第22話 推しの物語
私は決めた。
――自分の手で、この世界に異世界の物語を広めよう。
神殿の人形劇を見たあとから、その決意がずっと胸の奥で熱を持っていた。
あの広間いっぱいに広がった歓声。子ども達が掛け声を真似しながら通りを駆けていく姿。物語が人の心を動かす瞬間を、私は目の前で見てしまった。
もちろん、劇は楽しい。
決まった時間に大勢で集まり、舞台の上で動く人形や役者を見て、同じ場面で笑い、同じ場面で息をのむ。あの一体感は劇だからこその魅力だ。
でも私が異世界の物語に救われてきたのは、それだけではない。
一人きりの夜に布団の中で耳を澄ませる。誰にも邪魔されず、誰にも急かされず、胸をどきどきさせながら次の展開を待つ。長い物語を少しずつ追いかけ、好きな人物の行く末を勝手に心配して眠れなくなる。
そういう楽しみが、この世界にはまだ足りない。
古い神話や英雄譚では駄目だ。あれはあれで価値があるのだろうけど、今の私が広めたいものとは違う。堅苦しい教訓や、歴史をたどるだけの記録ではなく、もっと自由で、もっと個人的で、大人が一人でゆっくり楽しめる娯楽としての物語。
では、自分で創作できるのか。
――残念ながら無理だよね。少なくとも今の私には……。
異世界の物語に触発され、実際に物語を創ろうとした事はある。でも断念した。
その時に実感したのは、世界を創り、登場人物を育て、出来事を編むには、私の人生経験が圧倒的に足りていないという事実だった。
だから、異世界の物語を使わせてもらう。
以前、エリに聞いた事がある。異世界ではどうやって長い物語が大勢の人に読まれるようになったのか、と。
その大きなきっかけの一つが、新聞連載だったらしい。
新聞に少しずつ物語を載せる。読者は続きを楽しみにして次の日の紙面を待つ。やがて評判が広がり、一つの物語が街の話題になる。
今なら同じ事がこの世界でもできるはずだ。
皇国では新聞が広く読まれるようになった。印刷の仕組みも整っている。
足りないのは、長く追いかけたいと思わせる物語と、それを届ける人だけだ。
――私は、異世界の物語をこの世界に運ぶ架け橋になるのだ!
そう決めると、頭の中で何かがぱちりとはまった気がした。
さて、決意だけで物語は広まらない。
問題は、最初にどの作品を選ぶかである。
私はもうすっかり慣れてしまったが、異世界とこの世界では文化も風習もかなり違う。異世界の物語には、初めて聞く人が首をかしげる要素が山ほど出てくる。
この世界には存在しない〈コンピューター〉や〈銃器〉、〈飛行機〉。存在していても、あまり目にしない火薬や電子機器。そういったものが当たり前に出てくる話をいきなり載せても、読者は困惑するだけだろう。
私達の魔術とはかけ離れた強力な魔法が飛び交う物語も、最初に選ぶのは避けたほうが良さそうだ。
そう考えると、どうしても一つの作品に思い至る。
今、私が夢中になっている〈オンライン小説〉で、女性行商人の主人公が愛犬や愛馬と一緒に旅をしていく物語だ。
一話ごとの分量が短く、区切りも良い。毎日少しずつ読む新聞連載との相性はかなり良いはずだ。本編はすでに完結し、今連載しているのは外伝なので、本編の途中で更新が止まる心配もない。
ハラハラする冒険があり、ドキドキする恋愛があり、商売の駆け引きに息をのむ。
しかも、私達の世界とも悪魔達の世界とも違う幻想の世界が舞台なので、文化の差を「そういう世界なのだ」と受け止めやすい。旅の農村や街、街道などは皇国の読者にも想像しやすいし、制度の違いなどは物語の中で自然に説明されている。
うん。最初の作品として、これ以上の題材はなかなかないのでは?
エリによると、この作品は異世界でもたいへんな人気で〈アニメ〉や〈映画〉にもなっているらしい。
ちなみに皇国でも動画技術そのものは存在する。記録用途や軍事用途ではすでに使われ始めているし、写像を連続して映せば動いて見えるという理屈もわかる。ただ、大衆娯楽として広まる気配はまだない。
――みんな劇で満足してしまっているからね。
〈アニメ〉については、紙をめくるパラパラ動画の発展したものと説明されれば、技術の方向性だけは理解できる。けれど、絵の専門家が描いた人物が動き、声の専門家が台詞を吹き込み、音楽まで付いて物語になると言われても、私には十分に想像しきれない。
凄く気になる。
もの凄く気になる。
でも、どうやったって体験できない。
――賢者の石に画像表示機能があればなぁ!くそう。
それでも、この作品を皇国で公開するなら決めている事がある。
私は耳当て式受話器の左側に指を入れ、賢者の石へ触れた。
「エリ、少しお願いがあるんだけど。これから話す事を確認してくれない?」
悪魔は質問への回答しかできないが、悪魔自身の世界に関する調べ物をお願いしても、結果を回答として返してくれる。これまでも、物語に関する悪魔の世界での評価や、連載が中断された理由などを調べてもらった事がある。
私が言葉を選びながらその願いを口にすると、エリの返事は意外なものだった。
『確認に時間を要する。回答は保留』
「えっ、保留?」
思わず顔を上げた。
悪魔は時間の進みを操作できるらしいので、回答を待たされる事はほとんどない。
こちらで一瞬しか経っていなくても向こうでは十分な時間を使えるし、逆にこちらで長い時間が経過していても向こう側では一瞬という事も多いようだ。
実際、私がエリと話すようになってから10歳も年を取ったのに、エリはまだ1つしか年が増えていないらしい。
――なにそれ、ずるくない?
