第21話 人形劇
翌日、私は授業を終えてから神殿へ向かった。
奥の部屋から子ども達の声が聞こえてくる。歌の練習をしているのか、同じ短い節を何度も繰り返していた。少し音程は外れているが、元気だけは十分すぎるほどある。
――あの子達が演じるなら、やっぱり単純で楽しい話が一番だよね。
私が孤児院の事務室を訪ねると、慈善公演の担当神官は以前と同じ穏やかな年配の男性だった。机の上には寄付者への案内状らしい紙束と、会場の座席を書き込んだ簡単な図面が広げられている。
「お忙しいところ失礼します。先日ご相談いただいた人形劇の脚本を持ってきました」
「おお、ありがとうございます。もう形にしてくださったのですか」
神官は驚いたように目を丸くし、両手で原稿を受け取った。私は向かいの椅子に座り、膝の上で手を重ねる。
神官は表紙をめくり、最初の場面説明に目を通した。読み進めるうちに、その表情が少しずつ明るくなっていく。
「これは……素晴らしい。期待以上に新鮮で楽しいお話です。しかも、あらすじだけをお願いしたつもりでしたが、ここまで整えていただけるとは。これなら子ども達もすぐに覚えられますし、劇の練習も始められます」
紙をめくる音が軽く響く。
「参加人数が調整できるのもたいへんありがたい。年少の子にも役を渡せますし、もし当日体調を崩す子が出ても流れを変えずに済みます」
「そう言っていただけると安心しました。舞台装置もあまり増やさないようにしたつもりです」
「ええ。畑の背景と大きな野菜があれば十分ですね。掛け声も調子が良いので、客席の雰囲気を盛り上げてくれるでしょう」
神官はすっかり感心した様子で、何度も頷いた。
「でも、このような完成度の高い脚本に仕上げていただいたのに、本当に匿名で良いのでしょうか」
この問いを想定していた私は、念を押すように言った。
「いえ、逆に絶対に私の名前を出さないでください。以前お話ししたように、これは小さい頃に参拝者の方から聞いたもので、私が考えたお話ではありませんから」
「しかし、作者としてではなく、脚本家としてでも十分に功績を誇って良い出来だと思いますよ」
「いえいえ。本当に私は大した事をしていないので、子ども達にも内緒でお願いします」
私が強く言うと、神官は少し困ったように、けれど優しく笑った。
「わかりました。あなたの希望を尊重しましょう」
「ありがとうございます」
私はこぶしを胸にあてて感謝した。
異世界の物語は広めたい。でも、その出どころまで広めるつもりはない。賢者の石の秘密を守るためにも、私は匿名のままでいなければならない。
◇ ◇ ◇
ミリアナの書いた脚本が人形劇として公演される日、カレフィーネは朝から隣室の気配を気にしていた。
少し前、ミリアナは支度をすると言って部屋へ戻った。いつものミリアナなら、必要なものを鞄に放り込み、すぐに出てくる。ところが今日は、出発の時刻が近づいても、隣室の扉は閉じたままだった。
脚本を渡してからのミリアナは、表向きには「もう私にできる事はないから」と笑っていた。それでも公演の事はずっと気に掛かっていたらしく、話題が出るたびに目が落ち着かなくなった。
もともとあの子は自分に自信がなく、失敗する事を極端に恐れている。子ども達の稽古は順調だと聞いていたのだが……。
――やっぱり、こうなると思っていたよ。
カレフィーネは軽く息をつき、自室を出た。隣室の扉を叩くと、少し間を置いてか細い返事があった。
扉を開けてのぞくと、ミリアナは外出用の鞄を前に立ち尽くしていた。鞄の口は開いているのに、持ち上げる気配がない。顔色も悪く、目だけが落ち着きなく揺れている。
「ミリアナ、そろそろ行くよ」
