第18話 銀行窓口
学園最寄りの商業街にある列島通商銀行の皇都東支店は、昼前だというのにそこそこ混んでいた。
磨き込まれた石床の上に、番号札を握った客がいくつかの列を作っている。窓口の向こうでは、銀行員達が帳面を開き、印章を確かめ、署名を見比べながら手続きを進めていた。
天井近くの大きな窓から入る光は明るいが、空気には紙と墨液と金属箱の匂いが混じっている。奥の金庫室へ続く扉が開くたび、硬い蝶番の音が低く響き、窓口に並ぶ人達の会話も少しだけ小さくなった。
今日ここへ来たのは、私とカレフィーネとセルヴィンの三人だ。
私の目的は古書貸本屋から受け取った入帳払札を口座に入れる事で、あとの二人はお金の受け渡しだ。学園からカレフィーネに返還された成績説明会の申請費用10札幣を、セルヴィンへ返す手続きを行う。
いくら皇都の治安が良いとはいえ、10札幣は学生が気軽に持ち歩く金額ではない。こういう時は現金を直接渡すのではなく、銀行の窓口で互いに署名してそれぞれの口座の間で金額を移す、口座間振替を使う。
銀行が開いている平日で、私達三人の都合が合ったのが今日だった。
ただし、窓口の列はなかなか進まない。
私達は壁際の長椅子に並んで腰を下ろし、自分達の受付札の番号が呼ばれるのを待っていた。
「それにしても――」
セルヴィンが、受付札を見ながらしみじみと言った。
「思った以上に大変な騒ぎになっていたけど、カレフィーネさんが退学せずに済んで、申請費用もちゃんと返ってきて、本当に良かったよ」
セルヴィンもここが銀行だという意識はあるらしい。いつもの勢いを、本人なりに抑えているのがわかる。
カレフィーネは小さく笑って、軽く胸にこぶしをあてた。
「本当にありがとうございました。セルヴィン先輩には申請費用だけでなく、ルッシェリーナからの取材など、この事件にいろいろと巻き込んでしまったようで申し訳ありません。せめてものお礼として、手数料くらいは私に負担させてください」
「いや、巻き込まれたなんて思っていないさ。取材を受けるなんて、なかなかできない経験だしね。それにディアネリス先生との縁ができ、あのフェルディオさんと話す機会ももらえた。商家の息子としてはそれだけでも十分すぎる利益さ。手数料は俺が払うから気にしないでいいよ」
にこやかな顔で手数料の譲り合いを続けるのを横で聞きながら、私は鞄から雑記帳と鉛筆を取り出し、慈善公演へ向けた脚本の案をまとめていた。待ち時間をただ潰すのはもったいない。
二人はしばらく押し問答をしていたが、結局手数料は折半という事で話がついたようだ。
「それと、カレフィーネさん。できれば敬語はやめて、もう少し普通に話してくれないかな。同じ学生なのにそんなに丁寧に扱われると少し落ち着かないんだよ」
カレフィーネは目を丸くし、それからゆっくりと微笑んだ。
「そうねぇ。では、少しずつ改める事にするね」
セルヴィンはほっとした顔で笑い、こちらにも視線を向けた。
「ミリアナさんも、同じようにしてくれると嬉しいな」
「えっと、努力はします。……するよ」
――今まで頭の中で散々呼び捨てにしてきたので、丁寧さの加減がわからなくて戸惑うじゃないか!
私はごまかすように鉛筆を握り直し、開いた雑記帳へ視線を落とした。
「それでミリアナ、それは何を書いているの?」
「神殿の孤児院で、人形劇の脚本を手伝う事になったんだよ」
カレフィーネが興味深そうに身を乗り出す。セルヴィンも脚本という言葉に反応したらしくこちらを向く。
「今度、孤児院の子ども達が慈善公演で人形劇をするんだけどね。私は腹話術をしているから少し相談に乗っていたら、いつのまにか私が脚本を提供する事になったんだよ」
「それは凄いじゃないか」
「凄くはないよ。既存の話を人形劇用にまとめるだけだからね」
話しながら、私は鉛筆の先で雑記帳の余白を軽く叩いた。
私がやろうとしているのは、異世界の童話をこの世界に合わせ、脚本としてまとめる作業だ。今回は小さな子どもを含めて、なるべく多くの子どもが劇に参加できる話を選びたい。
――畑から大きな野菜を収穫するお話が良さそうかなぁ……。
単純な話なので自力でも脚本に落とせそうだが、できればもう一度賢者の石から話を聞き直し、なるべく原作に忠実な形で劇にしたい。ただし、文化的に違和感のある部分については修正が必要だ。
原作を文字に起こすなら当然必要だし、それ以外でも作業中にいろいろとエリの力を借りたいので、悪魔の声の音量を絞りながら作業ができるように、耳当て式受話器は早めに手に入れておきたいところだった。
それを手に入れられる運河沿いの廃材置き場に一人で行く勇気がない私には、同伴者が必要なのだが……。
