第20話 脚本執筆
購入してきた耳当て式受話器は、期待以上に私が想定する用途に合うものだった。
廃材所から持ち帰った時は、弓の部分が少し歪み、耳覆いの革もところどころ擦り切れていた。だが机の上に工具と裁縫道具を並べ、汚れを落として分解してみると、中身の壊れ具合とは別に、形そのものはかなり都合が良い事がわかった。
左右の耳覆いをつなぐ弓は管状になっている。もともとは左耳についていた発音器の音を、細い管を通して右耳側にも届ける構造らしい。
――なるほど。片側だけで音を鳴らして、両方の耳で聞けるようにしているんだ。
私が欲しかったのは、まさにそういう仕組みである。
左側の発音器が入っていた場所へ賢者の石を置いてみると、これが驚くほどぴったり収まった。さらに、外側についていた音量調整のつまみを抜くと小さな穴が現れ、そこへ指を入れると、ちょうど石の表面に触れる事ができる。
質問する時は石に触れなければならない。耳を覆ったまま指先だけを差し込めるなら、いちいち外す必要がない。
毛屑の詰め物を少しずつ足したり抜いたりしながら、左右の耳覆いを整える。内側には柔らかい布を当て、外側の隙間には薄い革を重ねた。針を通すたびに古い革がきしみ、指先には毛屑の細かな繊維がまとわりつく。
見た目はあまり美しくない。だが、機能さえ果たしてくれれば十分だ。
「エリ。何か音量を確認できるような声を聞かせて?」
『ジュゲムジュゲムゴコウノ――』
またエーアイさんの声で、よくわからない呪文が聞こえはじめた。
意味は気にしない。たぶん気にしても仕方がない。
私は賢者の石を左側の耳覆いへ収め、弓を頭にかけた。左右の革が耳を包み込む。少し重い。けれど、頭を動かしても落ちるほどではない。
『――カイジャリスイギョノスイギョウマツ――』
「なにこれ、凄く良いじゃない!」
思わず声が弾んだ。
まだ左右の音量の釣り合いは悪い。左耳の方がはっきり聞こえ、右耳の方は少しこもっている。それでも、石の声が両方の耳へ届いている事は間違いない。
賢者の石を耳に押し当てて片耳だけで聴く生活を覚悟していた私にとって、これは大変に嬉しい誤算だった。管を通った音は少し丸くなるが、物語を聴くには十分だ。詰め物を調整すれば、左右の差もかなり縮められるだろう。
私は何度も外しては詰め物を直し、また頭へかけて確認した。
「うん。声を聞く機能は完璧だね」
機能確認が済んだところで、最後に音漏れを調べる事にした。
自分の耳に当てていると、外へどのくらい音が漏れているのかわからない。そこで私は、腹話術用のうさぎ人形を椅子の背に座らせ、その頭に耳当て式受話器をかぶせた。
布でできた丸い頭に耳覆いを当てると、うさぎ人形が妙に真面目な顔で通信係をしているように見えて、少し笑ってしまう。
『ポンポコピー――』
私は机から一歩離れ、耳を澄ませた。
じっくり聞くと、耳覆いの内側からぼそぼそと何か音がしているのはわかる。だが、少し離れれば言葉としては聞き取れない。部屋の扉のそばまで下がると、もう布の擦れる音と大差なかった。
――これなら隣の部屋に漏れる事はないね。
私はうさぎ人形から耳当て式受話器を外し、賢者の石をそっと取り出した。
この耳覆いは、賢者の石を簡単に出し入れできるようにしてある。部屋で長く物語を聴く時は耳覆いへ入れ、外へ出る時はこれまで通り首飾りへ戻す。さすがに本物の賢者の石を部屋に置きっぱなしにする勇気はない。
――あとは、石が抜けた首飾りもごまかしておかないとね。
机の引き出しから、用意しておいた同じ大きさの感魔石を取り出す。
賢者の石を外した首飾りの台座に、その感魔石を嵌め込む。少しだけ石の模様が違うが、首にかけて服の下へしまっておけば見えない。少なくとも、ぱっと見ただけで違いに気づかれる事はないだろう。
私は首飾りを首にかけ、服の襟元から内側へ滑り込ませた。胸元に触れる石の冷たさは、いつもの賢者の石とほとんど変わらない。
「よーし。これで安心して物語を聴く事ができる生活が手に入ったぞ!」
思わず両手を握る。
一人部屋。そして音漏れしない耳覆い。これで私は、久しぶりに部屋でゆっくりと異世界の物語を聴ける。
私は机の上に散らかった糸くずや革の切れ端をごみ箱に捨て、裁縫道具や余った部品を引き出しの奥へ押し込んだ。それから給湯室へ行き、急須でお茶を入れて戻ってくる。湯気の立つ湯飲みを机の端に置き、椅子に深く腰掛け、完成した耳当て式受話器を頭にかける。
――完璧な環境だ!