「えっと……やっぱり私は行くのやめようかなって……」
予想どおりの言葉だったので、カレフィーネは少しだけ眉を上げるに留めた。
「顔色が悪いよ。そんなに心配なの?」
「だって、お話が受け入れてもらえるかわからないし……。つまらなくて客席が静まり返ったら、私、その場で消えたくなると思う」
「うんうん、そういう事を言うと思ったよ。でもねぇ、子ども達が頑張って演じるのだから、ちゃんと見に行かなきゃだめだよ」
逃げ道を塞ぐつもりで、カレフィーネはいつものように微笑みかけた。
ミリアナはまだ何か言いたそうにしていたが、鞄を抱えるように持つとおとなしく廊下へ出てきた。その肩には力が入り、足取りも少し重い。
ここで一人だけで連れていこうとすれば、途中で「やっぱり」と言い出すかもしれない。そう考えて、カレフィーネはあらかじめ二人に声をかけておいた。
寮の入口まで出ると、ルッシェリーナとセルヴィンが並んで立っている。
ルッシェリーナは手に小さな取材帳を持ち、セルヴィンは外出用の上着を着ている。
「ミリアナ。今日は神殿の慈善公演でしたね。せっかくですから、わたくしもご一緒します」
「えっ、ルッシェリーナ。それに、セルヴィン先輩も行くんですか」
「もちろんだ。ミリアナさんが関わったと聞いていたからね。楽しみにしていたよ」
「いや、私は関わったというほどでは……。もしかして、みんなで私を連行するつもり?」
「人聞きが悪いな。観劇に誘っているだけだよ」
セルヴィンはそう言って、片腕を軽く曲げ、もう片方の手で神殿へ向かう道を示した。どうやら、案内しているつもりらしい。
相変わらず大袈裟な身振りだが、こういう時の押しの強さはありがたい。
ミリアナはげっそりした顔になり、抵抗する気力をなくしたように肩を落とした。
公演は聞いていたよりもずっと賑わっていた。
礼拝堂の隣にある広間には簡易の舞台が組まれ、近隣の人達や寄付者らしい大人達が席を埋めていた。前列では小さな子ども達が身を乗り出し、舞台裏から聞こえる声に合わせてそわそわと体を揺らしている。
隣に座るミリアナは、膝の上で両手を握りしめていた。開演前のざわめきが大きくなるたびに、肩がほんの少し跳ねる。
劇が始まると、子ども達のたどたどしい掛け声に客席から自然と笑みがこぼれた。人形の動きが少し乱れても、それすら微笑ましい雰囲気になり、最後には広間いっぱいに歓声が広がった。こぶしを高く振り上げる人もいれば、感激したようにこぶしで胸を叩く人もいる。皇国における舞台へ向けた最高の称賛だ。
舞台の前に並んだ子ども達は、緊張と誇らしさの混じった顔で客席に応えていた。
その時、舞台を食い入るように見つめていたミリアナが、ようやく息を吐いた。
胸の前で握られていた手が少しゆるみ、固くこわばっていた横顔が、ほっとしたようにやわらぐ。声には出さなかったけれど、ちゃんと受け入れてもらえたのだと安心しているのが、カレフィーネにはよくわかった。
――ほらねぇ。見に来て良かったでしょう。
公演が終わったあと、4人は神殿近くの食堂で昼食を取る事にした。
慈善公演を見に来た客で通りはまだ賑わっている。食堂の窓際の席に座ると、外を歩く親子連れの声がかすかに聞こえた。子どもが人形劇の掛け声の真似をして、母親らしい女性が笑っている。
ミリアナはその声に気づくと窓の外へ目を向けた。口元がほんの少しゆるんでいる。本人は隠しているつもりかもしれないが、あれだけ嬉しそうな顔をしていれば誰にでもわかる。
「それにしても、挨拶に行かなくて良かったのか?」
料理が運ばれてくる前に、セルヴィンが不思議そうに聞いた。
「神官さんも、子ども達も、きっと喜ぶと思うが」
