第19話 廃材所
運河沿いの廃材置き場は、銀行のある商業街から見ると皇都の反対側にあった。
中央駅前までは直通の都電で1時間弱かかる。そこから運河沿いまでは少し歩く必要がある。
銀行で思ったより時間を使ったせいで、昼食をとってから向かうには少し中途半端な時刻になっている。
「先に昼食を買って行こう。運河の方まで出ると、落ち着いて食べる時間はなさそうだ」
セルヴィンはそう言って、通り沿いの軽食売り場へ向かった。
私は揚芋団子を一つ買えば十分だと思っていたのだが、セルヴィンは迷う様子もなく紙箱入りの鶏揚挟み焼麦包を二人分注文した。
薄い紙に包まれた箱からは、揚げ油と焼きたての焼麦包の香ばしい匂いが漂っている。厚めに切られた鶏肉の揚げ物を、柔らかい白い焼麦包で挟んだものだ。端から少しだけ覗く葉野菜には酸味のあるたれが絡み、衣には甘辛い調味液が染みていた。
――さすが良いとこのお坊ちゃん。昼食の選択がためらいなく贅沢だ。
私が財布を出そうとすると、セルヴィンは箱を受け取りながら軽く手を上げた。
「ここは俺が払うよ。付き合うと言い出したのは俺だしね」
「えっ、でもいいの?」
「遠慮しなくていい。ミリアナさんには助けられた恩もあるし、このくらいは礼のうちにも入らないよ」
私は恐縮するが、遠慮はしない主義なので、ここで固辞したりはしない。
「ありがとう。ありがたくいただくよ」
――なるほど、ケチケチしないところは好感が持てるね。
なぜか上から目線の評価が頭に浮かんだが、もちろん口には出さない。
昼時を少し過ぎた都電の車内は、混雑というほどではなかった。
昼間の空いている時間であれば、匂いの強いものや汁気の多いものでもないかぎり、車内で軽く食べるくらいは咎められない。仕事の合間に移動する人達も、包み紙を膝に広げて焼き菓子や握り飯を口にしている。
私達は窓際の長椅子に並んで座り、膝の上で紙箱を開いた。
揺れる車内で食べるには少し厚みがあるが、焼麦包は指で押さえるとふわりと沈み、鶏肉の衣がさくりと歯に当たった。中の肉はまだ温かく、油の香ばしさのあとに、たれの甘みと胡椒の辛みがじんわり広がる。
――うん。これはおいしい。
私が黙々と食べていると、セルヴィンがどこかほっとしたように笑った。
「口に合ったみたいで良かった」
「凄くおいしい。こういう店に詳しいの?」
「最近、実家の商会の手伝いで外周りをしているからね。手早く食べられて、あまり服を汚さない店は覚えておくと便利なんだ」
なるほど。商家見習いらしい実用的な理由だった。
「セルヴィン先輩の実家の商会って、織物や紙料を扱っているんだよね」
「ああ。もともとは、木材片や紙料を扱う小さな問屋だったらしいけどな」
セルヴィンは紙箱を片手に、手振りを交えて実家の商会について教えてくれた。
紙料で付き合いのあった工房から人絹の販売委託を受け、繊維や布地の取り扱いも始めたところで取引が増え、商会の規模が急拡大しているらしい。
人絹は、木材から取り出した繊維素を薬液で溶かし細く引き伸ばして糸にする素材で、錬金魔術の活用により品質が安定した事で実用性が上がり、軽くて染めやすい性質から服地だけでなく幕や飾り布などに需要が広がっているのだそうだ。
――木から糸を作るって不思議な感じ。セルヴィンも、実家の事業に関する知識はちゃんと把握しているんだね。
都電は、先日訪れた古書貸本屋のある商業街を通り過ぎてさらに西へ進み、中央駅前に到着した。
都電を降りると、まず音の多さに圧倒される。
駅舎は石と鉄骨を組み合わせた巨大な建物で、正面の広場には都電の停留所が並び、電気自動車と荷車が入り乱れている。広場にそびえる記念碑の周囲では、人の群れが絶え間なく出入りしていた。
皇都中央駅は皇国最大の鉄道の結節点だ。
列島の主要都市は鉄道路線で結ばれており、西の商都から皇都を通って東の港都へ向かう幹線は特に発達している。近年は商都との間で高速鉄道の試験営業も始まっており、港都側への延伸工事も進んでいるらしい。
皇都近郊の路線は電化が進み、日常の移動から長距離の物流まで、鉄道なしには成り立たない。
実際に中央駅前に立っているとその勢いが肌でわかる。
広場を行き交うのは、色の濃い髪と目を持つ人が多数を占めるが、顔立ちは一様ではない。北方出身らしい彫りの深い人、南方の島々から来たのだろう浅黒い肌の人、大陸系の服装をした商人、少数だが金髪で色白の西方人の姿も見られる。