――私の狭い交友関係の中では、一緒に行ってくれそうな男性って、目の前の商家見習いくらいしかいないんだよなー。
ここは、少し話を振ってみるべきだろう。
「孤児院でも脚本を編集しているけど、子ども達がそれはもう元気で騒がしいんだよね。集中して文章を書くために、耳を覆って音を抑える道具が欲しいと思っているんだ」
これは、耳当て式受話器の説明としてカレフィーネ向けに考えておいた言い訳だ。孤児院がとても騒々しい場所なのは事実で、用途としておかしくはない。
「それで、いろいろ考えていたんだけど、中古品や古本の買取りをしている店で聞いたら、電話交換手が使う耳当て式受話器の故障品が、運河沿いの廃材置き場に廃棄されているらしいって」
「なるほど。あれを耳覆いの代わりに使うのか」
セルヴィンは納得したように頷いたが、カレフィーネは少し眉を下げる。
「うーん、でもあのへんはあんまり治安が良くないよねぇ」
「そうなんだよね。今日このあと見に行こうかと思っていたんだけど、女性一人はちょっとね……」
「昼間でも学園の制服を着て一人でうろつくのはやめた方がいい。今日の午後なら俺が付き合うよ」
セルヴィンは迷いなくそう言った。
「本当?凄く助かるよ」
――よしよし、狙い通り。こんな時に迷わず乗ってくれるあたり、熱血の商家見習いは本当にありがたい。
カレフィーネが申し訳なさそうに微笑む。
「私は午後から講義があるから、付き合えなくてごめんねぇ」
「ううん。講義ならしかたないよ。セルヴィン先輩がいてくれるなら心強いしね」
ちょうどその時、窓口の呼び出し番号が一つ進んだ。私達の順番まではあと少しだ。
手続き自体は、長い待ち時間に比べて非常にあっさりと終了した。
先に私が古書貸本屋から受け取った入帳払札を窓口へ差し出した。
銀行員は払札に押された商印章と魔署紋を顕紋照具で確認し、帳面の登録と照らし合わせる。それから私にも署名を求め、私の魔署紋を確かめて金額を口座へ記帳した。
――これでしばらくお金は足りるけど、次の金策も考えておかないとね。
続けてカレフィーネ達の手続きだ。
窓口で口座番号を確認し、振替額を告げ、カレフィーネとセルヴィンがそれぞれ書類に署名する。銀行員は二人の署名と魔署紋を確かめ、手数料を半分ずつ受け取って、帳面に手早く記録をつけた。
ただ、あっさり進んだのはそこまでだった。
窓口の端には、真新しい機械式計算機が置かれていた。金属の箱に数字の窓と小さな取っ手が付いた、いかにも銀行らしい道具である。銀行員が金額を確かめるために取っ手を動かすと、中で歯車が噛み合うような軽い音がして、数字の窓がかちりと切り替わった。
その瞬間、セルヴィンの目が輝いた。
「すみません。それは新型の計算機ですよね?おおっ!小数点処理に対応していて利息計算にも使える型のやつだ。これって、零で割り算した場合はどうなるんですか?異常を通知する仕組みがあるのでしょうか?」
窓口の女性行員は、職業的な笑顔を浮かべたまま固まった。
「ええと……こちらは窓口業務用の備品ですので、詳しい仕様までは……」
「なるほど、でも窓口業務用という事は、対応する桁数はかなり多いですよね。それでも桁溢れした場合にはどうなるのでしょう?やっぱり――」
声量は抑えているつもりかもしれないが、熱量が抑えられていない。隣の窓口にいた客がちらりとこちらを見て、その隣の銀行員まで手を止めた。
私は控えの紙を握ったまま視線を床へ落とし、窓口からそっと距離を取った。
カレフィーネも微笑みを保っているが、その笑みはいつもより少しだけ固く、セルヴィンを止めようか迷っているように見える。
本人だけが、周囲の注目に全く気づいていなかった。
――うん。やっぱりこの男は無駄に目立つな。
銀行を出ると、昼前の通りには都電や車、二輪車が行き交い、人の声が明るく広がっていた。建物の中にいた時よりも、空気が少し軽く感じる。
カレフィーネは講義のある学園へ戻るので、ここで別れる事になった。
「それじゃあ、私は行くね。ミリアナ、気をつけてねぇ」
「うん。講義頑張って」
「セルヴィン先輩も、ミリアナの事よろしくねぇ」
「ああ、任せてくれ」
セルヴィンが真面目に頷くと、カレフィーネはそこで少しだけ笑みを深めた。
「うんうん。では、二人きりのお出かけ、楽しんできてねぇ」
「はいはい。行ってきます」
私は軽く流したが、セルヴィンはわかりやすく固まった。顔が赤くなり、視線が右へ左へと泳ぎ始める。
「い、いや、これは案内であって、そういう意味では……」
――おいおい、その程度で照れる繊細さを持ち合わせているなら、さっき窓口で周りから散々注目されていた事にも気づけよ。
悪魔: 読者からの評価、本栞に感謝。作者の士気維持に効果絶大。