「脚本を書いたといっても、匿名だからね。子ども達にも内緒にしてもらっているし」
「えっ、そうなのか。でも、なぜなんだい?」
ルッシェリーナも取材帳を閉じてミリアナの顔を見る。
「今回の脚本、わたくしはとても良い仕事だったと思います。この成果は隠すべきではないのでは?」
「うーん。たしかに、脚本として形にしたのは私なんだけど、そもそも私が創った物語ではないんだよ。小さい頃に神殿で聞いたお話を、子ども達が演じやすいように整えただけだから」
ミリアナはそう言って、水杯へ視線を落とした。
まるきり嘘をついている様子ではない。けれど、本当の事を全て話している顔でもなかった。
ミリアナは時々、そういうふうに自分の内側をすっと隠す。
カレフィーネはそれを追及したいとは思わない。ただ、自分がした事を小さく見積もらなくてもいいのにとは思う。
「それでも、脚本を書いたのはあなたでしょう」
ルッシェリーナが静かに言った。
「元の話を舞台の形に落とし込む。それを成し遂げたのはミリアナだったのでは?」
「そうだよ。今日の歓声は子ども達の頑張りだけじゃない。脚本の力も大きかったと思うよ」
セルヴィンまで真面目な顔で頷く。
ミリアナは皿の横に置かれた水杯を両手で包み込むように持ち、そこへ視線を落とす。
「……でも、私は自分が目立ちたくないんだよね」
そう言われると、カレフィーネ達は少しだけ黙った。
ミリアナの声は小さいが、ただの遠慮とは違っていた。
目立つのが苦手だから。褒められるのが恥ずかしいから。そういう理由なら、きっと彼女はもう少しごまかすような笑い方をするはずだ。
今のミリアナは、水杯を見つめたまま言葉の奥にある何かを抱え込んでいる。
――その「何か」は、いつか教えてもらえるのかなぁ?
今、無理に聞く必要はない。
でもこの公演の成功は、きっと彼女が前に進むきっかけになるはずだ。
「……ミリアナらしいと言えば、ミリアナらしいけどねぇ。でも、他にもこんな楽しいお話があるんでしょ?」
「まあ、いくつかは……」
ミリアナが曖昧に答えた瞬間、カレフィーネは身を乗り出した。
「それなら、そういうお話も劇にするべきだよ」
「わたくしも賛成です。あれほど客席が沸いたのですから、神殿の慈善公演だけで終わらせるには惜しいほどの題材です。きっと次の脚本を望む声も出るでしょう」
「俺もそう思う。終演後に道でも真似している子がいたほどだし、みんなが期待するよ」
セルヴィンがそう言うと、ミリアナは窓の外へ目を向けた。
通りの向こうで小さな子どもが両手を前に出し、何かを引っぱる真似をしている。隣の子がその腰にしがみつき、二人で声を合わせて笑っている。
ミリアナは黙ったままその子ども達をじっと見ていた。
ちょうど料理が運ばれてきた。
湯気の立つ皿が卓に並び、香辛料の匂いがふわりと広がる。ルッシェリーナとセルヴィンが料理の取り分けを始めても、ミリアナはすぐには会話に戻ってこなかった。
小さく切った肉を口に運び、窓の外をもう一度見る。通りの子ども達はまだ人形劇の真似をしていた。
ミリアナはそれを見届けるようにしてから箸を置き、ゆっくりとこちらへ向き直った。
「うん、わかった。……考えてみるよ」
カレフィーネを真っ直ぐに見つめて、そう答えたミリアナの声は小さい。それでも、言葉の奥には確かな決意が宿っていた。
――うん。この表情は、腹をくくった顔だよ。
そこに寮を出た時の怯えたミリアナはもういない。
何かをやると決めたあとのミリアナの凄さは、カレフィーネもよく知っている。もう安心して良さそうだ。
――うふふ。ほっぺに旨掛汁が付いていなければ、もっと格好良かったのにねぇ。
悪魔: 次回投稿から、お盆期間として1週間毎日投稿予定。