列島国家である皇国は、北から南までいろいろな人々を抱え込んでいる。国際都市である皇都の中心部となれば、海外を含めたさまざまな人種、民族、文化を感じる事ができる。
――こういうところに来ると、学園ってずいぶん静かで落ち着いた場所だと感じるね。
そんな事を思いながら、私は大きな荷車を避けてセルヴィンの後ろを歩いた。
運河沿いまでは、中央駅からさらに10分ちょっと歩く必要があった。
駅の南西へ回り込むと、旅客駅の華やかさは薄れ、空気の匂いが変わっていく。煤、油、濡れた木材、熱い鉄、穀物の粉。いくつもの匂いが混じって鼻の奥に残る。
視界の向こうには広大な貨物駅が広がっていた。何本もの線路が扇のように分かれ、貨車がずらりと並んでいる。入換用の機関車が低い音を立てて動き、連結器がぶつかるたびにガチャンと重い金属音が響いた。
木材置場では丸太が山のように積まれ、鋼材置場では長い鉄材を何人もの男達が掛け声を合わせて動かしている。倉庫の前では、荷車から荷車へ麻袋が投げ渡され、運河の方では平底の荷船が岸に寄せられていた。
働いている人達はみな肩や腕がしっかりしている。汗で首筋を光らせながら荷を担ぐ男達も、太い腕で帳面を抱える現場監督らしい人も、学園で見る男子学生とは体の厚みが違った。
――うん。一人で来なくて正解だった。
治安が悪いと聞いて身構えていたが、昼間のここにあるのは荒れた怖さというより肉体労働の現場特有の圧の強さだった。邪魔な場所に立っていれば怒鳴られそうだし、見るからに場違いな学生服の女が一人で歩いていたら、それだけで面倒な目を引きそうだ。
目的の廃材置き場は運河へ続く道の脇にあった。
板塀で囲われた敷地の中には、壊れた機械部品など用途のわからない器具が山のように積まれている。入口の横には小さな事務小屋があり、年季の入った作業着の男が椅子に腰掛け、帳面をめくっていた。
セルヴィンが先に一礼する。
「失礼します。廃品を少し見せてもらいたいのですが」
男は私達の学生服を見て、片眉を上げた。
「ここは遊び場じゃねえぞ。怪我するから帰りな」
「特殊な部品が入り用で、もしこちらにあれば買い取りたいんですが」
「学生が部品取りかよ」
軽く扱われているのは明らかだったが、セルヴィンは粘り強く丁寧に交渉し、中に入って物品を探す許可を得てくれた。
――さすが、商会仕込み!頼りになるじゃん!
廃材の山は、近くで見るとさらに雑然としていた。木箱に入った歯車、割れた碍子、皮膜の剥げた線、ひしゃげた金属板。油で黒ずんだ布が絡みついた部品もあり、うっかり触ると手がべたつきそうだ。
ちょっと怪しまれる気もしたが、あまりうろつきたい場所ではないので、私は早々にエリから聞いてあった耳当て式受話器のある場所に向かう。
大きな箱にまとめて放り込まれていた耳当て式受話器を取り出して並べていくと、見た目上はそのまま使えそうなものから、片方の受話部が外れかけているものまでさまざまだった。
とりあえず一番状態の良さそうなものを手に取る。
「これ、いくらで引き取れますか?」
私達に付いてきていた作業着の男に問うと、こちらをちらりと見て口の端を上げた。
「そいつは5000銭幣だな」
――学生相手に足元を見ているな。
廃材所は故障品を無料で入手しており、部品価値としての相場なら合計でも1200銭幣程度、ちゃんとエリから情報を仕入れてある。
さてどうしたものかと私が内心悩んでいると、男は別の品を足で軽く押した。
「ただ、そっちの完全に壊れてるやつでいいなら、持っていってもいいぞ。受話部が外れてるし、線も切れてる。金属も曲がってる。そんなもん、こっちじゃ手間をかけて分けるほどの値もねえ」
それは耳当ての中身が抜け、線もぶら下がっていないほどひどく傷んだものだ。
しかし、私が欲しかったのはまさにそちらである。
中の発音器は必要ない。むしろ賢者の石を入れるなら、空洞がある方が都合が良い。耳に当てる形と、頭に固定する弓さえ残っていれば十分なのだ。
「えっ、本当に?わあ、ありがとうございます!」
私は思わず笑顔でそれを抱え上げた。
すると、作業着の男の顔つきが変わった。
「待て待て。まさか、お前無償でそれだけ持ち帰るつもりかよ」
――え、だって無償で良いって言ったよね?