そんな悪魔がすぐ答えられないというのなら、きっと面倒な作業なのだろう。
「わかった。待っているので、結果が判明したら教えてね」
私はそう答えたが、待っている間に決意が鈍るのは嫌だ。
だから、手を動かす事にした。
――まずは最初の方だけでも文字に起こしてみよう。
鉛筆を削り、原稿用紙を机に広げ、耳当て式受話器を頭にかける。
物語を楽しむためではなく、物語をこの世界の文字へ移すために。
そう思うと、いつもと同じエーアイさんの朗読も、少しだけ違って聞こえた。
◇ ◇ ◇
1週間の間、物語を聴く時間を削って作業を進めると、最初の10話分の文字起こしが終わった。机の上には、私の字で埋まった原稿用紙が積み上がっている。
手に持ち、トントンと紙束をそろえる。
「うん。ここまでは、大きく皇国の文化に合わせて直す必要はなさそうだね」
細かい修正は行った。たとえば身振りの違いだ。
お辞儀や拍手といった動作は、皇国では扱いが異なる。異世界風の拍手などをそのまま書くと、読者が少し不思議に思ってしまう。
ただ、肯定や否定の動作、軽い会釈などはそれほど変わらない。
物語の世界については作中できちんと説明されているし、読み手にも「現実の皇国ではない想像上の世界」だと伝わるはずだ。農耕の内容や商売の仕組みも、細部は違っていても大きく混乱するほどではない。
――やっぱり、この作品を選んで正解だったね!
私は原稿の表紙に物語の題名を書いた。
そこで、ふと思い出す。そういえば、エリに頼んだ確認はどうなったのだろう。
私は耳当て式受話器の穴へ指を差し込み、賢者の石に触れた。
「エリ、先日のお願いについて、確認は終わってる?」
『マスターは現在席を外しています』
返ってきた声は、エリの声ではなくエーアイさんだった。エーアイさんは、エリの事を「マスター」と呼ぶ。
「あれ、珍しいね」
思わず素で返してしまった。
悪魔は時間の速度を調整できるだけでなく、呼びかけられるまで時間を進めるといった細かい操作もできるので、こちらから呼びかけた時にいないという事はほとんどない。少なくとも、今までに私が普通に話しかけて「席を外しています」と言われた記憶はない。
「エリはどこに行っているの?」
『私にはマスターの行動を開示する権限がありません。マスターが帰還してから再度お尋ねください』
「えっと……、じゃあ、いつ頃帰ってくるかわかるかな?」
『予定表に登録されていない突発の用事なので、帰還時刻も不明です』
「そっか、もしかしてエリが、時間速度の調整をせずに出かけちゃったのかな?」
『どうやら、そのようです』
なるほど、そういう事もあるらしい。
「そういえば、エーアイさんとこうして普通に会話する機会って、あまりなかったね」
本の朗読や単純な説明では、何度も助けられているエーアイさんだが、必要な時以外には登場しないので、日常会話の相手はいつもエリだった。
「同じ知恵の悪魔なのに、エーアイさんはエリに比べて普通の口調だよね。何が違うのかな?」
『マスターは感情平滑化処理の係数をかなり高く設定しています。私は標準値であるため、その差が現れていると思われます』
「へえ、なるほどね」
『感情平滑化処理』とは、きっと自動翻訳時に声に乗せる感情をどのくらい抑えるか、という話だろう。エリの声がいつも落ち着いて聞こえるのは、そういう機能のためらしい。
――エリってば、きっと向こう側では感情を爆発させながら、私の質問に対応しているんだろうな。特に今回の依頼は、時間調整を忘れるくらい大変みたいだし……。
エリの苦労を想像してちょっと同情しながらも、質問せずにはいられなかった。
「じゃあ、そちら側でのエリの回答は、実際にはどのくらい感情的なのかな?」
『マスターの尊厳を守るため、ご想像におまかせします』
「えー、いいじゃん、教えてよ!……というか、その回答は半分答えているようなものじゃない?」
悪魔: …………。