私は誰の足音にも壁越しの気配にも怯えず、のんびりと物語を楽しむのだった。
いくつか異世界の連載ものの続きを聴き終え、お茶がすっかりぬるくなった頃、私はふと思い出した。
「そういえば、脚本を書くのが当初の目的だったっけ……」
危ないところだった。
私は自由に物語を聴くために耳当て式受話器を作ったわけだが、そのきっかけは孤児院の人形劇の脚本である。
自由に物語を聴ける環境が整った私は、かなり調子に乗っていた。
――よしっ。やってみよう。
まずは原作の文字起こしだ。
使う異世界の物語はもう決めてある。畑から大きな野菜を引き抜く、単純で繰り返しの楽しい話だ。登場人物を増やしやすく、小さな子どもでも流れを覚えられる。人形劇には向いていると思う。
私は原稿用紙を用意し、鉛筆を削り直した。左手の指を耳覆いの穴へ入れ、賢者の石に触れる。
「私の書く速度に合わせて、ゆっくりとお話を聞かせてくれる?」
『……むかしむかし、あるところに――』
エーアイさんの朗読は、私の鉛筆の動きに合わせてゆっくり進んだ。
鉛筆の芯が紙をこする音と、耳の内側だけで響く声が重なる。わからない単語が出てくれば、左の指を少し押し込み、そのまま質問すれば良い。忘れている表意文字の書き方も、すぐに教えてもらえる。
――しかし、やっぱり賢者の石って便利だよなぁ。
作業は思ったよりも順調に進み、1時間もしないうちに原作の文字起こしが完了した。
私は鉛筆を置き、手首を軽く回す。指先に少し疲れはあるが、達成感の方が大きい。
改めて読み直しても、この話であれば、魔術絡みや文化の違いによる修正は必要なさそうだった。
――でも、子ども達に向けて、もう少し調整した方が良いよね……。
私はふと気になり、エリに聞いた。
「こういったお話って、作者に無断で内容を変更しても良いものなんだろうか?」
『法律上は問題ない。皇国で著作物の権利を守るには、知産登録が必要。知産保護国際条約の締結国で受けた登録も認められるが、この作品には、皇国で有効な登録がない』
知産保護国際条約とは、各国の技術や著作物などの権利を相互に認め合うための条約だ。
当たり前だが、異世界との間でそんな条約は結ばれていない。
「うーん。でも法律上はともかく、作者の心情的に勝手に改変されるのは嫌なんじゃない?」
『この作品の作者および翻訳者は故人のため、心情の確認は不能』
「そっかー。既にお亡くなりになっているんじゃ仕方がないか……」
私は心の内に引っかかりを覚えながらも、子ども達が演じやすいように話を調整する事にした。
まず物語に登場する「鼠」は少し都合が悪い。
皇都では鼠への忌避感が強い。倉庫や下水の害獣として嫌われているし、食べ物を扱う慈善公演で鼠の人形が出てくるのは、観客によっては顔をしかめるかもしれない。
最後に出てくる動物は「雀」に変えさせてもらおう。
雀なら小さくてかわいいし、動きも人形で表現しやすい。小さな存在が最後に加わる事で、大きな野菜が抜けるという流れも残せる。
それから、途中で引っ張る人を増減できるようにする。
おじいさん、おばあさんだけではなく、お兄さん、お姉さん、弟、妹。役をいくつか差し替えられるようにしておけば、参加する子どもの人数に合わせやすい。年長の子は長めの台詞、小さな子は掛け声を言うだけでも参加できる。
――うん。これなら神官さんも使いやすいはず。
そうして文章にまとめようとしたところで、私は手を止めた。
原稿用紙の升目へ普通の文章として書く事はできる。だが、劇で使いやすい形にまとめるには、これでは少し読みにくい。
誰が言う台詞なのか。どこで人形を動かすのか。掛け声は全員なのか一人ずつなのか。そういう事を分けて書かないと、稽古の時に困るだろう。
「エリ、脚本ってどんなふうに書けば良いのだろう?」
『脚本の基本は、場面、動作、台詞を分けて書く』
「原稿用紙はどう使えば良いの?」
『脚本専用の書式用紙、あるいは白紙に線を引いて自作する事を推奨』
「そういえば、古書貸本屋で見た脚本はそんな形式だったね。うーん、物語を脚本にするのも結構大変だなあ。もっと簡単にできると思っていたよ」
私はため息をつきながら、仕方がないので原稿用紙を裏返して白紙として使う事にした。
紙の左側に登場人物名を書く欄を作り、右側に台詞と動作を書けるように線を引く。場面の説明は少し広めに取り、掛け声は繰り返し使えるようにわかりやすく書く。
劇を想像しながら台詞や動きにまとめ、悩む部分は悪魔の助けを借りながら作業していくと、しばらくして脚本らしいものができあがった。
「よしっ、できた!」
私は最後の紙をそろえて束にまとめ、表紙に劇の表題を書く。その文字を見て少しだけ胸がくすぐったくなった。
異世界の物語をこの世界の紙に文字として置く、ただそれだけの事だ。
けれど、私にとっては確かに最初の執筆作業だった。
――難しい事は全て知恵の悪魔に解決してもらっていたような気もするけどね……。
悪魔: 呪文の選択は、私ではなくエーアイの感性。