私が反論しようとすると、すかさずセルヴィンが割って入った。
「おっしゃる通りですね。手間をかけて見せていただいた以上、無償で良いと言われたものだけいただいて帰るのは筋が通りません。選別料としていくらかお支払いしますので、同じように損壊のひどい品をいくつかまとめて譲っていただけませんか?」
そうして男と交渉し、同じような状態の耳当て式受話器を、3つで500銭幣という格安で入手する事に成功してしまった。
一つあれば用は足りるが、加工に失敗する可能性は十分ある。予備や部品取りがあるのはとてもありがたい。
――おお素晴らしい!セルヴィン、まるで敏腕の商会員みたいで見直したよ。
廃材置き場を出た私は、包みを抱えてほくほく顔だったと思う。
セルヴィンはそんな私を見て、少し不思議そうに首を傾げた。
「でも、本当にそんな壊れたものでいいのか?音を聞くための部品はほとんど残っていないぞ」
「うん。耳を覆う形が欲しかっただけだからね。もともと発音器は外すつもりだったし」
賢者の石を嵌め込むつもりだとは言えないので、私は曖昧に笑った。
「ただ、耳に当たるところが硬いし、音を抑えるなら内側に詰める柔らかい素材も欲しいかな。綿みたいにふわっとしていて、音を吸いそうで、できれば薄く重ねられるものだね」
セルヴィンが歯を見せて笑いながら自信満々に言う。
「繊維関係なら任せてくれ。ちょうど戻る途中に良い店があるよ」
――ほうほう、なんか今日は頼もしいぞ。
セルヴィンが案内してくれたのは、中央駅前から少し離れた呉服店だった。
庶民向けというより、職人や仕立屋が材料を選びに来る店らしい。入口をくぐると、布と糊と木箱の乾いた匂いがした。
店番をしていた中年の店主は、セルヴィンを見るなり顔をほころばせた。
「おや、若旦那じゃありませんか。今日はお父上のお使いで?」
「いえ、今日は個人的な用事です。少し素材を見せていただきたくて」
――本当に「若旦那」って呼ばれるんだ……。
私が妙に感心していると、店主はこちらへ視線を移し、にやりと笑う。
「そちらのお嬢さんは、もしや交際相手で?」
「い、いや!これは、その、学園の友人で、今日は案内を――」
「いいえ、まっったくそういった関係ではありません」
私は即答した。
店主が、後ろに立つセルヴィンへ少し哀れむような目を向けるが、私はその視線をきれいに無視して包みを作業台の上に置いた。
「こういう耳に当てる道具の内側に詰める、柔らかくて音を抑えられそうな素材を探しているのですが」
店主は包みの中身を覗き込み、少し考えた。
「うちで扱っているのは服地が中心ですからねえ。薄い綿布や裏地ならありますが、音を抑えるための詰め物となると、ちょっと違いますな」
「そうですか……」
「ただ、良い店に心当たりはありますよ。ここから官庁街の方へ戻ったところにある小道具屋なら、綿、毛屑、詰め布、薄い革まで揃うでしょう」
店主が教えてくれた店名に、私は聞き覚えがあった。腹話術用の人形で世話になっている店である。
「……ああ、そこならよく知っています」
「おや、そうでしたか」
結局この店を訪ねたのは無駄足だったようだ。
――やはり、所詮はセルヴィンだったか。
悪魔: 最近は出番があまりなく、傷心。




