石に触れたまま、耳の奥へ流れ込んでくる言葉を受け止める事しかできなかった。
伝言はそこで終わらなかった。
『それから、エリさんから、あなたの国における「物語」の歴史についても伺いました。
娯楽としての物語は、厳しい時代にはとても弱いものです。
生きる事すら難しい時代には、真っ先に削られ、忘れられ、失われてしまう事があります。
けれど私は、だからこそ、物語をつなぐ人が必要なのだと思っています。
ただ生き延びるだけでなく、楽しいと思える事。
幸せだと感じられる時間を持つ事。
明日を少し楽しみにできる事。
そうしたものを世の中に増やしていくために、物語はきっと力になれるはずです。
ミリアナさん。
あなたがしようとしている事は、とても難しく、手間のかかる事だと思います。
それでも、物語を大切に思う者として、私はあなたの決意を心から尊敬します。
世界は違っても、物語を愛し、物語を届けようとする気持ちは同じです。
どうかこれからも、物語をつなぐ仲間として、そして物語を広める戦友として、共に歩ませてください』
ポタリ、と音がした。
一つ。
また一つ。
原稿用紙の上に、丸い染みが広がっていく。
それが自分の涙だと気づくまでに、少し時間がかかった。
胸がいっぱいで、息を吸うたびに喉が震える。嬉しいのか、ありがたいのか、誇らしいのか、わからない。
私がただ好きで聴いてきた物語。
一人きりの夜に、何度も私を遠い世界へ連れていってくれた声。
その先に本当に作った人がいて、その人が私を仲間だと言ってくれた。
――物語をつなぐ仲間。
その言葉が、胸に突き刺さる。
私はずっと異世界の物語を受け取る側だった。
聴いて、笑って、泣いて、続きを待つだけの読者だった。
でも、これからは違う。
私がつなぐ。
私が届ける。
この世界にまだない楽しみを、待っている人のところまで運んでいく。
――絶対に、この作品を皇国に広めてみせる。
涙で視界はぐしゃぐしゃだった。
鼻も詰まって、きっと顔もひどい事になっている。
それでも、その決意だけは、強く、強く、私の心に刻み込まれていた。
ちなみに、涙でべたべたに濡れた原稿は全て書き直しになった。
でも、その程度で私は挫けない。
悪魔: これで第1章完結。閑話を挟み第2章に継続。




